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山頭火の風景<月夜、あるだけの米をとぐ>    高橋透水

2014年07月05日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
月夜、あるだけの米をとぐ      山頭火

 昭和8年作。
 其中庵での生活も一年過ぎた。時おり木村緑平から為替が届き、なんとか生き永らえている。しかし、このところ体がしんどくなり、托鉢することもままならない。あるだけ米を研いで、後のことはまた考えればよい。酒を飲んで、月を楽しもうじゃないか。惜しげなく降り注ぐ月の光を浴びて。
 しかしどうやら一人の夜でなく、知人の訪ねて来た日の句らしい。
 知人と言っても、山頭火を慕う大山澄太という青年だ。知り合ってまだ浅いが、いやに気の合った二人だ。五十過ぎになった山頭火だが、この青年の訪問が嬉しくて待ち遠しい。きっと酒持参で、ご馳走もあるに違いない。

 その頃の山頭火は体調は決して良いとはいえず、托鉢も気分次第だった。後年、大山澄太は回想して山頭火の言葉を紹介している。「・・・・しかし大山君がくるというハガキが来たので、午前中二時間あまり近郷を行乞した。米一升二合・・・・。もつたいなしもつたいなし」
 行乞を理想にした山頭火だったが、人恋しさは人一倍だ。そんな時に弟子分にあたる大山澄太が訪ねて来てくれた。
 その晩の二人は大いに飲み、俳句や友人のことを語りあったことだろう。
 

【参 考】其中庵
 昭和七年九月、山頭火は、俳句仲間たちの援けをうけて、山口県小郡の藁葺の小屋に「其中庵」を結庵し、この地に生活の基盤を置いた。山頭火50歳から56歳までここを住処とし、第2句集「草木塔」から第5句集「柿の葉」まで出している。

  さみしい風が歩かせる
  鉄鉢の中へも霰
  わかれてきた道がまつすぐ
  何を求める風の中ゆく
  なにやらかなしく水のんで去る


 などの作品がある。

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