のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

カレーライスにはソースだよ!ふつうが一番 藤沢周平の世界

2016年07月16日 08時56分23秒 | 旅行

久しぶりに カレーライスにソースを掛けるシーンを見た

10日くらい前に放映されていた映画 ふつうが一番 藤沢周平さんの娘さんの父を描いた原作による

いまでこそ カレーライスにソースを掛けないが 昭和30年代は ふつうであった

 

 

家でもそうだが 食堂でもテーブルにはソースが置いてある

カレーが来ると まず一番に 全体にカレーを掛けて その味とカレーが抜群であった

もっとも 最近のようにカレーの種類が多かったり 肉などの具があるわけではない

 

殆どさらっとしたもので 申し訳ない程度にジャガイモの塊が顔を出している

いつから 無くなったか 自分でも止めたか 全然覚えていない

だが ソースを掛けることだけは 現在にも他である

 

私は ソースと醤油 どちらかと言うと殆どの場合 ソースを掛ける

カツ フライ 天麩羅 時にはサラダにも ソースである

一回だけ失敗して 刺身にソースを掛けてしまったことが昔あった これだけは不味かった

 

関西や淡路島を旅したときに ソースカツ てんぷらにソース などの声を聴いた

私は嬉しくなった どちらかと言うと 西の方が愛好者が多いのか

東へ行くと あまり聞かない 醤油が圧倒的に多くなるのだ

 

映画の話に戻る 藤沢周平さんが掛けたのは醤油である

出身地は山形県鶴岡市 ここにまつわる小説が主流である

対して 後妻となった彼女は一瞬驚くが 自分はソースを掛けて場を和ませた

 

先妻は結婚してすぐ この娘を産んだのち がんを発病 28歳の若さでこの世を去った

藤沢周平さんは この時 彼女を追って死のうとまで思った

彼女ひとりで三途の川を渡るなんて寂しかろう 俺が一緒に寄り添ってあげよう

 

こんな想いを聴かせられると 私は一気に感涙である

簡単に男女が知り合い愛し合い そしてすぐ別れることも多い時世だ

ましてや 不倫でさえ 愛さえあればと言う風潮が私には どうしても受け容れない

 

歌の世界でも 不倫を歌うもので 好きなものも結構浮かぶ

だが それはドラマや妄想の中で留めて欲しいと 心の中でいつも思う

もしかしたら 自分が離婚と言う失敗で そんな夫婦の純愛を心で求めて居るのかもしれない

 

彼は死ぬことを思いとどまり 小さな業界出版社に勤めた

朝夕は 娘の保育園の送迎である 会社のお付き合いも全てしないし出来ない

編集長にしようかと言う社長のお誘いにも 娘優先で断り 勤めと家庭の二重生活だ

 

 

そんな彼を見ながら 想いを寄せたのが 後に後妻となった妻である

彼女の父親は猛然と結婚に反対した 勿論 収入も覚束ない彼と 子持ちであれば当然だ

しかし こんな父親を説得した 先妻を追って死のうとした一途な彼の心が揺り動かした

 

 

小さな娘と 姑との生活が始まる 

藤沢周平さんは勤めているうちから 秘かに小説を書いていた

社長も社員も皆が知っている公然の秘密であり 理解者でもあった

 

 

何度か 直木賞の候補には上ったが 3度も本選で落ちた

それでも家族で支え 会社の方たちも皆で支え 遂に直木賞受賞の知らせを受けた

平成9年に69歳で亡くなったが その幼かった娘が小説として父を描いた作品でもある

 

 

 

  最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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パソコンの向こう側にあなたがいる

2016年07月15日 07時42分22秒 | ボランティア

ご心配おかけしました 今朝は普通に戻って居ります 

沢山の方がご心配されて それぞれのあたたかい言葉を下さったこと 感謝しております

そして 言葉にならなくても 訪問して下さったことが 数字にも表れてお気持ちが嬉しいです

 

他人の不幸は蜜の味 ワイドショーなら悲しみにある人の内情までどかどかと踏み込む

幸い 私の周りの皆さんは あたたかな心情が常日頃感じられる方ばかり 幸せなことです

しみじみ パソコンを通じてではあるけれど その向こう側の あなた を感じられます

 

私のブログ コメントには必ずリコメを入れてきました

ただ 昨日一日は 眼を休めることに専念 パソコンも時間を置いて開くばかり

お一人づつ 感謝の言葉を返したい気持ちは ここでまとめて記すことでご容赦下さい

 

一昨日の介護施設での絶不調 私の原因としては 揺れるキーボードの台にある

片脚型のワゴンが 演奏するたびに かなり揺れて楽譜が読みづらい これが車酔いと同じになった

数年前までは うたごえバスツアーにキーボードを積み 走る車内で演奏し続けたものである

 

それでも酔ったり気持ちが悪くなったことは無かった 

眼の状態が悪いのと 回復力の遅さが増したのだろう 心配下さったメニエルもあるかも・・・

昨日は 踊りのグループと 近くの介護施設に行った

 

 

ここでもキーボードの台は 前日と同じような ワゴンを借りて載せる

多少の揺れはあるが 何とか無事に切り抜けて 皆さんを楽しませることが出来た

荷物まとめて皆さんに手を振ると いつまでも 大勢の方が手を振って有難うと言ってくれる

 

 

帰ってから パソコンしないと手持無沙汰 テレビの移動を始めた

ベランダに近く 陽射しが当るとまずいし クーラーの水が下に落ちてくるから退避もある

あれやこれや動かして テレビを点け 録画の映画でも見ようかと思ったら反応しない

 

何が原因か分からない やみくもにリモコンを作用して居たら 外付けハードディスクが初期化

これまで暇があった時に見ようと録画してあった20本くらいの映画 旅番組など消えてしまった

あ~あ でもいいか 今日から4日間予定無しだ ごろごろ生活をしよう

 

 

  最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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ボランティア中にめまい 酔い 絶不調に陥った

2016年07月14日 08時27分29秒 | ボランティア

昨日は 音楽訪問中に どうしようもない絶不調に陥った

眼は 廻るし 車酔いの様な感覚で 進めながら倒れてしまうかななんて不安がよぎる

初めての経験で のびたの人生 これでジ・エンド かと演奏しながら思った

 

約1時間の受け持ち時間 皆さんは楽しそうに歌っている

何とかトークもしながら 早く時間が来ないか それだけを願っていた

読まれている皆さんも心配してくれると思うが(いないかな・・笑) 原因があるのだ

 

散歩中の花

 

この施設へ行く時は テーブルが用意されている

このテーブルの高さだと キーボードを置いても低い位置にある

楽譜を置いても見にくく 低い分 楽譜が遠く感じられる

 

私の眼は白内障手術後 眼鏡で矯正しているが 遠近にもなっている

見る位置によって焦点が合わない だから高さの位置は重要な意味がある

正常に高さも十分であれば 視力は1.0とかなり良い

 

いつもはテーブルの上に高さ調節用の箱状の物を持って行き この上にキーボードを載せる

ところが昨日は この調整用箱を持って行くのを忘れたのである

テーブルの上に直接載せて 弾いて見るが 微妙に楽譜も鍵盤も見づらい

 

 

ふと見ると施設のワゴンが近くにある 両脚型では無く 片脚で高さが調節できるタイプだ

これが丁度良い だが進行していくうちに気分が悪くなってきた

キーボードの鍵盤を押すたびに ワゴンが微妙に細かく動いて居るのだ この振幅がずっと続く

 

私は楽譜が無いとある程度弾けるものもあるが 自信が無い

楽譜が揺れ動いているので 五線譜のオタマジャクシが どの位置にあるのか見づらい

演奏中にキーを外し間違いに気づき直すけれと゛ これがたびたびだった

 

大概の利用者さんは分からないと思うが 聴く人によっては はっきりと分かるはずだ

揺れる楽譜 見づらいキーボードの鍵盤 ピアノより若干鍵盤幅も狭い

かくして めまい 乗り物酔いの状態になってきたのである

 

 

この時間が長かったので 終わってファミレスで休憩していても 気持ちが悪く落ち着かない

家に帰ってパソコンしたり テレビを見ていても 落ち着いてきてはいるものの少し悪い

寝ていたら このままあの世行きかなと思っていたが 今朝 気持ち良く眼が覚めた

 

 

今日も 恒例の踊りのグループとボランティアに行く

ここでも ワゴンを借りて演奏するが 揺れはあるが 昨日の程では無い

元気な方も多いので 楽しくうたごえの伴奏をして来よう

 

 

  最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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ほたるの宿は川端やなぎ~この歌を歌えますか?

2016年07月13日 07時44分38秒 | ボランティア

今週の3日続きの介護施設訪問で 昨日は江東区の東南にある施設へ行った

途中 事故渋滞もあり 少し到着が遅れてしまった

着くとスタッフ以下 先生がまだ来ないと心配した居た様で来ました~と大きな拍手が起こる

 

ここは今まで私がひとりで行き 歌詞を書いた模造紙をスタッフの方が貼ってくれる

ボランティアの相棒が プロジェクターを持って行ってくれた

これで写しだす歌詞やカットは 模造紙と雲泥の差があり 皆さんが喜んだ

 

きれいねぇ 歌が変わるたびに カットなどにも反応を示す

笑顔が拡がると 私も嬉しい いつもよりトークも冴えてくる

そして みんなに大きな声で歌って貰うことが 私の目的でもある

 

単調な施設での毎日 どこへも出かけられない方たち 心の中でも諦めやストレスもあろう

音楽療法にも関連するが 自らが声を発して歌うことに 意義がある

そして それが楽しいと思えば 癒しにもなり生きる意欲の力にもなることは証明されてきた

 

選曲も個人の好みより 皆が歌える歌を優先する

中には 元気な人が自分の好きな歌手の 皆が歌えそうもない曲を要望があり私を困らせる

この場合は 始まる前の音出しの調整で 弾いてあげたりして何とか交わす

 

そのため 童謡唱歌 懐メロを殆ど入れて 毎回重なっても歌って貰う

時には季節に合わせた歌を 初めに取り入れる

季節感を味わえない皆さんに せめて歌の世界で 心の旅を促す

 

 

今は たなばたさま 海 我は海の子 などが季節に合う

昨日は 唱歌の ほたる を入れて見た

誰でもが知っている あの ほたるのやどは かわばたやなぎで始まる歌だ

 

 

ところが あまり歌声が聴こえて来ない

廻りで立って歌を支援するスタッフさんも 良く知らないと言う

どこかでも試みたが そこでも同じだった

 

 

小学校の教科書に昔は載っていたものと思う

どこかで 学校では教えてくれない空白の期間があっただろうか

皆さんは この歌を歌えますか 知っていますか 是非教えてください

 

 

 

 

  最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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垂乳根(たらちね)の母を想わす老木が ほおづき市を見守りぬ

2016年07月12日 09時07分50秒 | ボランティア

たらちね 何か郷愁を呼ぶ言葉ではある 短歌などにはあったことを想い出す

ほおづき市の賑わいを真近に  浅草寺の裏手に周ると そこは静けさの内にある

何本かのイチョウの樹があるが 戦災をも生きぬき 緑の葉を茂らせている

 

イチョウは火伏せの樹として知られ 実際に火災をこの樹によって防御が出来る

関東大震災 東京大空襲では眼の前の隅田川には多くの犠牲者が浮かんだ

助かった方たちは  浅草寺の境内で身を寄せ合っていたが この樹がどんなに励ましたか

 

見上げると緑の間に イチョウの実が梅の実くらいに沢山生っていた

 

そのうちの一本に 思わず眼が留まる 何の表示も無いがじっと見つめる

これが たらちね の語源になるのかとしばし思う 短歌では有名な枕言葉ではある

枕言葉 特に意味も無いが リズムを整えるもので これは そのうち特に印象に強い

 

 

私は俳句も短歌も川柳にも 全く向いて居ないしセンスが無い

それでも他人の作品には いつも感銘を受けるし さすがだなぁと思うばかりだ

家に帰って 気になる たらちね をネットで調べ 少しは知識の補充を試みる

 

たらちね 母の垂れた乳 そんなに軽いものではない

子どもを慈しみ わが命を削っても育て守り抜いた 母の老いた姿である

万葉の時代から使われていた枕言葉の一首 作者不明

 

たらちねの 母が呼ぶ名を申さめど 道行く人誰と知りてか

 

斎藤茂吉さんの歌

のど赤き 玄鳥(つばくらめ)ふたつ 屋梁(はり)にいて たらちねの母は死にたまふなり

死に近き 母に添寝のしんしんと 遠田のかわづ 天に聞こゆる

我が母よ 死にたまひゆく 我が母よ 我を生まし 乳足(ちた)たらいし母よ

 

長塚節さんの歌

たらちねの 母が吊りたる青蚊帳を すかしといねつ たるみたれとも

作者は病床にいて 老母が吊ってくれた蚊帳のたるみを見て感謝で爽やかに寝られる

 

 

どの歌を見ても 情景に胸を打たれ 涙腺が緩んで来るのを覚える

写真の垂乳根は イチョウだけでなく老木に出てくる現象で 気根とも言うが理由は不解明

昔の人は 特に乳の出ない方は お参りしてお願をしたと各地に伝説がある

 

あとは 浅草寺の界隈 少しだけ写真で紹介します

 

大きな蝶が舞っていた

市川団十郎の碑 名場面 しばらく

はとぽっぽの歌碑 以前はどこの寺や神社でも鳩がいっぱいいた

境内の銭塚地蔵尊 

境内のお稲荷さん 参道に手ぬぐいの幟が奉納されている

戦前から続く花やしき 遊園地である

一瞬にして上下する 悲鳴が聴こえてくる

 

今日から3日間 音楽ボランティアの連続となる

中には 私の母の記憶と重なるような高齢の女性も見える

私の元気なうちに 皆さんに笑顔と元気と小さな幸せのおすそわけをして行こう

 

 

  最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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