のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

ここが東京だねおっ母さん

2013年11月14日 11時12分12秒 | うたごえ
島倉千代子さんが亡くなられて 同世代であるためか少し寂しい
歌は世に連れ 私たちの人生と共に歩んだ方である
それは ひばりさんと共に 想い出の中に多くの夢を刻んできた



昨日は下町のうたごえ 殆ど女性であるが この想いは同じであった
リクエストに 人生いろいろ があった
この曲は 500曲くらいのリストには入れていなかった

でも 一緒に歌って偲びたいなと思い ホワイトボードに歌詞を書いた

死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ 
バラもコスモスたちも 枯れてお終いよ
髪を短くしたり強く小指を噛んだり
自分ばかりを責めて 泣いて過ごしたわ~

こんな歌詞が 私たちの人生の中でも 数々出て来ただろう
波乱万丈の彼女が歌うと しみじみ心に滲みて 歌も彼女も愛された
ちょっと 寂しく みんなで歌った



惜しい方は早く亡くなる まだ逝くには早すぎる
そこへいくと 私たちは? まだまだ長生きできるね
みんな歌を歌って 笑顔を浮かべて健康に暮らしましょうと笑わせた

東京だよ おっ母さん もリクエストされた
ここでは 私の想い出をエピソードに語った
おっ母さんを連れて来るのではなく 母と初めて東京に来た時の事

電気もガスも水道もバスも無い山奥 初めて電車を見たのは小学三年生
町まで数キロ下って 電車を見た 飯田線が1両でとことこ走っていた
田んぼもわが村は小さな棚田 四角い大きな田んぼに眼を見張ったものだ

5年生になって 東京へ引越し初めて山手線を見た
それはそれは長い蛇の様だった 6両編成の時代である
電車のドアや エレベーターのドアが怖かった

挟まれない様に 頃合を見て飛び込んだものである
エスカレーターを初めて乗るときは 階段が動くので眼で確かめて飛び乗る
家の近く 東武線と常磐線の大踏切があり電車を見るのが楽しみだった



ある日 母に連れられて浅草松屋の屋上に行った
ここは今でも同じ 隅田川に面して建ち 展望は広かった
その姿は 今までに見たことの無い近代風景であった

一緒に居た今は亡き弟 こう叫んだ
かあちゃん ここは外国かい?

東京だよ おっ母さん 田舎から出てきた母を案内する歌である
でも 私には 母に連れられてきた この遠い想い出がいつも蘇る
母と一緒に一時 多分 幸せに満ちていただろう


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