別府と言えば温泉 地獄めぐり 豊富な源泉 海の幸 誰しもが思い浮かぶ
私も湯布院も含めて 4度ばかり訪れているだろうか 想い出が蘇る
現在の繁栄を築いた 市民が尊敬する 油屋熊八 誰? 聞けば思い出す方も多いだろう
亀の井ホテル屋上風景
テレビのバラエティなどでは既に知られている話 全国初の女性バスガイドが誕生した地でもある
先見の明 独特なアイデアと度量 数々の策が実行され 改めて その功績に感銘を覚えるものだ
昨日 FM銀河 てんがらもんラジオでは 現役ガイドの 向井明美さんが いつもの向井節で語った
まずは現在の別府温泉観光にご案内します 私も元添乗員です(笑)
別府には 源泉が沢山あるが 代表して別府八湯がある 時間に余裕がある方は巡ってみたら如何?
なお 以下の写真等は 全てネットからの借用です
竹瓦温泉 右は浜脇温泉 下左は亀川温泉・四の湯 下右は 鉄輪温泉 ひょうたん湯
上左 柴石温泉 上右 別府温泉・保養ランド 下左 堀田温泉 下右 観海寺温泉
別府温泉 浜脇温泉 鉄輪温泉 明礬温泉 亀川温泉 観海寺温泉 堀田温泉 柴石温泉 塚原温泉 県北の温泉
次に別府地獄めぐり (組合加盟 ほとんど観光コースはここ)
さて 別府温泉の父ともいうべき 油屋熊八 明治21年の生まれ 27歳には宇和島町議
30歳では大阪に出て米相場で富を築き 油屋将軍の異名までとるものの 日清戦争後に相場に失敗
35歳でアメリカに渡った 現地でキリスト教の洗礼を受けた その後 妻が身を寄せていた別府に住む
新約聖書の ≪旅人を懇ろにせよ≫ 今でいう おもてなしの精神を活かした 旅館業を始めた
現在の亀の井ホテルの前身である 外国人も多く泊まれるように 洋式ホテルに改築した
この外人たち あるいは観光客に 別府の案内をするために バス事業 亀の井バスを創業
ここで昭和3年 日本初の女性バスガイドを採用した そして定期観光バスも走らせる
ガイドは 七五調の案内と言うから面白い 今でも部分的に この七五調を紹介しているそうだ
当初 ホテルでは禁酒断言 飲む客は他へ行ってくれと頑迷に貫いたが 何年かして緩和した
左 昭和5年ころ 右 昭和45年ころ
別府宣伝のために キャッチフレーズを作成 『山は富士 海は瀬戸内 湯は別府』
これを標柱にしたため 富士山頂近くに建てたのを始め 全国各地に建てる
建設予定がなくとも 建設予定地と記してあるという 別府市内 福岡 大阪 東京にも標柱を建てた
サンフラワーが大阪から別府航路を開いたように 当時は大型船が着船出来ない港に 専用桟橋まで作る
やまなみハイウエイ 別府から阿蘇 熊本を見越して 長者原にもホテルを建設した
こうして全国屈指の別府温泉の基礎が築かれ 今では 観光客で大賑わいである
八代亜紀さん 16歳 九州産交のバスガイド このあと 東京へ
てんがらもんラジオ パーソナリティ 村永チトセさんの己書
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