のびたとブレイク

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ふるさとの 高遠歌で 蘇る   水森かおり 高遠さくら路

2019年01月15日 09時41分52秒 | うたごえ

ご当地ソングの女王とも呼ばれる 水森かおりさんが 今年 新曲を発表した

『高遠さくら路』 である 因みに彼女のご当地ソングは まだ歌われていない地は4県だけという

そして 100曲もの ふるさとの歌 が歌われているのである

 

https://youtu.be/XQbbSyYaYhI 水森かおり 高遠さくら路 ワンコーラスのみ

 

私の両親は この地で生まれ育った 高遠城からほど近い人造湖 美和ダムの畔になる

私は 疎開で この地から山を越えた 今では伊那市に編入された寒村であった

母の血筋が松平姓で 親戚から家系図の掛け軸を見せられたが 今は それがどの家かも分からない

 

 

高遠城 戦国時代から歴史があるが 一時は武田氏 そして 変遷を経て保科氏となる

この保科正之は三代将軍家光とは異母兄弟 家光はあるとき これを知りことのほか 弟を可愛がった

大名として出羽20万石を与え 更には 会津藩城主となる 

 

家光死去の際には 枕元に正之を呼び寄せ 徳川のあとを頼むと言われた

これを契機に 絶対の恩義を家訓として残し 戊辰戦争でも徳川方に忠義を示した

保科氏は姓を改めなかったが 後の代で 松平姓になる 愛知県には 家康のふるさとに松平が残る

 

 

江戸を建てる 先日の番組で見たが 玉川上水の開削は 保科正光が陣頭に立って 江戸の水を確保した

私が 下町のうたごえで時に触れるが 日本の唱歌の父と呼ばれる 井沢修二も 高遠の出身である

明治になって急速に近代化を進めるが 子どもたちに歌わせる歌は未知の分野 それに取り組んだ人である

 

 

絵画などは江戸時代もあり すぐ横山大観などによって芸術大学開港に結び付けられた

音楽は全くない わらべうたくらいである 政府が 音楽取調掛として井沢に任命 彼は外国に行き見聞を広めた

外国曲に日本人の歌詞を付けること 自身でも作曲をしたり 芸大の校長まで任された偉人でもある

 

 

7.8年前 私の妹が ふるさとを見たいと私に言う 私の記憶も定かでは無い 12月のある日だった

兄を誘って 日帰りではあるが 高遠と私たちが育った村をドライブで見て回った 60年ぶりの ふるさとだった

微かに残る想い出が現実の風景と結びつく そして3年前 妹は突然死 連れて行って良かったと今でも思う

 

 

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コメント (23)
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