「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 重信
同時句に〈月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵〉があり、昭和二十二年の発表作でる。いずれも句集『蕗子』に収録されているので、この二句を句作の背景が連続しているものとして、鑑賞したいと思う。
まず〈「月光」旅館/開けても開けてもドアがある〉であるが、夏石番矢(「高柳重信」蝸牛俳句文庫)によれば、『「旅館」の名称「月光」が、異次元の狂気の世界を連想させる。「月光」の狂気に満ちた、無限に続く妖しい異界』としている。この「狂気」「異界」は当時の重信の句を解くキーワードとして重要であることは確かだ。身体的には宿痾の結核という胸の病魔との闘いが重信を「狂気」にし、更に「異界」へと導いたと考えてよいだろう。
「開けても開けても」は社会、とりわけ俳句の理想や改革を「追求しても追求しても」を暗示しているのだろうか。その先にはまだまだ開けるに困難なドアが待ち伏せている。そして、〈月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵〉は、夏石番矢(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)によれば、『月下の旅にたどり着いた旅館で記帳を求められた「宿帳」には、このフランスの作家の名が。異次元の精神世界の探究者の先人として、作者はこの作家を指名した。』と解説している。
ちなみにリラダン伯爵とはヴィリエ・ド・リラダンのことである。広辞苑によれば、『フランスの作家。貴族出身であるが、放浪と窮乏のうちに、反俗的な精神主義を貫いた。作品に「残酷物語」「未来のイヴ」「トリビュラーボノメ」など』とある。
番矢の指摘は重信を知る重大な背景を示しているとみてよいだろう。重信の求めようとした世界はすでに先人が存在したのだ。しかしそれは重信には失望でも自嘲でもない。いつの時代にもあることだ。現状に満足できない限り、さらに何かをもとめて進まねばならない。それは改革者の宿命だ。
こんな風に掲句二句をストーリー性あるものと鑑賞したが、ひょっとしたら重信の真っ赤な嘘にまんまと引っかかったのかも知れない。