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山口誓子の一句鑑賞(15)高橋透水

2019年03月21日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 冬河に新聞全紙浸り浮く 誓子

 昭和三十三年作『方位』所載。
 この頃の誓子は健康が回復したのか、よく旅にでた。毎年、十二月に桑名に行き、揖斐川の畔の宿に泊って、句をつくったようだ。そこで水面に浮いている新聞紙に気づいた。
 誓子の自選自解よれば「水に浸ってかつ浮いている新聞紙は、みずからの極限を示して、そこにあったのだ。そんな新聞紙の浮いているこの冬河は、こころ憎い河だ。」とあるが、そこには「冬河」の語感からする冷たさや、「新聞全紙」からくるあけっぴろさ。またその反面、「浸り浮く」からくる危うさ、それにその新聞にはどんな記事が載っているのかなどいっさい述べられていない。それらはすべて読み手に委ねられているのだ。
 この句はよく誓子の〈夏の河赤き鉄鎖のはし浸る〉と対にして評論されることがあるが、〈夏の河〉は動の世界で静を描き、一方〈冬河に〉の方は動のなかで不安定ながらも静の世界を表現したとみてよいだろう。また〈夏の河〉には色彩があるが〈冬の河〉は無機質な冷たさが感じられる。
 例えば日常生活のなかで、新聞に報道された政治や経済、社会面の記事も所詮浮き沈みするというのが世の常だ。そんなことをこの句から感ずるのは読み込み過ぎになるだろうか。むしろそうした雑念を排除し、誓子の根源俳句を味わうべきだろう。
 ここで平畑静塔の解説が参考になるので紹介したい。「詩人小野十三郎はこの冬川の句には目をむいたと語ったが、私はこの句を作品として見て、この素材を扱って、さむざむとした色もうすれた冬川の表面に二頁大の新聞全紙がひたひたと浸り浮いている不気味さを作り上げた作者の主体のすごさにうたれるのである」(「『山口誓子』俳句シリーズ・人と作品」桜楓社)より。
 晩年の誓子は物を見る眼の精彩は衰えたと言われるが、「新聞紙は、みずからの極限を示していた」などの自解をみると、誓子の観察眼はまだまだ健全だったと言ってよい。

俳誌『鴎座』2019年1月号より転載
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