お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

中谷美紀さんの初エッセイ。面白い。

2006年05月14日 | 本・雑誌・漫画
ないものねだり

マガジンハウス

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中谷美紀さんとはドラマの仕事で御一緒した事があるが、現場では物静かな方で、クランク・アップの時、(多摩川の河原で徹夜で撮影し、もう朝日が昇る寸前だった)ビールで乾杯した時のとても嬉しそうな表情が頭にくっきり焼き付いている。「○○さん(僕)も飲みなよーっ!」と缶ビールを渡してくれて、晴れ晴れとした気分を醸し出していた。彼女曰く、4ヶ月の撮影期間の間、「大きなトラウマを背負った女性」を演じてきて、それが彼女の日常をも侵食していたそうだ。クランクアップで、「仕事」としても「日常生活」でも、「役」と離れられる開放感がオーラの様に、彼女の全身から出ていた。

今回、本を読んで思ったのは、「女優さん」が書いたというより、「普通の一人の女性」がフラットに物事を見ていて、かつ、中谷さんは好奇心・向上心が強いなぁという印象。キョンキョンのエッセイほどドライではなく、「しっとり感」もあり、語り口はさりげなくて上手い。

中谷さんって、こういう風に考えるんだ・・・などと思いつつ読んだ。女性にもオススメの本。
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次男の疑問・・・トイレに貼った「世界地図」を見て・・・

2006年05月14日 | 旅・外国
次男がトイレの世界地図に最近、興味津々である。そこで訊かれたのが「台湾」の正式な国名は?という事。僕は「中華民国」と思っていたのだが・・・


中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアの太平洋沿岸に位置する共和制国家。台湾海峡を挟んで中国と接している台湾島・澎湖諸島(台湾地区)、及びに福建省沿岸の金門島・馬祖島(金馬地区)を実効統治している。中国を統治する国家として成立し、中国共産党との内戦で1949年に政府が一旦崩壊状態となったが、台湾地域のみを統治する国家として1950年までに再編成され、今日に至っている。

ただし、1950年以降も「中国の統治国家」としての立場を国際的に主張し続けている為、「中国を統治する国家」として中華人民共和国を承認する国家が大多数を占める現在の国際社会では孤立した状況にある。もっとも、アメリカ合衆国をはじめとする国家とは事実上の国交がある。

国名
中国語(北京語、正体字表記)での正式名称は、中華民國(ジョンファ・ミングオ、拼音: Zhōnghuá mínguó)であり、国内では中華民國のことを中華と表記することもある。また、公式の英語表記は、Republic of China(リパブリック・オブ・チャイナ)である。なお、現在の公式な英語の略称はROCであるが、将来的には変更される可能性もある。


国名表記を巡る諸問題
中華民国の国名表記は、中華民国政府が「全中国(China)を代表する主権国家」であるという認識に基づいている。そのために、1971年に国際連合で中華人民共和国が「全中国を代表する主権国家」として承認されてからは、国際社会で中華民国のことを『中華民国(Republic of China)』と称するケースが減少し、現在ではオリンピック(1976年大会以後)などのスポーツ大会や各種国際機関においては、Chinese Taipei(中華台北)という名称が使用されている。これは、国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を「中国の国家」として承認しない一方で、中華民国政府との非公式関係を維持していることによる。なお、世界貿易機関(WTO)に関しては、Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu(台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域)という名称で加盟しており、Chinese Taipeiとともに中華民国の名称として使用されている。

一方、中華民國という国名やChinese Taipeiという名称について、最近では台湾地域を中心として反発が生じるようになり、李登輝元総統(任期:1988年~2000年)を始めとする泛緑連盟の構成員・支持者達が、中華民國という現在の国号を台灣という名称に変更しようという台湾正名運動を興している。しかし、「中国の政党」であると自認する中国国民党を始めとした泛藍連盟の構成員・支持者達は国号変更に反対しており、この件に関する国論は二分されている。それと同時に、台湾の一般住民の国に対する意識も1990年代から変化し始めており、現在では自分を台湾人と捉える人が中国人と捉える人より多くなりつつある。この様な背景もあり、中華民国政府は2003年9月以後、パスポートに「台湾」を付記して発行するようになった。但し、英語の付記ではISSUED IN TAIWAN(台湾「で」発行)となり、国号変更の争議にならぬように配慮している。

なお、2004年9月7日に中華民国外交部のスポークスマンは「国交を持たない国に対しては『台湾』を強調することを最優先課題にし、将来的には国交を持つ国との間でも条約文書などでTaiwanを使用し、中華人民共和国との混同を避けるようにしたい。」と話し、また、「9月7日の時点で中華民国行政院(日本の内閣に相当)は、自国の略称として第一にROC、第二にTaiwan、第三にTaiwan,ROC、第四にROC(Taiwan)、第五にTPKM(Taiwan《台湾》、Penghu《澎湖》、Kinmen《金門》、Matsu《馬祖》の頭文字)を使用しているが、陳水扁総統の指示があれば使用順位を入れ替えてTaiwanを第一とする。」とも話した。その為、近い将来に中華民国の対外的な略称がROCからTaiwanへと変更される可能性は十分にある。


確かに、グラチャンバレーとかオリンピックでは、「チャイニーズ・タイペイ」と言っていた事を思い出し、調べてみて良かった。



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CDショップに入ったら、ゆらりとした歌声が聞こえて来た。

2006年05月14日 | 歌・CD
ハナダイロ (初回生産限定盤)(DVD付)
元ちとせ, 上田現, HUSSY_R, 間宮工, 岡本定義, COIL, 松任谷由実, 松任谷正隆
ERJ

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しばらく、聴いていて、多分「元ちとせ」なんじゃないかとは思ったのだが、こういう時、なかなか店員に訊けない性格の僕。精算カウンターの前を何度か行き来して、勇気を出して訊いたら、やはり「元ちとせ」の新しいアルバムだった。店に入っただけで、いい気分にさせてくれ、「買いたい!」と思わせられたのは久しぶり。

ちなみに、話は少し変わるが、「本田美奈子」が入院する直前にレコーディングした曲や今までのアルバムに入っていなかった曲を集めたアルバムが発売されている。Amazon.で買おうと探したが無かったので、インターネットで調べてみたら、どうも「通販」でしか売っていないみたい。情報をお持ちの方、買い方を教えて下さい。
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「動く歩道」!!!!!

2006年05月14日 | エッセイ・日記・意見
僕がエスカレーターが平面で動く、「動く歩道」に初めて乗ったのは、1970年の「大阪万博」の会場だった。当時は、足元がゴム製で、周りのパビリオンを見ながら、「希望に満ちた日本の未来」を想像し、ワクワクしたものだ。あれから、36年、今の日本は「希望に満ちている」とはとても言い難い。

「動く歩道」という表現・表示を久しぶりに見たので、1970年にタイムスリップ。当時、小学校5年生。アメリカ館の「月の石」を見る為に、4時間炎天下で並んだ。ソ連館は閉館寸前に行ったので、すぐ入れた。三菱未来館は、並んでいたら、「女子トイレ」の行列だった。とにかく凄い人の数で、みんな「未来に夢を持っていた時代」だった。

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阪急の駅にあるATMの使える銀行一覧である。

2006年05月14日 | エッセイ・日記・意見
大阪の地元の銀行(しかも「阪急沿線」に支店の多い銀行)の中にメガバンク「三菱東京UFJ銀行」が入っている。この混ざり具合がいい。そして、基本、手数料はかからない。いいぞーという気分にさせてくれる。
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阪急電車・梅田駅で発売されている切符のプチ謎。

2006年05月14日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
この写真の「切符」を見て、何か違和感を覚えないだろうか?実は、僕自身、大阪にいる時代から「変だなぁ~」と思っていた事である。10年以上は変わっていない事になる。

答え。「梅田」の「田」の字の中が「×」になっている。これだけ、機械化が発展している今、何故「田」の字が印字できないのだろう???

理由を知っている人、教えて下さい。
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以前も書いた「阪急電車」の「携帯電話電源オフ車両」のつり革に・・・

2006年05月14日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
「京王」のつり革と「メッセージ性」で、雲泥の差があると僕は思う。一応、説明しておくと、「阪急」は「優先座席」を無くし、「すべての座席を譲り合いましょう」というステッカーを全車両に張り、一番前と一番後ろの車両を「携帯電話電源オフ車両とした。とても明確でクレバーなやり方だと思う。

とは、言いながら、この写真を撮る為に、「電源オフ車両」に乗った僕の隣のおじさんは、携帯で必死にメールしていたが・・・
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大阪・梅田の「待ち合わせ名所」は・・・

2006年05月14日 | エッセイ・日記・意見
僕が「学生時代」は、紀伊国屋書店入口・右側にある巨大モニター「BIGMAN」が定番だった。先日の大阪出張でその辺りに行くと、反対側にも設置されていた巨大モニターにも名前が付いていた。「CO-BIGMAN」。面白いなぁ、と思った。よく映画のエンドクレジットを見ていると、「PRODUCER」とは別に「CO-PRODUCER」というクレジットがあるからだ。日本語に訳せば、「協力プロデューサー」という事になるだろうか。粋なネーミングに思わずシャッターを押してしまった。
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売店の看板も・・・

2006年05月14日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
大阪は毎月20日が「ノーマイカーデー」。つまり、いつも自家用車で通勤をしている人も、一ヶ月に一日くらいは電車で通勤しようというキャンペーン。その日は、写真にある様な、600円で地下鉄・市バス・ニュートラム(東京の「ゆりかもめ」の様な新交通機関)が一日乗り放題。これ以外にも地下鉄の駅の売店には様々な「お得情報」の張り紙が。さすが商都・大阪である。
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大阪のタクシーは・・・

2006年05月14日 | エッセイ・日記・意見
初乗り540円。料金が5000円を超えると、超えた分が半額になる。ちなみに、東京の初乗りは660円。石垣島は350円。
大阪のサービスを東京で適用して貰うと、自宅が都心から遠い人の多い東京では大歓迎されるだろう。こんなサービスも始めるには、どこかの役所に届け出て、認可が必要なのかなぁ~。
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千羽鶴「990羽パック」。

2006年05月14日 | エッセイ・日記・意見
入院している友達とかに送る「千羽鶴」。しかし、実際、千羽を折っている時間が無い!という人に・・・990羽は既に折ってあり、残りの10羽だけを折れば、「千羽鶴」が完成するセットを販売している会社がある。先週の「R-25」に載っていた情報。

販売している会社はこちら↓
千羽鶴.JP

「R-25」に載ったせいか、品切れ多し。いろんな事を考えるものだ。「阪神タイガース優勝祈願千羽鶴セット」もあり。但し、現在、品切れ。
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「うつ病」「血液サラサラ度チェック」等、健康に関するチェックができます。お試しあれ!!!

2006年05月14日 | 健康・スポーツ
http://www.cocokarada.jp/condition/index.html

イラストで「YES」「NO」と答えていくだけです。
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最近のDVDレコーダーには、「パレンタルロック機能」というのが付いている。

2006年05月14日 | 映画・DVD・ビデオ
パレンタルロック (ぱれんたるろっく)

国ごとの規制レベルに合わせて視聴年齢制限に対応したディスクの再生を制限するという、DVD ビデオの機能のひとつです。
制限の方法は DVD ビデオによって異なり、全く再生できない場合や過激な場面をとばしたり、別の場面に差し換えて再生する場合などがあります。


最近のDVDレコーダーは設定で、「パレンタルロック」の設定のランクを何段階かに変えれるそうです。つまり、「暴力シーン」や「エロシーン」の「暴力度」「エロ度」によって、見られないシーンが増えたり、減ったりするという事。多分、DVDソフト側に「信号」が入っていて、それをレコーダーが検知するのだと思います。でも、「暴力度」「エロ度」等、子供達に見せてはいけないという「境界線」を誰が決めているのでしょう。謎。



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「泉大助」のことを思い出しました。

2006年05月14日 | テレビ番組
ナショナル一社提供の「ズバリ当てましょう!」の司会をしていた人。調べてみました。


プライスクイズ ズバリ!当てましょう ~値段を一目でズバリと当てていただきますと、これが「ズバリ!賞」でございます

放送期間:1961.9~1972.2/1975.10.4~1982.3.27(土・19:00~19:30)

制作放送局:フジテレビジョン

司会:泉 大助/泉 大助→出門 英、辺見 マリ→石坂 浩二

形式:プライスクイズ→プライスクイズ・買い物ゲームなど

優勝賞品:週替わり

 テレビ創世記の人気クイズ番組のひとつに数えられる番組。物の値段を当てる「プライスクイズ」のパイオニアである。当時はまだまだ庶民のあこがれだった電化製品の獲得を目指した。一旦終了したものの再スタート。しかし、時代も変わったのか今度は波に乗れず苦戦が続いた。

番組ルール

(第1期・第2期基本ルール)

解答者は2人一組のペア4組。
問題はさまざまな物の値段を当てるプライスクイズ。金額を決めるチャンスは2回。1回目はノーヒントで解答。1回目に正解とまったく同じ金額を出したチームには「ズバリ!賞」としてナショナル製電化製品一式(時価100万円相当)が贈られた。
「ズバリ!賞」が出なかった場合はヒントが出た上で再度解答。正解金額に内輪(正解金額より下)で最も近いチームに4点、以下3、2、1点が加算される。正解金額より上を解答した場合は無得点となる。
最多得点のチームがトップ賞。
(第2期追加ルール)

解答者は5人1組の2チーム対抗戦(1979.3.17~1980.9)になったりその片方のチームは芸能人のチームになった(1980.1~1980.9)時期があるが基本的に2人一組のペア4組。
第1期同様のプライスクイズのほか、1979.3.17以降には「音楽クイズ」「ショッピング・クイズ」を取り入れた時期あり。
「音楽クイズ」は生演奏された曲の曲名当てクイズ。
「ショッピング・クイズ」は1分間の制限時間以内にベルトコンベアーから流れてくる商品から欲しいものを取る。獲得した商品の合計金額で勝負を決める。
基準金額は10万円。商品の合計金額が10万円以内であれば商品獲得。2チームの金額を比べ、相手の合計額が10万円を超えていれば勝ち。両チーム10万円以内でも相手よりも10万円に近ければ勝ち。得点を獲得するが、両チームとも10万円を超えていればこの勝負は引き分けとなり得点なし。
 

 今なお時々復活するプライスクイズのさきがけが「ズバリ!当てましょう」である。毎回ふつうは買わない、買えないさまざまな物が登場し、その値段を当てるというきわめてシンプルな形式はヤマカン要素こそ強いものの好奇心をくすぐる番組であった。

 「ナショナル プライスクイズ」というサブタイトルがついている通り、松下電器の一社スポンサー番組であった。番組最大の目玉は「ズバリ!賞」を出せばナショナル製電化製品が時価100万円相当分一式贈られるというもの。テレビ・冷蔵庫・洗濯機・掃除機など、今でこそ全部合わせても10万円そこそこという商品群であるが当時はまさに羨望のまなざしで見つめられていたものばかりであり、それが一度に獲得できるという夢のような番組であった。ちなみに、各問題やその週のトップのチームに贈られていたのもナショナル製品であり、これぞ一社スポンサー番組といったところであった。

 しかし、1972年の終了後、約3年のブランクを経て復活してからは番組は逆に低迷の一途をたどる。特に79年以降にはそれに呼応してかめまぐるしく形式が変わる。スポンサーの意向もあって音声多重対応のテレビ普及策の一環として音響を重視するようになったり(79.3.14から番組自体のステレオ放送も開始されている)、プライスクイズだけでなく曲当てや買い物ゲームを取り入れるなどリニューアルを重ねたり、解答者も2チーム対抗戦にしてキャプテン役として鈴木ヒロミツ・辺見マリ(ちなみにこれが引退後7年ぶりの芸能界復帰ということで話題になったとか)を起用して、逆に本来メイン司会であるはずの泉 大助の影を薄くするなどとにかくいじった。しかし、これらも効果はなく、土曜のゴールデンタイムにあって視聴率は10%にすら届かないという状況を続けたという。

 それでも最終的には復活版も6年半放送を続け、最終回には森 光子と松山英太郎を司会に据え、泉 大助ら歴代の出演者をパネラーに迎えての特別版が放送された。ちなみに最終問題は総放送回数865回にちなみ「865個の電球の値段」であった。また、トップ賞の賞品は番組スタート時の人気商品だった「魚焼き器」だったという。


●泉大助さんですが、昭和二年生まれという今となっては高齢者なので私的な活動の情報も昭和の時代から途切れています。
息子さんの設立した会社のお手伝いなどをしていました。
バラの栽培の第一人者であったそうで、趣味で庭をバラ園にしていると以前お話していました。

当時オンタイムでこの番組を見ていた僕は、「ズバリ!賞」で「ナショナル製品一式」を貰える人達が羨ましかったものです。今、「ナショナル製品一式」というと、とんでもない数になりますが、当時はクイズの賞品として出せる数だったのですね。

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最初は、「日本テレビ」が「ドラえもん」を放送していた事を知ってますか?

2006年05月14日 | テレビ番組
その時の「ドラえもん」はヒットしなかった。同じ藤子不二雄のアニメ「ウメ星殿下」と同じ様に。「ウメ星殿下」はどこに行ってしまったのだろう?

以下、(旧)「ドラえもん」情報です。

概要
1973年4月1日~9月30日、日本テレビ系列日本テレビ、日本テレビ動画制作/全26回
「旧ドラ」と呼ばれる。1973年4月1日に「出た!! ドラえもんの巻」を第一話として始まった。漫画版に大胆なストーリーアレンジを加えたり、幻のキャラクター、ガチャ子が登場したりする。日曜夜7時というゴールデンタイムの放送にも関わらず、当時の裏番組が視聴率が高かったアップダウンクイズ(毎日放送制作、NET系列)やマジンガーZ(フジテレビ系列)という強力な番組があり人気が今一つであったものの、それでも続投の予定があった模様。しかし、2クール終了間際に制作会社の社長が辞任して会社が消滅、同年9月30日の「さようならドラえもんの巻」を最終話とし、半年で終了になった。更には製作した日本テレビ動画が本作製作直後に解散したためフィルムの権利が不明となった。当時のスタッフによるホームページには、社屋引き払いのため本作に関する資料やセル画のほとんどを止むを得ず焼却処分した事が明らかにされている。

原作者である藤子が自分の原作と明らかに異なる雰囲気を持った本作を好ましく思っていなかった事や、藤子プロが、大ヒット番組となったテレビ朝日版放送開始後は、本作に関する一切の記述等を最低限のものを残して露出させない方針を示したため、再放送はテレビ朝日版放映が始まる1979年までの5年余りの間に数度あったのみで以後一切再放送はされていない。

このような事実上の封印措置と、制作会社の消滅という事象が重なり、状況で現在はネガはもとよりコピーポジフィルム保管先も不明(或いは散逸)といえる状況であり、情報が極端に少なく、事実上幻の作品とも言える(オフィシャル側が、大山のぶ代らを初代声優陣としているのは、このためとも思われる。また日本テレビ版でジャイアンを演じ、シンエイ版でスネ夫を演じた肝付兼太は前者を白黒作品と勘違いしている)。

このように現在この作品をソフトメディアや再放送などで視聴することは極めて困難な状態であるが、本編フィルムのうち数本は、元スタッフが個人的に保管していたため現存しており、現在これらはファンクラブの集いなどで上映されているので、ファン集会に参加することで視聴することが可能である。

現在放送中の第2作に比べて色指定のコントラストが穏やかであった。これは、当時のアニメが一度32mmフィルムで撮影し、その後、16mmコピーポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は、直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。

最終回ではドラえもんは未来に帰り、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わる(過去に3本描かれたドラえもん最終回のうち、2番目に発表された話のアニメ化だが、このエピソードは単行本未収録。なお最終回が3本あるのは学年各誌に連載していたため。なお、学年誌は、「読者が進級する毎年3月号が最終回で、新読者が読み始める4月号が第1話」という約束事があり、3本の「ドラえもんの最終回」もこの法則に則って描かれた物語であるため、実際には連載は終了していない)。

現在でも入手可能な唯一の旧ドラ関係物品は主題歌CD(コロムビアミュージックエンタテインメントより発売中の、当時のアニメ主題歌オムニバス集に収録されている)のみである。

この日本テレビ版ドラえもんを制作した日本テレビ動画は、日本テレビ系列で放映されたこともあって日本テレビ放送網の関連会社のようなイメージをもたれるだろうが、実際には日本テレビとは無関係の会社で、かつては東京テレビ動画という社名であったようである。

以上のように現在では、テレビ朝日版が唯一のアニメ版とされることが多いために、ドラえもんの初代声優は大山のぶ代とされているが、フジテレビ「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」内でドラえもんに関するトリビアの補足の中で「野沢雅子がドラえもんの声優をやっていた」と紹介された際、日本テレビ時代を知らない視聴者からテレビ朝日に問い合わせが来たという逸話もある。この時、ドラえもんが日本テレビで放送されたことを初めて知った者も多い(但しこの時、「初代は野沢雅子」と誤った内容で放送されてしまった(下記にもあるように、初代は富田耕生で、野沢は2代目))。

また、現在一部日本テレビ系列局で、テレビ朝日版を放送している局もいくつかある。

評価
「旧ドラ」は作者自身があまりよく思っていないことは前述のとおりであるが、その原因の一つとして、テレビ第1作の制作時期は既に原作連載が3年目を回っており、初期のドタバタ調作風が次第に現在の作風になりつつあった頃合いであったにも関わらず、日本テレビ版の構成が初期のドタバタ調のままであり、更に視聴率低迷に対するテコ入れがドタバタ路線を殊更に強化していったことから(ドタバタ調を補強するガチャ子のレギュラー入りや「ガキ大将=悪」という初期作風の典型的な図式に沿って描かれていたジャイアンの悪童ぶり等)、原作者は「旧ドラは失敗だった」と周囲に漏らしていたという。

また藤子プロや小学館等現在の著作権管理者が監修発刊したムック本『ドラえ本3』(2000年1月·小学館刊)には写真入りで旧ドラが僅かに解説されているが、そこには「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と掲載されており、現在の権利保有元による旧ドラの否定的な評価が短いながらも初めて公にされている。

これに対して、ファン層の意見は二分される。一方は、原作者である藤子・F・不二雄氏に同意的な意見。もう一方は、擁護的な意見である。後者における主張としては、原作連載3年目と言っても、まだ学年誌掲載で、作風が安定していなかった時期の企画であること(現在の作風が安定するのはコロコロコミック創刊・同誌における定期掲載化後)や、「藤子不二雄」として藤子不二雄A氏との共著時代の作品(実際、コンビ解消の際に各々に著作権が帰属した作品であっても、それ以前はもう一方が一部を作画した、あるいは作画・コンテに協力した、またストーリーを考案・作成した作品は少なくない)をF氏サイドの意見だけで断じていいものか、とすることなどである。また、シンエイ動画版開始以前は、地方ローカルを中心に高いリピート率を持っていたことも事実であり、擁護派の根拠の1つでもある。

キャスト
ドラえもん:富田耕生→野沢雅子 
野比のび太:太田淑子(太田は後にシンエイ版でセワシの声を担当)
しずか:恵比寿まさ子
ジャイアン:肝付兼太(肝付は後にシンエイ版でスネ夫の声を担当)
スネ夫:八代駿
のび太のママ:小原乃梨子(小原は後にシンエイ版でのび太の声を担当)
のび太のパパ:村越伊知郎
スネ夫のママ:高橋和枝(高橋は後にシンエイ版で黄色いドラえもんの声を担当)
ガチャ子:堀絢子
セワシ:山本圭子
我成(がなり)先生:加藤修(現:治)→雨森雅司(加藤は後にシンエイ版でも先生の声を担当)
ボタコ:野沢雅子
デブ子:つかせのりこ
ジャマ子:吉田理保子

ゲスト出演声優(全員役不明)
大竹宏
兼本新吾(兼本は後にシンエイ版で神成の声を担当)
田中亮一(田中は後にシンエイ版で先生の声を担当)
野村道子(野村は後にシンエイ版でしずかの声を担当)
水鳥鉄夫
山下啓介
岡本敏明
槐柳二
辻村真人
はせさん治
峰恵研
山田俊司
神谷明
北川国彦
中西妙子
松金よね子
八奈見乗児
山丘陽人
加茂嘉久
田村錦人
永井一郎
丸山裕子(丸山は後にシンエイ版で小原の代役としてのび太の声を担当)
矢田耕司
渡辺典子

オープニングテーマ
ドラえもん 歌:内藤はるみ、劇団NLT
明るく健全なオープニングテーマとイメージが異なり演歌調の奇妙なイメージの曲であるが、原作者自身の筆による作詞自体が既に奇妙な雰囲気を漂わせており、当時の原作者が「ドラえもん」に対して持っていた印象を伺い知ることが出来る。

エンディングテーマ
ドラえもんのルンバ 歌:内藤はるみ
外部の作詞によるエンディング。アップテンポな曲であるが、オープニング以上に作品世界観を奇妙に表現している。

挿入歌
あいしゅうのドラえもん 歌:富田耕生
ドラえもん いん できしいらんど 歌:コロムビアゆりかご会、劇団NLT

旧から新へ
「旧ドラ」の最終回の際、当時の製作スタッフは、将来続編の製作を期待し、ラストのアイキャッチを「次回もお楽しみに」(前週までは「来週もお楽しみに」だった)としていた。実際、「旧ドラ」そのものは、前述のように強力な裏番組に圧されながらも、収支は黒字であったという。しかし、日本テレビ動画の再建はついにならなかった。

一方、原作漫画では、先述の学年誌掲載の関係から、第1話とされる話について、『ドラえもんがやってきた』といったようなサブタイトルが通例となっていた。シンエイ動画版のアニメ第1話はこれを避け、両者の間で受け渡しがあったかのような構図になっている。


気になっていた事を調べてみると、いろいろ裏話が出てくるものですね・・・。

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