出版社/著者からの内容紹介
レトルトカレーは、日本が世界に誇る文化である。
幻の元祖ボンベイのチキンカレーから、STAR WARSカレーまで。
ご当地、ご当店、ご当人、企画もの、海外、アニメ、メーカー…とジャンル別に紹介。水野仁輔が長年収集してきたコレクションから厳選、パッケージ1,123種類掲載!
出版社からのコメント
世界広しといえど、日本のレトルトカレーのパッケージほど特殊な《メディア》はありません。「Jリーグ」から「広島名産かき」、「田崎真也の赤ワイン」から「あしたのジョー」まで、全部カレーにしちゃおうなんて一体誰がそんなだいそれたこと……。ラーメンではこの様な文化は生まれなかったでしょう。同じレトルトでもシチューではなく、なぜカレー? そう、このパッケージの中にニッポンの過去・現在・未来がつまっているのです。
日本発・世界初の、おいしい&おもしろい図鑑。
家族や友だちとご一緒に、みんなでお楽しみください。
抜粋
【あとがき立読み】
2004年の秋、何を血迷ったのか、ボクは自分の結婚式の引き出物としてオリジナルのレトルトカレーを製作することにした。中身はエスビー食品と一緒に開発したダブルパウチのカレー。パッケージはイラストを寄藤文平さん、アートディレクションをバタフライストロークの青木克憲さんという、今をときめくクリエイターコンビに手がけてもらった超豪華版だ。式の前夜、会場となった新宿パークハイアットに200個のレトルトカレーが運び込まれる。多分ホテルだってこんなことは前代未聞のできごとだっただろう。当日レトルトの箱を手にとって盛上る出席者を横目に、嬉しい反面、ちょっぴり疑問も頭をよぎった。そもそも、ボクの人生はこういうことでよかったんだろうかって(笑)。
ボクにとってレトルトカレーに関する一番古い思い出は今から20年ほど前、小学生だった頃までさかのぼる。「赤カリー」と「黒カリー」というレトルト商品が好きだった。自宅キッチンの扉を開けるとそこにはいつも「赤」と「黒」の箱が山と積み重ねられて、食べ盛りのボクには最高のおやつだった。両親がいつも買い足してくれてたおかげで、食べても食べても扉の中の宝の山が減ることはなかった。それがあるときから徐々に減りはじめ、ついに最後のひと箱に。ボクは母親に詰め寄った。
「あのカレーはもう買わないの?」
「最近スーパーで見かけなくなったのよ……」
「そんなのウソだ!」
慌てたボクは最後のひと箱の裏を見て、ハウス食品のお客様窓口に電話した。
「あのぉ、赤カリーと黒カリーがスーパーで売ってないんですけど」
オトナのお姉さんが冷たい調子で答える。
「あいにくそちらの商品は製造を中止いたしました」
ま、まさか……。心にポッカリ穴が開いた気分だった。〈中略〉「あの味の美味しさがわからないなんて、日本はもう終わりだ!」。事情も全く知らないくせにとにかく大げさに世の中のせいにして、ひとり泣き寝入りするしかなかった。以来、ボクはレトルトカレーを食べるのをやめることにした。
それから15年の歳月がたち、決別したはずのレトルトカレーへの愛がまたボクの中で再燃し始めることになる。「食べるカレー」ではなく「集めるカレー」として。3年後にはエスビーで「作るカレー」を体験し、そのまた2年後にはついにはこの通り、「読むカレー」として本まで出版することができた。これは小学校時代のボクには想像もつかなかった未来だ。そして今、ボクの自宅キッチンの扉を開けると、そこには「食べるカレー」の箱が小高い山を作っている。なぁんだ、結局昔も今もやってることは変らないじゃないか(笑)。と、タイミングよくケータイが鳴った。友達からだ。
「いまコンビニなんだけど、『カツ煮カレー』とかっていう変わったレトルト売ってるよ」
「え! マジで!? 早速コンビニに走らなきゃ!」
くよくよ悩んでいる暇はないのだ。こうやってボクはこれからもずっとレトルトカレーにまみれて生きていく宿命にあるのかもしれない。(水野仁輔)
「レトルト」の意味は、「気密性のある容器に詰めたのちに高温高圧で殺菌する釜」の事だそうです。
ちなみに、「レトルト」自体の研究はアメリカの方が早かったが、世界で初めて商品化されたのは、1968年(アポロ11号が月面着陸する前年)大塚食品が発売を始めた「ボンカレー」である。