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高柳重信の一句鑑賞(二)    

2013年12月05日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
高柳重信の一句鑑賞(二)    高橋透水

船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな 重信

 人口に膾炙した句である。句集『蕗子』(昭和二十五年)に収録された病床での一連の句作のなかで〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉と並んで際立っている。
 こうし佳句を量産する重信の生い立ちを見てみたい。中村苑子の言葉によれば、『一生の宿痾となる結核に彼が冒されたのは昭和十七年の夏で、大戦の激化にともない進学不可能となって大学が繰り上げ卒業を行った年でもある。十九歳であった。/戦時の動乱のさなか、六カ月のいのちと宣言されながら病苦に呻吟していた彼は「僕の俳句は、僕独特の、僕の必死のアリバイである」と示唆したとおりに切実な生き方をしていた。』(「高柳重信の世界」昭和俳句文学アルバム・梅里書房)
と述べられているように、病魔は重信の人生を大きく左右し、結果として俳人としての道を拓いたとも言える。
 ところで重信の師であり良き理解者であった冨澤赤黄男は、句集『蕗子』の「序にかえて」のなかで、『高柳重信の精神は一言でいへば、反抗と否定の精神である。それは同時に彼自身へ反抗し、彼自身をも否定せんとする激しさを示すものである』『彼は自ら傷み、自らを否定することから「匍ひ上る」ことによって彼自身の思想を掴もうとしてゐる』と述べ、更に重信は『蕗子』を実験として提示したが、『この書は既に充分一つの実験の成果として、力と重さをもつところのある位置に達してゐるものである』と賛辞している。
 さて、重信の反抗と否定の精神とは何か。一つは既成の俳句に向けられているように思う。「焼き捨てし」は伝統的な腐敗した俳句界であり、「船長」は重信自身、そして重信は新しい俳句の大海へと泳ぎ継ぐのである。
 総じて言えば、重信にとって多行表記は俳句形式の本質が多行発想にあることを、身にしみて自覚しようとする決意の現われである、ということだろうか。
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