越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

『世界政府(その2)』(第三回)

2011年02月06日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

第4章 ビルダーバーグ倶楽部とアフガニスタンにおける秘密戦争

 戦争が行なわれる理由は、学校で教わる教科書に書かれている通り、イデオロギーに根ざしている。

第一次世界大戦や20世紀のあらゆる紛争に見られるように、国家は虚偽(うそ)をの口実を根拠にして、恐ろしく長期間、戦争にかかわる。

 著名な歴史学者エドマンド・モーガンは次のように書く。

 「歴史は決して繰り返さない。細部を知らない者にとって、そうは見えないかもしれないが・・・」。

 カスピ海の海盆や中央アジアは、21世紀のエネルギーにとって重要な場所だ。

石油資源の3分の2は、この地域にある。

「アメリカ合衆国は、この地域を自国の完全な支配下に置きたがっている」と、ジェイムズ・ドナンは、商業雑誌『石油とガス・ジャーナル』(2001年10月9日号)の記事で述べている。

 『タイム』誌(1998年5月号)によれば、マデレーン・オルブライト[当時、クリントン政権の国務長官で、コソヴォ戦争に関与した]は、その地域の未来を決するために働くことは、私たちにできる最もわくわくすることの一つだ、と結論づけている。

 湾岸戦争によって、ペンタゴン(米国防総省)はサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)やその他の国々に、数多くの軍事基地を作ることができた。

 ミシェル・チョスドスキー教授 [『アメリカの謀略戦争―9-11の真相とイラク戦争』ほかの著作があるオタワ大学の経済学者]がドキュメンタリー映画『戦争とグローバリゼーション』の中で述べているように、 1999年にNATOによって結成されたGUUAM同盟(グルジア、ウクライナ、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、モルドバ)は、カスピ海の石油やガスの豊かな埋蔵地の中心に位置する。

 GUUAMの欠くべからざる構成員はグルジア――アメリカ合衆国の顧客――だが、ミヘイル・サカシュヴィリ[2003年の無血革命で指導者的役割を果たした元グルジア大統領]が、アメリカ人によってお膳立てされ、市民による自然発生的な反乱として偽装されたクーデターによって、前ソ連外相のエドゥアルド・シェワルナゼ[元グルジア大統領]に取って代わって大統領になった。

 「地下計画(アンダーグラウンド・プロジェクト)」[世界の石油会社による破壊活動に反対する米国の草の根のネットワーク]によれば、「主にジョージ(H.W.)ブッシュ政権にかかわった冷戦時代の重要人物たち」と共に、旧ソ連のKGBや政治局(ポリトブロ)のメンバーたちも、石油の富を食い物にしている。

レーガン、ブッシュ、クリントンのアドバイザーだった者たち、たとえばジェイムズ・ベイカー[父親ブッシュ政権の国務長官]とか、デック・チェイニー[副大統領]とか、ジョン・H・サヌヌ[ホワイトハウス前首席補佐官]などだ。

 ピーター・サザーランド[BP社]やエリザベス女王2世[BPの大株主で、「300人委員会」の会長]は、石油資源や、カスピ海から通じる石油パイプラインを支配しようと戦っている。

 1998年、スコットランドでのビルダーバーグ倶楽部の秘密会議の後、私は独立メディアに記事を寄せた。

「それを創設したビルダーバーグ倶楽部の命令に従って、北大西洋条約機構はチチェン共和国爆撃のための白紙委任状をロシアに渡した。

互いの憎悪の起源が300年以上もさかのぼるこの二国間の対立を増長させることになるからである」と。

  アフガニスタンの石油パイプラインは、ただのビジネスではない。もっと大きな地政学的な計画の重要な一部なのだ。

すなわち、ユーラシア大陸(中東と旧ソ連の中央アジア)の軍事的、経済的支配を目指しているのだ。

 ジョージ・モンビットは、『ガーディアン』紙(2001年10月23日付け)で、断言している。

 「だが、石油やガスはそこにある限り価値はない。政治的かつ経済的な意味を持つ唯一の輸送ルートは、アフガニスタンを通るルートである・・・」と。

  ソ連邦の崩壊以降、アルゼンチンのブリダス石油会社は、野心的な*カルロス・ブルゲローニ社長[1993年ブリダス石油会社社長就任]の指揮のもと、トルクメニスタンの石油資源を開発する最初の会社になったが、世界で最大の天然ガスがそこで発見されることになるのである。

 (中略)アフガニスタンは中央アジア北部や中央アジア西部から、トルクメニスタンやウズベキスタンのガス資源を湾岸へ輸送する最短ルートである。

  ブリダス社の驚いたことに、ユノカル(UNOCAL)[1898年創設のアメリカの石油会社]は、地域の指導者のもとに直接、提案を持っていった。

ユノカルは、合衆国政府の指導のもと、経済支援を受けてコンソーシアムを形成していた。

その中には、サウジアラビアのデルタ石油が含まれ、サウジのアブダラー王子やファード王も関与していた・・・。

  アハメド ラシッド[パキスタン人ジャーナリスト]によれば、「ユノカル社のタリバーンに対する本当の影響力は、彼らの計画によって、合衆国政府がタリバーンを承認できるかどうかにかかっており、それこそタリバーンが何としても確保したいものだった」

 (中略)1996年春、ユノカルの幹部たちは、北部同盟の北部総司令官アブドゥル・ラシッド・ドスタム将軍[2001年12月のダシト・レイリ砂漠の大虐殺の責任者。何百人ものタリバーンの囚人が、アメリカ兵と北部同盟兵によって、アフガニスタンのクンドゥズ刑務所へ輸送用コンテナーで運ばれる途中、窒息死させられた]のもとへ飛んだが、北部同盟の支配する領土のどこに石油パイプラインを通すかを議論するためだった。

 アハメド・ラシッドの記述によれば、ユノカル社とブリダス社の競合は「サウジの王室の内部対立を反映していた」。1997年、タリバーンの上層部は、二度にわたってワシントンDCとブエノスアイレスに飛んで、ユノカル社やブリダス社の人たちと食事をしている。

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