若かりし頃の我が母校 青春の一ページを辿って見た
なんて書いたら格好良いが 憧れて三四郎池などを歩いた頃が懐かしい
東大構内と言うと入りづらい印象があるが ここは誰でも気軽に散策できる
龍岡門から入ると 東大病院関係の建物が続く
東大病院の病棟
まだ20代の頃は 秋になると下町からチャリンコで 朝早く訪れた
何の為に? 皆さんが笑いだすだろうが 銀杏拾いに行ったのである
ここで銀杏拾う人は滅多に居ない それが狙い目だった
江戸時代は大聖寺藩の上屋敷 一里塚の皿は九谷焼
1937年以前の建立銅像 何れも総長や教鞭を振るった方
まだ特定の彼女が居ない頃 ある女性はここの看護学生だった
付属の東大病院見学に行ったが 古い建物で薄暗い
健康な私は この病院へ入っただけで 病気になりそうだと当時は思った
構内生協にある東大野球部グッズ
神宮球場へ野球応援にも行った
当時も今も変わらない東大野球部 六大学野球では70.80連敗は当たり前
1勝したら大騒ぎになる負け将軍 それでも現在でも続いている
安田講堂
あの安保闘争の頃の安田講堂も懐かしい
ラジオで連日 安保闘争のニュースを流していて 青春の血が燃え立っていた
大して政治思想も持って居ないのに 時流に乗らなくてはと そんな程度である
夏目漱石の三四郎を読んでは いっぱしの文学青年を気取って 文庫本を購入した
そして ここの三四郎池も訪れて しばし 世を忘れて文学の入口に居た
全国を鉄道旅したが 脇にはいつも文庫本を携帯して 車内で読み耽ったものである
我が心のふるさと 東京大学!
薄っぺらな 寅さんの学問のようなものでもあるが はみ出しの想い出が溢れる
時代が流れても 構内の建物は変わらず 古木も緑の繁みも懐かしい
法学部
正門から入ったところ
本郷通りと赤門
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m