取り残された被災地は 太平洋沿岸にまだ多く有ります
詳細が掴みきれず 米軍のヘリなどは 個別に探して物資供給などしています
高速道 幹線道路 ガソリンなど ようやく整備されてきました
現在 救援の手も届かず ボランティアも来ない小さな避難所のかたたちです
自らも姉を亡くし 兄家族は行方不明の方が それでも必死に援けています
違うサイトの日記ですが 紹介して 皆様に知って欲しいと思います
被災地のほんとの声を聞いてください。
私は、文章など余り書いた事がないので、読みずらいとおもいます。
お許しをお願いします。
私は宮城県北部の津波にやられた被災地のすぐソバに住んでます。
海から20kmくらいのところです。
私は、岩手の今被災地の県境から、この地に婿になってきて38年経ちます。
今回の震災で、実の姉を亡くし、兄は行方不明です。
その子供たちも3人行方不明で、生きてるのは二人だけです。
私の集落の農家やその他の人たちも、時間の許す限りグループをつくって、被災地の支援に行っています。
保存してた農作物と味噌を持っていって、現地で味噌汁を作ってあげたり、近所で出し合ったお金で必要なものを買って行ってあげています。
毎日、地獄のようなところを通って避難してる人たちのところへいってます。
テレビでは、大きい避難所ばかりうつしてます。
私たちの行く先は、もっと小さな寄り集まりのところが多いです。
大きな避難所に入った人たちはまだ幸せです。
物資も一杯あります。ボラントアの人たちが一杯ウロウロしてますが、私たちが本当に助けなければいけない小さな避難所には、誰も来ません。近隣の集落の人たちがそういう小さなところへ支援に行ってるのです。
私たちも、できる限りおにぎりや漬物も届けてますが、小さな場所は余り多くて、行けるのは数箇所づつになります。
困ってる小さな集落の避難所は、悲惨です。
だから、ボランティアを街場に行って呼びかけてます。
政府だかどこかだかしらねども、大きなボランティアは途中で見つけた小さな避難者の集落場所へ物資を分けてほしいとおねがしても、計画的に配ってるので、出来ないと断られます。
あのたくさんの物資は、被災した人みんなへ善意の贈り物なんではないのでしょうか?
あの人たちのものではないでしょうと思うけど、くれません。
この間は、二日間、のまずくわずの集落の一部に集まってる人たちを見つけましたが、あいにく私らも、もう配り終わって、何もないので、大きな避難所を管理し照るボラントアの責任者に頼んだんですが、そこは管轄してないので、そっちでやってくださいと冷たい応答でした。
私たちはおかしいと思うのです。
私たちはこうして活動してるのですが、全部自分たちで持ち寄ったものです。全国から集められた物資は、あの団体の人たちしか管理できないんですか?
今日は雪が降って寒いです。
何箇所かへ、蔵から火鉢を見つけたりしたものをみなで集めてて炭と一緒に届けました。七輪と練炭も届けました。100円ライターも届けました。
自衛隊は、さすがです。
私は軍隊の自衛隊は嫌いでしたが、今回のことで、その考えが間違ってると思いました。私の姉や親戚の遺体も見つけてくれました。
道路もあっという間に片付けてくれます。
何回か集落への道を瓦礫を片付けて、通してくれるように頼み、やってもらいました。感謝しています。
みなさん、まだテレビでやってるとこはましなんです。
もっと小さいとこでは、食べ物も着る物も足りないし、ボラントアの人の手も借りたいのです。
分かって下さい。
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