小倉百人一首 に蝉丸と言う琵琶法師の歌がある
『 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 』
私たちは百人一首に飽きた時に坊主捲りをし この歌を捲った時 あっ 蝉丸 と嫌がった
謎多き人物で 逢坂に住んでいたと言う 京都の手前 今の滋賀県西にある
盲目であるが 光孝天皇の皇子説もあるが定かでは無い
管弦の名人で 源博雅が蝉丸が琵琶の名人であることを聞き 3年も通い続け遂に聴いたと言う
この琵琶が日本には行って来たのは奈良・平安時代 主に奏でる方と歌う・語る方とに分かれる
このうち 盲僧は後者の方であり 生きる手段の一つとして 江戸時代へと続く
琵琶法師の多くは天台宗に属し 低級の宗教者であり 仏説座頭 地神経座頭と呼ばれた
あの座頭市の座頭である 地鎮祭や竈(かまど)払いの儀式を行った
私たちが知っている 京都・比叡山 最澄が開山の折り この座頭がいわゆる地鎮祭を行う
この人物は 鹿児島の カトクドン カドザッツ と関連する
島津忠久が守護に任命された際 逢坂山にあった 妙音時常楽院(現在廃寺)
この僧侶・宝山検校(ほうざんけんぎょう)を伴って 鹿児島に下向 中島常楽院を建てた
視覚障碍者の僧侶しか入れない 「盲僧寺」 であり歴代の住職は楽器の達人だった
戦国時代 15代当主 島津貴久によって 薩摩 大隅 日向の監督寺となった
そして歴代薩摩藩主の帰依も高かったと言う
その寺も 明治の廃仏毀釈によって 現在は 宮崎県日南市にある
さて カトクドン 薩摩藩は門割り制度で檀家を割り振った
盲僧たちは 年に数回 村々の檀家を廻り お祓いをして 布施米を貰い収入源とした
これに属さない僧がカドザッツ カトクドンと違って収入保証は無く 自分の芸で門付けに廻る
村に一人づつ居たカトクドンは 頭の上に 布施米の詰まったザッツブクロ(座頭袋)を乗せて
高下駄を履き 杖に鈴を鳴らしながら 一家の安穏五穀豊穣を祈って廻る
琵琶は 盲僧用の笹琵琶である 因みに 日本には5つの形態の琵琶がある
こうした薩摩藩の恩恵と違い 各地の盲僧は 門割り制度も無く 流浪の日を送る
遊芸琵琶法師も多く居たそうだ 盲僧たちはお祓いが終わると 囲炉裏端で焼酎も飲んだか
遊興などは 「崩れ」 滑稽物はチャリと呼ぶ 肥後琵琶では余興で笑い話もしたと言われる
昨日のてんがらもんラジオ ゲストは地元 歴史研究会の池田会長
この方の話を中心として まとめてみた 写真や記事はネットからの借用 引用でもある
中島常楽院の妙音十二楽は 今年で最後の年となるようだ 盲人僧は今は絶えた
YouTube 下町のうたごえ 君恋し バンド コーヒーブレーク
https://youtu.be/DOzbG3hv3IY 私はキーボード
昨年5月のもの 新しいブロ友さんへ 再登場させます 参加の皆さん綺麗な歌声です
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今でも盲目で不自由な生活をしている方たちが居ますね
福祉である程度 介助されますが ホントはこの眼で社会を見たいでしょう
山中教授のIPS細胞の発見 特に眼の分野で応用が拡がっていますね
病にある人には救世主です
全盲の方たちと うたごえの会を設けたり 日帰りツアーを企画して実行したことが有ります
歌に関しては 研ぎ澄まされたものであり かなりの緊張も私にはありました
添乗でも 言葉の使い方が苦労でした
健常者には何気なく使っている言葉が たとえば 色をどういうか 遠近 河川 花 すべて伝えるのに苦労でしたね
ひろさんは 時には落語を聴いていたのですね
以前 そんなことをブログで見ました
スケッチガ主ですが こうして いろいろの見聞も 感性の幅を広げるでしょう
薩摩琵琶を聴いたこと 貴重な体験ですね
私も一度だけ 宇治の夕闇の中 舟で 源氏物語宇治十帖を聴いたことです
語り琵琶は大きめでした
百人一首で坊主捲り これは面白かったですね
蝉丸が 一番嫌われました 但し ゲームの中ですね
始めましてkazahanaさん
私もブログや情報など 楽しみに拝見させて頂いております
詩吟も腹式呼吸 健康にも良い趣味ですね
添乗員をしていた時に 詩吟の団体ツアーに添乗したことが有ります
富士山が近い足柄SAでは 皆さんが富士山に向かって朗詠していました
琵琶での想い出は 添乗ですが 宇治川に舟を浮かべ 夜の闇に 源氏物語宇治十帖を琵琶の弾き語りで聴きました
名前は忘れましたが 女性の方でした
これからも よろしくお願いします
池田さんの話を中心に 放送を聴けない方たちにも興味が湧くようにまとめてみました
収録が一周づつずれているので これも大変なことでしょう
蝉丸の不思議 多分 眼が見えていたのでしょう
一説 多説? によれば 女性の恨みを買って失明したが 最後は開眼したとの話もあって 私は謎の部分が好きです
古典芸能 私も疎いです
百人一首は 雪の深い信州の山奥で このくらいしか楽しみがありませんでした
全盲の方たちとの交流もしばしありましたが 繊細な神経でした
まだヘルパーさんたちに助けられていますが 介助が無くなったら大変ですね
こんかい山中先生のIPS細胞移植で一番
進んているのがこの 目 ですから
何年か先には 彼らに光が戻るかもしれません
彼らの研ぎ澄まされた五感は我々の域では
ありませんよね・・
以前、落語会の中で薩摩琵琶を少しだけ聞きました。
それ以来琵琶とはご縁がないままです。
百人一首の坊主めくり、孫も蝉丸が出ると「あれ~」です。
なぜか好かれませんね。
はじめまして!
ブログ面白く拝見しております。
下手ですが詩吟をしてます。(日本国風流)
下手ですが「蝉丸」を練習中です。宗家は琵琶出身だったそうです。
琵琶のことも蝉丸のことも詳しく知りませんので
とても参考になりました。
これからも色々教えてください。
有難うございました。
4時ごろ寝付いて、9時半に目が覚めました。
ありがとうございます。私もいつものことでゲストさんの話が聞き取れてないのでとてもありがたいです。
今日のスタート今からです。
取り急ぎ頂いて帰ります。
面白く拝読させていただきました。
この歌を作った時は目が見えていたんでしょうか?なんて余計なことを思いました。
浄瑠璃や歌舞伎などでも、蝉丸を題材にしたものが伝えられているということですが、古典芸能に疎く全然知りません。
でもこの歌はリズムが良く暗記には覚えやすかったです。
目が見えない方は心の目がよく見えるので人を見る目に狂いはないようですね。