のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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元気溢れる92歳のうたごえファン

2014年03月20日 09時40分17秒 | うたごえ
昨日は春一番の吹き荒れた翌日 少し肌寒い陽気だった
下町のうたごえ いつものように70名くらいの方が集ってくる
笑顔を交わしながら 会場の空気は和やかな雰囲気に包まれる

こんなに素敵な多くの方たちに会えること 感謝せずには居られない
うたごえの終わりの時間に歌った 今日の日はさようなら 私は言う
私はここに居る皆さんを 勝手に私の友達と思い込んでいます・・と

いつまでも 絶えることなく 友だちでいよう
明日の日を夢見て希望の道を

信じあう喜びを 大切にしよう
今日の日はさようなら また会う日まて゜

この歌詞が好きである 歌を通じて いつまでも友だちでいたい
年代を超えて 男性も女性も みんな友だちでいたい
だから 日頃思っていることを素直に皆さんに語った



実はその前の晩 いつに無く眠れず 一時間置きに眼が覚める
まあ いつでも居眠りが出来る環境だからと 気楽には考えている
エアコンのことで 久し振りに脳が興奮していたのだろうか

皆さんに会うのに すっきりとしなくては・・
朝風呂に入って しゃきっとしてから出かけた
寝不足を心配したが 皆さんに会った瞬間から 笑顔が溢れてしまう

私には やはり歌の世界が 私に元気を与えてくれるのだと改めて思う
ピアノを弾けば 気持ちも弾んでくる
皆さんの若々しい歌声が 心地良い



92歳の女性二人連れが 開始1時間も早く現れた
席が後ろの方だと 見にくいのでと最前列に座った
まだ 他の方も見えない時間なので 少し会話が出来た

連れ合いはもう居ないが 私は元気で歌が大好きなのよ
先生はすごいね どんな曲でも弾けるから感心しているのよと言う
神様が一つだけプレゼントしてくれたのが ピアノを弾くことだったと答える

どんな歌が好きなの 誰も居ないから少し弾いて見ましょうかと聞く
あのね あまり歌わないけれど 戦時中の歌なんか好き 軍歌も好きなのよ
学校でも 軍歌は習ったと言う

実は彼女たちの居た小学校は 台湾の台北だった
当時は日本の委任統治下であり 日本と同じ教育がされていた
詳しくは分らないが日本の君が代も歌ったし 台湾の国歌も覚えているそうだ

因みに日本が委任統治するようになって 教育の場のトップは井沢修二であった
明治時代のことであるが 井沢は私の両親のふるさと 信州・高遠の出身である
子ども達に世界に通用するような歌をと 時の政府から課題を出され実現させた

童謡唱歌の父とも称される方が 台湾の最初の教育原点に立った
まだ日本でも義務教育が実施されていない頃 台湾で実現させた人物である
その後の教育水準は目覚しく高く 現在まで影響するほどと評価されている

彼女達は 今でも台北の小学校に寄付を続けているそうだ
その信念が素晴らしいと感動を覚える
それで何曲か軍歌を演奏した 懐かしいねと喜んでいた


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