のびたとブレイク

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妹の 声が聴きたい 一周忌

2016年08月16日 07時53分24秒 | うたごえ

4人の子供を抱えて 生活を支える為に働いていた妹

そのころの妹は 肝っ玉母さんのようであった

愚痴などは聴いたことが無い 明るい性格で周りからも好かれている

 

私と一番気の合う兄妹 暇が出来たらぶらりと車を走らせて行き 他愛ない話をして帰る

誰にも話せない私ごとも 妹に話して理解を求め 共感を得てホッとする時もある

小学校低学年の時の 極限の貧しい時代 食べるものもなく栄養失調に陥っていたころがある

 

 

父は出稼ぎに行って 私にはもう会えなくなると諦めたほど私は痩せ衰えていたそうである

同じような妹と ある晴れた日 空を見ていたら 二人とも幻覚に襲われた

見るもの全て怪しく流れたり異様な色彩の連続 輪郭のはっきりしない生き物などが襲う

 

母にすがっていてもまだ襲う 母も手を付けるすべも知らず 二人の手をひいて村の寺へ行った

いつの間にか幻覚は消えて行った 成長してから 母もともすると 幻覚へ迷い込みそうだったと語る

そんな二人の思い出などを語りあうこと 他人に話しても信じては貰えないだろう

 

私と同じように歌が好きだった 二人で抒情歌なども歌ったりしたものである

だが いつの間にか 彼女はカラオケ教室へ通うようになった

演歌の世界は私とは離れたもので 決して 良いねとは思えない時期があった

 

それが めきめきと上達して 出場する大会で グランプリを何度も受けるようになる

いつしか私も 演歌も好きになって行き 大会のたびに応援に行った

結果は最終であり その前に帰る 優勝したよの嬉しそうな声が 翌日電話の向こうで弾んでいる

 

 

6年前 思い出も薄れ かすかな記憶の田舎 行ってみたいと言う

私も信州・高遠の山奥 車で行けるが 家の合った場所まではわからない

兄は記憶していると言うので誘い 3人で60数年前のふるさとを訪ねた

 

この林の奥が家の有ったところ 指差した先はゴルフ場の片隅だった

ここに埴生の宿があった ようやく雨風を凌げる屋根 隙間だらけの家は冬は雪が舞い込んで積る

空腹のときは 雪にしょうゆをかけて食べた こおろぎも 桑の葉も つつじの花も食べた

 

斜面の奥に家があり 月夜の晩のある日 外で歌を歌ったそうだ

母に聴いたことがある その声が下の村に聞こえて行って 翌日 村の話題になったよと言う

そうか ここが私たちの居たところ かすかな記憶と重なる 感慨がひとしおだった

 

田舎を訪ねた帰りに3人で・・諏訪湖SA

 

田舎へ行った3年くらいあとから 妹の目が急速に衰えていった

昨年などは 歩いていても信号が判断できない 見る世界がすべて歪んで見えるという

それでも好きなカラオケ 歌詞が読めないから 1番だけ歌うものを選曲して申し込んでいた

 

こんな時でも 人生を嘆いたり 目の見えない嘆きを口にはしていなかった

2.3度 車で房総など連れて行ったことがある 目が見えないではどうしようか思っていたのが昨年夏

9月になって 突然 義弟から電話 妹が急逝した 俄かには信じられないことだった

 

亡くなる寸前まで 近所の方と元気に話していたとのこと

遺体のある部屋にカレンダーがある 先の予定にカラオケ大会出場の大きな〇印が記入してあった

たまたま車に積んである キーボードを持ってきて 枕もとで私が演奏した

 

母や父 姉 弟 何回となく歌った讃美歌としての 真白き富士の根 である

聴こえるかい? お前一人に聴かせるからね

告別式では 歳甲斐もなく 号泣してしまった 母の時でも涙だけだったのに・・・

 

私のうたごえバスにも3人で参加した あざみの歌の八島湿原

 

昨日は 一周忌法要 車で埼玉まで行った

なんだか まだ他人事のように思える

部屋の妹の写真は 今にも私に語りかけそうだ 一緒に歌いたいね・・と

 

       最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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