越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

「世界政府(その1)」第三回目

2010年12月29日 | 翻訳
(訳注:ひきつづき、エスチューリンの著書『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

カウンターカルチャーの創造

 合衆国の若者に対する、宣戦布告なしのオープンな文化「戦争」は、1967年に始まった。

 ビルダーバーグのメンバーが彼らの目的を確実なものにするために、野外コンサートを組織し始めたのである。
 
 この秘密武器によって、400万人以上の若者をいわゆる「フェスティバル」に引きつけることに成功した。

 それと知らずに、若者たちは完璧に計画された薬物実験の犠牲者になった。

 ビートルズによってその消費が促進された幻覚ドラッグは・・・そうしたコンサートで自由に配られた。

 まもなくコンサートに参加した5千万以上の者(当時、10歳から25歳)が帰宅して、新しいドラッグ・カルチャーというか、やがて「ニューエイジ」として知られることになるもののメッセンジャーや奨励者に改宗した。

 史上の最大のコンサート、野外での「ウッドストック音楽・芸術フェア」は、『タイム』誌によって「水瓶座のフェスティバル」とか「史上最大のショー」などと称された。

 ウッドストックは、若者世代の「文化用語集」の語彙の一つとなった。
 
 ジャーナリストのドナルド・フォーによれば、「ウッドストックでは、50万近く若者がある農場に引き寄せられるように集まり、洗脳された。

 犠牲者たちは、孤立させられ、汚物まみれになり、サイケなドラッグを詰め込まれ、3日間連続で眠ることを禁じられ、そのすべてがFBI(連邦捜査局)と政府高官の完全な共謀によるものだった」。

 コンサートの警備は、LSDの大量配布にたけたヒッピーのコミューンによって提供された。
 
 ここでも再び、唱道者は英国の軍情報網であったが、CIA前長官ウィリアム・ケイシー[CIA長官1981年~87年]と、MI6のセフトン・デルマーとのCIAコンタクトを経由したCIAの後援があった。

 CIAコンタクトと関係していたのは、ブルース・ロックハード [ジャーナリスト]、ブルシェビキ革命時代のレーニンとトロツキーのMI6側の工作員だった。
 
 カウンターカルチャーが合衆国の用語集の中に組み込まれるためには、さらに10年が必要だった。

 しかし、合衆国の文化的価値観を一転させる巨大な秘密計画の種は、そのとき蒔かれたのである。
 
 セックス、ドラッグ、ロックンロール、国中の大きなデモ、ヒッピー、学校をドロップアウトしたドラッグ中毒者、ニクソン政権、ヴェトナム戦争は、アメリカ社会の「精神」をずたずたに引き裂いた。
 
古いものと新しいものが正面衝突したが、誰も、そうした対立が世界で最も賢明で非道な国民の中の少数の者によって構想された秘密の社会計画の一部であるという事実に気づくことはなかった。

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