テレビで録画するのは 歌番組 旅の関連 映画 サスペンスドラマが殆どだ
自由な時間に見られるのが便利だ 時には 途中で止めたり 見たりする
昨日 見たのが 名曲の誕生秘話だった
舟木一夫さんの歌う 高校三年生 次の世代に残したい曲にも選定されている
私たち 高齢者にとっても この歌は懐かしく 介護施設でも皆さんが生き生きと歌う
若い方も歌えるし いわば 国民の愛唱歌と言っても過言では無い
【作詞】丘 灯至夫
【作曲】遠藤 実
1.赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に はずむ声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも
2.泣いた日もある 怨んだことも
思い出すだろ なつかしく
ああ 高校三年生 ぼくら
フォーク・ダンスの 手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が
作詞の 丘 灯至夫さんがフォークダンスを見て 衝撃的印象を受けた
この話は有名であり 私もうたごえの機会には 解説をする
そんな話に加えて 舟木一夫さんが丹誕生秘話を語っていた
私にとってのフォークダンスは 定時制高校に通い それも男子校で有った
当時 サークル活動が各地で盛んになり その一つに初めて参加したものである
初めて女性の手を握り 踊ることは それこそ どきどきしたものである
丘 灯至夫さんが東京へ出てきた時に 高校生がフォークダンスをしているのを見る
その印象が新鮮で且つ青春のイメージとなって ふつふつと歌詞になって行った
今 歌っている高校三年生の歌詞とは違うものであった
既に この頃は 高原列車は行く 憧れの郵便馬車など 彼の作品はヒット
一方 所属するレコード会社は 他社に 橋幸夫 などスターを先行されていた
従って 社命を掛けて スター誕生を発掘したいと 必死になっていく
一方 舟木一夫さんは まだ高校在学中である
ある日 松島あきら さんのコンサートを聴きに行き ヒット曲 湖愁 を聴いていた
その時サプライズで 誰か一緒に歌う人?と会場に声が掛けられた
迷わず舟木さんが手を挙げて 一緒に歌った
この時 会場に居たレコードディレクターの眼に止まる
これだ この彼をスターに売り出そうと決める 運も偶然に作用するのだ
彼を売りだすのに 丘 灯至夫さんに何曲かの作詞を依頼する
丘さんは 構想を練るうち ふと既成の高校三年生を眼に止めた
舟木さんも高校生 その歌詞をあっという間に書き換えた
これだけは新しい曲に活かしたいと思ったフレーズかある
フォークダンスの手を取れば 甘くにおうよ黒髪が この部分である
こうして 歌詞は出来て 次は 作曲の 遠藤実さんにタッチされた
数曲ある候補曲の中で これだと閃いたのが 高校三年生である
貧乏な家庭に育ち高校にも行けなかった遠藤さんが 心の中で憧れていたのだろう
こうして大ヒット曲が誕生した
フォークダンスを見て歌詞が浮かび その歌詞を見て自分の憧れを曲にする
たまたま 松島あきらさんのコンサートに来ていて 歌の能力を見出された
世の中は 実力とともに 運も大きく影響するものだと私は感じた
小野町の 夏井千本桜 ツアーでは良く行く桜の名所
丘 灯至夫さんは 生まれた地は 福島県の阿武隈洞に近い小野町である
ただ その後は郡山に出てNHKのアナウンサーを経て 毎日新聞の記者となる
現役でありながら 作詞活動に入り 次々とヒット曲を完成させた
東京のバスガール 高原列車は行く 憧れの郵便馬車 などがある
新聞記者の使命は 押しと顔 である
これを逆さまに読むと オカトシオ ペンネームの由来である
写真はお借りしました
高校三年生の歌碑は 郡山駅前にあり 除幕式には 舟木 遠藤 丘の3人が揃った
丘さんのふるさと 小野町に 記念館が出来て数々の曲や遺品が並んでいる
新潟には 作曲家の遠藤実記念館があり 双方とも訪れていない いつか行きたい
今日は下町のうたごえ この曲のリクエスし出るだろうか
そして フォークダンスの曲の 楽譜も探しだした
藁の中の七面鳥=オクラホマミクサ 行商人=コロブチカ マイム・マイム
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
人生 運も味方したりしますね
松島あきらさんのコンサートに 舟木さんが行かなかったら この縁が結ばれませんでした
学園ソングも この後出来ましたが 何か胸がキュンとしましたね
そのようなことがあり舟木さんがデビユーされたのですね、
松島アキラさんの湖愁懐かしいです
私が初めて歌謡曲を覚えたのが
この歌です、舟木さんの歌も沢山ヒットしましたね、あの頃の歌は
よく覚えています。
まだまだ中学生恋も何も分からない
憧れみたいな感じで歌っていましたね。
あはは 原曲はそちらでしたか(笑)
初めて知りましたよ
次の機会に皆さんに披露しましょう
次の歌詞を教えてください
高校3年生よく知ってますよ。
あ~かい梅干しご飯を染めて、しゃけの陰からと、替え歌も楽しんでましたよ。
懐かしいですね。
フォークダンスもあったのですね 良い想い出でしょう
純情 この言葉が似合いそうな時代でした
皆さん ちょうどこのころ 高校生か中学生ころだったのでしょう
フォークダンスも踊られましたか
懐かしい想い出ですね
人には運もあるのだなぁと 思いました
ドラマの様な偶然の重なりです
いろいろな偶然が重なって そして実力があって この曲が誕生しました
高校生の修学旅行なら この歌が一番ですね
この時代を思春期と呼ぶのかなぁ(笑)
衝撃のデビュー 大ヒットの曲でした
ビートルズもこの頃でしたか
私は何を聴いて居たのか余り思い出せません
もしかしたらクラシックに聞き入っていたのかもしれません
あれ 舟木一夫さんを知らない世代?ジェネーレーションギャップを感じます
では お母さんと私が同世代かな(笑)
とても爽やかな歌と歌手でした
中学時代に流行って居ましたか
私は高校生だったかな
異性に目覚める頃ですね
運を持っている方は偶然を引き寄せますね
ただ実力も持っていないと これを活かせませんね
あれっ この歌を知らないのですか(笑)
あの頃は青春歌謡が花盛りでしたね。
フォークダンスは学校祭のお楽しみでもありました^^
あの時代は人の心にも余裕があったように思えます。
皆さんの青春真っ只中で歌われていたこの曲
フォークダンスも楽しいイベントでしたね。
クラス会の時は必ず誰かがこの歌を歌います(^^♪
私は高校2年生の時までこの歌の存在を知らずに
いました。
歌っている舟木一夫さんを初めて見たのは夏休みの
期間中でお昼のTV番組の中でした。
皆さんがおっしゃるように、色々な偶然が重なって心に残る曲が生まれたのですね。
私といえば、この曲が生まれた頃はまだまだ小さかったと思いますが、でも高校の修学旅行のバスの中で『やっぱりこの歌、唄わないとね!』となって、皆で大合唱したの覚えています。
自分の高校時代の甘酸っぱい思い出が(*v.v)。。。甦ってきました(^^)
教室でも一番人気だったと思います
σ(^^)といえば、その頃はビートルズのファンでした(^^;
こんな偶然が舟木さんをスターにしたんですねぇ
やっぱり運が強い人ですね
60歳を過ぎて、遠藤さんの記念ツアーを見に行った時
舟木さんが「高校三年生」を歌われました~~♪
とても懐かしかったです(^_-)-☆
舟木一夫さんを、知らなかったのですが
母が、口ずさんでいるので聞き覚えがあり
その後、TVで舟木一夫さんを拝見して~
その時の歌声は、爽やかな印象で素敵でしたね。
母とは、違う歌だわぁ~なんて思いました(笑)
高校3年生
懐かしいです。
私がまだ中学時代に
よく歌っていました。
ソフトボールの試合に
出かけた他校の教室を
思い出しました。(^^♪
生まれたのですね・
偶然の不思議さを思います。
偶然ではないのかもしれませんね
高校三年生ちらっと聞いたことあります。
印象深い歌でした。・