「井上井月」についてお願いがあります。
長岡藩出身と思われる「井上井月」についてどんなことでもよいですから、どなたか教えていただけませんか。数年まえに長岡にゆきましたが、なかなか手がかりがつかめませんでした。
句碑もいくつかあるとききましたが。よろしくお願いします。
以下わたしの好きな句です。
雪車(そり)に乗りしこともありしを笹粽
長岡(あるいは高田か)で過ごした幼少期の懐古の句と思われる。「三国峠」とあるほか、「越の高田より信濃路へ趣く途中」「北越高田」と前書きがあるものもある。いずれにせよ越後から信州に向かう道すがらで立ち寄った茶店で粽を食したのだろう。粽の米の白さから子供の頃の橇遊びを思いだしたのか。
井月に妻子があったかどうか不明だが、若いころは妻があり、子もいたと考えたい。一説では京都での貞門俳諧時代に一度結婚したが、妻は早世したという。また子供がいたとすれば女の子のような気がする。〈妻持ちしことも有りしを着衣始〉を始め妻子を思うような句や、他人の母子の情景を詠った句が散見できるからだ。〈泥くさき子供の髪や雲の峰〉〈手枕の兒に力なき団扇かな〉〈蝙蝠や足洗ひとて兒は呼ばる〉などは実の妻子を見つめる光景のようで、優しくも哀しい。
妻持ちしことも有りしを着衣始
井月の出生に謎が多く、妻帯し子供がいたのかも知る由もない。一説では京都での貞門俳諧時代に一度結婚したが、妻は早世したという。子供はいなかったかもしれないが、いたとすれば女の子のような気がする。
正月に宿に隣り合わせた旅人が祝賀の衣装に替えたときを詠んだのだろうか。
遣るあてもなき雛買ひぬ二日月
生き別れか死別か。ついつい子を思って雛を買ってしまった。はたまた近所の女の子にと思って買ったが、あげそこなったのだろうか。もともと遣るあてのない雛をついつい買ってしまったなどととても考えられない。
井月に妻子があったかどうか不明だが、私は妻があり、子もいたと考えたい。妻子を思うような句や、他人の母子の情景を詠った句が散見できるからだ。〈泥くさき子供の髪や雲の峰〉〈手枕の兒に力なき団扇かな〉〈蝙蝠や足洗ひとて兒は呼ばる〉などは実の妻子を見つめる光景のようで、優しくも哀しい。
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長岡藩出身と思われる「井上井月」についてどんなことでもよいですから、どなたか教えていただけませんか。数年まえに長岡にゆきましたが、なかなか手がかりがつかめませんでした。
句碑もいくつかあるとききましたが。よろしくお願いします。
以下わたしの好きな句です。
雪車(そり)に乗りしこともありしを笹粽
長岡(あるいは高田か)で過ごした幼少期の懐古の句と思われる。「三国峠」とあるほか、「越の高田より信濃路へ趣く途中」「北越高田」と前書きがあるものもある。いずれにせよ越後から信州に向かう道すがらで立ち寄った茶店で粽を食したのだろう。粽の米の白さから子供の頃の橇遊びを思いだしたのか。
井月に妻子があったかどうか不明だが、若いころは妻があり、子もいたと考えたい。一説では京都での貞門俳諧時代に一度結婚したが、妻は早世したという。また子供がいたとすれば女の子のような気がする。〈妻持ちしことも有りしを着衣始〉を始め妻子を思うような句や、他人の母子の情景を詠った句が散見できるからだ。〈泥くさき子供の髪や雲の峰〉〈手枕の兒に力なき団扇かな〉〈蝙蝠や足洗ひとて兒は呼ばる〉などは実の妻子を見つめる光景のようで、優しくも哀しい。
妻持ちしことも有りしを着衣始
井月の出生に謎が多く、妻帯し子供がいたのかも知る由もない。一説では京都での貞門俳諧時代に一度結婚したが、妻は早世したという。子供はいなかったかもしれないが、いたとすれば女の子のような気がする。
正月に宿に隣り合わせた旅人が祝賀の衣装に替えたときを詠んだのだろうか。
遣るあてもなき雛買ひぬ二日月
生き別れか死別か。ついつい子を思って雛を買ってしまった。はたまた近所の女の子にと思って買ったが、あげそこなったのだろうか。もともと遣るあてのない雛をついつい買ってしまったなどととても考えられない。
井月に妻子があったかどうか不明だが、私は妻があり、子もいたと考えたい。妻子を思うような句や、他人の母子の情景を詠った句が散見できるからだ。〈泥くさき子供の髪や雲の峰〉〈手枕の兒に力なき団扇かな〉〈蝙蝠や足洗ひとて兒は呼ばる〉などは実の妻子を見つめる光景のようで、優しくも哀しい。
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