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書評 中村文則『迷宮』

2012年08月21日 | 書評

震災後の迷路をさまよう

書評 中村文則『迷宮』

越川芳明

 ギリシャ神話で「迷宮」といえば、クレタ島のミノス王が、半獣半人の怪物ミノタウロス(なんと王妃と牡牛のあいだに生まれた!)を閉じ込めておくために名工ダイダロスに設計させた巨大迷路「ラビュリントス」を思い出す。  

 この迷宮をめぐっては、アテナイの英雄テセウスが怪物を退治するだけでなく、「アリアドネの糸」を使って迷宮からの脱出に成功するエピソードが有名だ。  

 つまり、「迷宮」とは、どのように窮地から脱出するか、人間の知恵をためす装置なのだ。  

 この小説の「迷宮」は、そうした目に見える形を取っていない。まるで大空を風に流されてゆく白雲のように変幻きわまりない、人間の暗い「内面」世界を指している。  

 語り手の「僕」は、三十代なかばという設定だ。ある弁護士事務所に勤めている。

 上司や同僚に悪意を抱いていても、それをそのまま口にすることはしない程度には、社会に適応している。

 だが、幼い頃に母親に捨てられたトラウマは消えていない。  

 あるとき、「僕」は紗奈江という中学時代の同級生の女性に会い、彼女のアパートに誘われて泊まる。

 その翌日、探偵と称する男に会社帰りに待ち伏せされて、紗奈江の素性を知ることになる。

 探偵によれば———。  

 かつて日置事件という「迷宮」入りした不可解な殺人事件があった。

 誠実だが平凡きわまりない夫が被害妄想に取り憑かれ、絶世の美女である妻の行動に不信感を募らせ、極度の「嫉妬心」から妻の自転車を壊したり、家中に防犯カメラを取り付けて監視したりする。

 十五歳の息子は不登校になり、妹に性的な接触をもとめたり、気味のわるいプラモデルを作ったりする。

 そのうち、「壊れる家族」を象徴するかのように、凄惨な殺人事件が発生する。

 鍵のかかった家の中で、夫と妻と兄が殺されて、妹だけが生き残ったのだ。

 その生き残った妹は、「僕」がアパートに泊めてもらった紗奈江である、というのだ。  

 小説は、この日置事件に関する「僕」の調査や推理を推進力にして一気に突き進むが、「僕」だけでなく、紗奈江も彼女自身の「迷宮」に閉じ込められていることが分かってくる。  

 自分の中の暗い暴力的なケダモノを飼いならす術を心得ている「僕」は、出口のない「迷宮」を彼女と共にさまよう覚悟を決める。  

 最後に一言添えておくと、小説の時代設定は、あの大震災の数ヵ月後である。

 語り手の「僕」は、震災後のこの時期を既視感を持って捉える。

 つまり、かつて自分が幼かったバブル崩壊後にも、そうした「無力感」を覚えたというのである。  

 ここに来て私たちは「迷宮」が震災後に難局に立たされた日本社会の比喩にもなっていることに気づかされる。

 迷宮からの脱出ではなく、その中で生き延びることを説く寓話だ。(了)

 『週刊現代』(2012年8月11日号、123ページ)より。タイトルを変更しました。

 


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