お彼岸と言っても 不精な私には スーパーで並ぶ ぼたもち が食べたくなる
甘党であり 正月はお餅や汁粉 彼岸のぼたもち 節句のかしわ餅など何故か食べたい
現代は 季節を通じて食べられるようになったが 多分 昔の風習が刷り込まれてのかも
部屋には 両親の写真がある そして姉が3人 弟妹と姪っ子 向こうは賑やかだ
たまには花を飾るが だんだん高価になってきて 滅多に飾れない 気持ちで良いかぁ
でも 写真に向かっては 心で結構語りかけている 今日も無事 健康に感謝など
その写真たち 随分 色あせてきた セピア色を遥かに通り越して 白く霞んできた
でも それもいいか 気持ちの中に生きているから・・
両親はクリスチャンで終わった 私はどちらかと言うと無信仰だが 信仰は良いもの
仏教も キリスト教も たとえ ヒンズー教でも 神仏に祈ることは人間として自然だ
牡丹餅でも買ってくるかなぁ しょうが無い奴だと 笑わないでおくれ
家にピアノが無いけれど せめて 今日は「千の風になって」の楽譜を開こうか
千の風になって 歌:秋川雅史
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解かりませんけれど
いつも彼岸の入りは、白玉をゆがいて
餡(既製品)を かけて供えてます。お墓参りは、だんごなど。
この歌を始めて聞いたときは、涙がとまりませんでした。
バックに、岩手山と一本桜が。
しばらく見てないですが 行きたいなぁ・・・
え?秋川さん歌手を辞めたのですか?@@
食べて満足するのは、のびたさんで、写真の前にお供えした牡丹餅で満足するのは、ご先祖様。みんなが、幸せ!(笑)
私の家には、お仏壇がないので、写真と般若心経書いて、お花がある時はお花、果物でもお饅頭でも、ある時にお供え(置き場)にして、私は美味しく頂いています。(笑)ご先祖様が喜んで下さっていると思えばそれでいいのだ。笑顔の写真は、良いよね。(⋈◍>◡<◍)。✧♡
素敵な歌詞とメロディです
歌詞はもともとアメリカにあった詩です
日本の新井満さんが訳詩と作曲をして大ヒットです
鎮魂歌は この世に居る人が あの世に居る人のために送りますが この歌は逆にあの世の方が この世にいる私たちに向かっての鎮魂歌になるでしょう
そう思えば 誰かが亡くなられても心の哀しみが癒されていきます
両親や家族 写真だけ飾り 毎日眼にしています もう白けて見にくい写真も・・・
花をあげるのは 年に数回かなぁ
歌っている秋川雅史さん 更にジャンルを拡げていますが コンサートも5月にはあり 歌手活動は続けて居ます
因みに 新井満さんは 文学や作詞 歌手迄幅広かったですが 2021年12月に亡くなられました
千の風になって あの世から私たちに呼びかける逆の鎮魂歌 これに依って随分救われた方が多いでしょう
いつも そばに居ます この言葉に癒されますね
岩手山と一本桜 添乗ではご案内しましたよ
そして小岩井農場と近くの温泉も 懐かしいです
秋川雅史さん 歌手を辞めるのではなく ジャンルを拡げたと言う方が合っているでしょう
5月コンサートの予定も確認しました
写真の前に 食べ物を飾る 供える いままで考えたこともありませんでしたが これもありですね
仏壇が無く写真を・・ここまでは一緒!
皆さん 真面目に供養したり それが優しい心を育むのですね
「千の風になって」を初めて聴いた時、私もミルクさんと同じで、号泣してしまいました。
「風になって、雪になって、星になって あなたを見守る・・」いつも自分の身近な場所で自然のモノになって見守っていてくれるなんて、なんて素敵なことで、ホッと嬉しくなりますね。
もう一つの曲、「手紙 ~親愛なる子供たちへ~ (樋口了一)」の歌も、亡き母の数年後に初めて聴いてボロボロ泣き崩れてしまったのを覚えています。
のびたさん、この歌もご存じですか?
時には花を飾りますが 母や妹に綺麗だろ
と声をかけますね
供養にはなっていると思います
いつも見守って居られる そうですよね
今 幸せなら喜んで 今 病気なら一緒に哀しんでいるでしょう
千の風になって 亡くなられた方が 私はいつもそばに居ますよ こう 語りかけて貰うことに哀しみも薄れますね
「手紙 ~親愛なる子供たちへ~ (樋口了一)この歌は知っていますが メロディは歌えません 難しいですね
ただ 高齢者には この歌の紹介はしません
何故なら 私も含めて 近い将来に 歌の歌詞のように 認知症になるかもと 心の中にはいつも不安を抱えているからです
生きている間 せめて楽しいと思う時間を ひと時だけでも 共有していきたいのです
介護されている方が居られたら その日常の葛藤も この歌によって 少しは救われるかもしれませんね