テレビの番組で『新日本フィルモニー50周年 佐渡裕音楽監督就任』を見た
新日本フィルのコンサートは何度か聴いたが 佐渡裕さんはテレビでしか見ない
今年4月 世界の指揮者が 墨田区に拠点を置く 新日本フィル音楽監督に就任する
佐渡裕さん 下町に音楽の溢れる街を 墨田区の音楽大使にも就任された
私が うたごえで利用させて頂いている 本所地域プラザの入り口にも等身大が立つ
背は180cmと大柄で 世界の指揮者 音楽愛に溢れる力を醸し出す
墨田区・錦糸町にある 「トリニトフォーホール」新日本フィルの本拠地でもある
昨年暮れ ここで ヴェートーベン第9交響曲・合唱付きが フル編成で開催された
ホールは超満員である コロナ過で各交響楽団も解散や縮小を余儀なくされていたものである
入場規制 感染対策で どこも開催が殆ど無く 交響楽団などは維持できないと聞いて居た
なんとしても 解散させず 下町の人々にも音楽を絶やせてはならない 佐渡裕さんの決意
小中学校の音楽にも力を入れていた 東日本大震災の時は 子どもたちと現地を激励に廻る
さだまさしさんとの交遊も この時から更に深まる 佐渡裕さんは海外でこのニュースを聞いた
この番組で お二人の競演も聴かせて貰った 佐渡裕さんはフルートの演奏と 歌まで披露
曲は さだまさしさんの『案山子』私も大好きな曲である 貴重な場面でもあった
ヴェートーベンの時代も 疫病の大流行 戦争は各地で起きていた
第9交響曲は 人類を音楽で繋ぎ 分断も解き放ち 平和にこの地球で暮らそうと謳いあげた
「トリニトフォーホール」での第九は そのメッセージを私たちにも与えてくれたと思う
今週金曜日 このホールで 『海上自衛隊東京音楽隊・第62回定期演奏会』を聴きに行く
抽選で当選 私にとっては 60数年ぶりの海上自衛隊の演奏で わくわくとこの日を待つ
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私も佐渡裕さんはテレビでしか見たことがありませんが、その指揮ぶりを直接観ることが出来れば幸せな気分でいっぱいになるでしょうね。
「海上自衛隊東京音楽隊」は何を聴いてもいいですね。
ラデッキー行進曲をはじめいろいろな行進曲を聴いてみたいものです。
音楽っていいですね・・・
郷里の高崎には群馬交響楽団がありました。
昭和29年くらいだったでしょうか、「ここに泉あり」の映画の楽団でした。
なつかしい岸恵子、岡田英次、小林桂樹、加東大介、山田耕筰の出演でした。
高崎は音楽が盛んな町でした。群響のメンバーが学校まで来て演奏してくれました。
学校では自分もクラリネットを吹いていました。
ハーモニカも半音スライドのクロマチックでした。
のちにFM八素子のアンテナでクラシックのエアチェックも欠かしませんでした。
書き出したらきりがありません。
川柳より音楽が好きです。(?)
興奮して長々すみません・・・・(笑)
今年 新日本フィルの音楽監督に就任 墨田区の音楽大使にもなり もっとも身近な人になるでしょう
存続も危ぶまれた交響楽団が こうして維持継続されることも日本の文化に大きな貢献です
海上自衛隊音楽隊についての私の縁・・私は高校は墨田区内の定時制に通っていました 昼間は町工場で働き 夜は勉強です 苦しいとか嘆きはありません
ひとつ寂しかったのは 昼間の生徒が体育祭や文化祭 部活動など生き生きとされているのに対し 夜間には何も無かったのです
私たちも文化祭のような記憶に残る何かが欲しいと 電話帳で調べた音楽隊にはがきで想いを綴りました
なんとトップの目に留まり 自衛隊音楽隊がフル編成で来てくれたのです
ジープが何台も大勢乗せて そして無料での演奏です
たった一人の夜学性の望みを叶えてくれたのです
その時の演奏以来 60数年ぶりに聴くことが出来ます 感無量ですね
心が瞬間に一つになりますね
群馬交響楽団の『ここに泉あり』私も見ましたよ
音楽に対する目覚めの時期でした
自然がいっぱいの地方で 交響楽団の活動 素晴らしい青春の情熱のようなものを感じました
春爺さんはクラリネットの演奏 すごいですね
現在は楽器演奏は続けていますか?
私は義兄が買ってくれたキャラメルの箱の中のカード 集めて応募 ハーモニカを手に入れました 小学校6年の時です
学校では音楽には入っていません
自分で覚えて これだけは人前でも吹けるようになりました
青春時代はハイキングなどにも持って行ったり 60を過ぎて添乗員になれば 毎回持参してサプライズ演奏してお客様に喜ばれ ハーモニカの添乗員と関係者には有名でした(笑)
この間 ハーモニカは多分20本以上買い換えたかも知れません
音楽は良いですね 私も一緒に話したら 止まりません
また語り合いましょう