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金子兜太の一句鑑賞(8)   高橋透水

2017年03月14日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  朝はじまる海へ突込む鷗の死  兜太

 日本銀行の転勤生活も神戸に移って三年経ち、俳句専念をこれからの人生と決めたころの句という。背景は神戸港の埠頭である。
 「朝はじまる」と「突込む」と動詞が二か所あり解釈を複雑にしているが、「朝はじまる」で切れるとしても、夜が明けてこれから何かが始まるということだろう。とは言え、一体「鷗の死」は何を象徴しているのだろうか。しかも「海へ突っ込む」である。
 死と生の倫理を暗示しているのか。感受性が強く、しかも実験的な作を好む作者だ。安易な解釈は禁物である。兜太の「自選自解99句」によれば、「鷗は魚をとるため海へ突っ込む。その景を見ていて、トラック島で、零戦が撃墜されて海に突っ込む景を直ちに想起した」とあるが、戦争の悲惨な記憶はいつまでも作者の脳裡に飛来し、繰り返される。
 初出は「俳句」昭和三十一年七月号。「港湾」という題で二十五句発表して冒頭に置かれた句。同時に、〈山上の妻白泡の貨物船〉〈強し青年干潟に玉葱腐る日も〉などの作品がある。後に兜太は『わが戦後俳句史』のなかで、この句の背景と動機について、「神戸港の空にも防波堤にもたくさんの鷗がいて、ときどき海に突込んでは魚をくわえてきました。私はそれを見ながら、トラック島の珊瑚の海に突込んで散華した零戦搭乗員の姿をおもい浮かべて、〈死んで生きる〉とつぶやいていたものでした」と述べている。
 さらに、兜太は回想的に「この映像の根はトラック島でときどきぶつかった零戦が撃墜されて海に突込むときのことなんで、鷗と零戦が重なっているんです。死んで生きる、ということです。」(「兜太百句を読む」ふらんす堂)と時代を経ても様々なところで、種明かし的に句の解説を重ねている。
 当時の兜太は単なる写生句を批判しつつ、見たものを頭のなかで創り直すという「造型俳句」理論を発表する頃で、実作への試みを示したとも考えられるが、これらは果たして作者の思い通りの作品になったかどうか。


   俳誌『鴎座』2017年3月号より転載
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