越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 中村文則『王国』(4)

2012年02月20日 | 書評

 昼の権力、警察の目が届かないところがある、そんな闇の「王国」に君臨している男がいる。

 『掏摸』にも登場した木崎という男だ。

 彼は「わたし」とは対極にいる存在で、「わたし」に対する話しぶりから、彼だけが犯罪の全貌をつかんでいるようにも思える。

 「わたし」は、翔太の死が「わたしの人生を不意に深く切った亀裂」だと言い、理不尽な死というものに、

 あるいは「無造作で冷酷な事実」に納得がいかない。

 一方、木崎はこの世界では「幸福よりも不幸のほうが引力が強い」と言い、人が突如死に直面したとき、

 どうして自分が・・・といった不可解な思いを抱きながら死んでいくのを見るのが好きだと言う。

 木崎が不気味なのは、そんな自分のサディズム嗜好を隠そうとしないからだ。 

 なぜ木崎のような倒錯的な「化物」に「わたし」は惹かれてしまうのか。

 親友のエリも、似たような「化物(ばけもの)」に惹かれて身を滅ぼした。

(つづく) 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 書評 中村文則『王国』(3) | トップ | 書評 中村文則『王国』(5) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事