のびたとブレイク

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故郷(ふるさと)を 語る歓び 窓開く (西馬音内盆踊り)の紹介

2024年07月19日 09時35分37秒 | うたごえ

秋田・羽後(うご) この言葉を聴いたら すぐに反応してしまう

大体 他の人に 羽後 と言って通じる方はいないだろう

私はいろいろの地名が一瞬に浮かぶ 横手 湯沢 本荘 由利 そして鳥海山

 

何より「西馬音内(にしもない)盆踊り」は 添乗員後半は夏になれば東京からバスで行く

小さな町が この時ばかりは 全国から多くの観光客が押し寄せるのだ

徳島 阿波踊り 岐阜郡上(ぐじょう)踊りと 日本三大踊りに国の無形民俗文化財でもある

 

昨日のうたごえで 参加者がふと触れた 羽後 大概は知らないで見過ごされる

私はつい興味で突っ込む 浮かんだ地名など挙げると 嬉しそう 知っている人が居る!

なんと その西馬音内出身の方 故郷を語り合う人が出たら 更に親しさが増すだろう

 

 

初めて会う人と いかに早く心に溶け込み会話が進むか

専門書籍もあるだろうが 私は 自分の体験から かなりの方と親しくなってきた

趣味の話も合うし ふるさとの話なら もっと話が拡がるだろう

 

添乗員時代 長距離バスに多く添乗依頼された バスガイドさんは付かない

ドライバーさんが二人 その上でのガイドとなると経費が掛かるのだ

添乗員の仕事は旅程管理 でも 私は観光の要所要所はガイドする 歴史も風習も

 

お客様には 旅先の地出身の方もいて 「添乗員さん こちらの出身? 良くご存知」

若い頃からの旅の経験や 好きこそものの旅や観光の知識だけは 深いかもしれない

趣味高じて「国内旅行主任者」まで 定年間際に資格取得までした

 

西馬音内盆踊り お勧めです 羽後町ホームページから資料お借りします

踊りの起源

西馬音内盆踊りの起源・沿革については記録されたものが全くないため、すべて言い伝えによるものです。

最も古い起源としては、鎌倉時代の正応年間(1288~93)に源親という修行僧が蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し、ここの境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。 

これに、関ヶ原の戦いで敗れ慶長6年(1601)に滅んだ西馬音内城主小野寺一族を偲び、土着した臣下たちが宝泉寺(西馬音内寺町)の境内で行った亡者踊りがいつの頃からか合流したと言われています。

また、踊りの場所が現在の西馬音内本町通りに移ったのは天明年間(1781~1789)の頃だと伝えられています。

 

hanui

編み笠

あいぞめ

彦三頭巾

hanui

衣装の種類 【端縫い】

藍染め

衣装の種類 【藍染め】

hayasi

本番での櫓の様子 

【西馬音内盆踊り】感動の素晴らしい最終日/The dance of a beautiful summer festival of Japan

 

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コメント (6)
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