お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

事故で「記憶障害」になった女性がリハビリの為に始めた絵日記が本に・・・

2006年05月31日 | 本・雑誌・漫画
里絵のこころ絵日記

清流出版

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内容(「MARC」データベースより)
不慮の交通事故によって瀕死の重傷を負った著者。障害をもちながら不自由な左手で懸命につづる絵日記。見る者をときに笑わせ、ときに涙ぐませ、生きる元気をいっぱいわけてくれる一冊。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
せきね 里絵
昭和45年、東京都生まれ。金融機関に勤務ののち、職業訓練学校でレタリング及びデザイン全般を学ぶ。ポップ制作の仕事に携わり、フリーとしても活躍。平成12年、交通事故に遭い、体と脳に障害を負う。現在、月刊誌『清流』にて、絵日記を連載中。さまざまなリハビリを続け、身体機能の回復を目指している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
(Amazon.の紹介文より)
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「言葉」が表わす「時間の具体的な数値」とは・・・

2006年05月31日 | エッセイ・日記・意見
「シチズン時計」が20代以上のビジネスマン400人にインターネットでアンケートに答えてもらった結果・・・

「時間」に関係した言葉のとらえ方は・・・
「朝イチでミーティング」などと使われる「朝イチ」は、午前7時54分。ちなみに「早出」は、午前6時18分。
「残業でちょっと遅くなる」の「ちょっと」は、1時間と答えた人が最も多く(39.5%)、仕事後の「ちょっと一杯」は、約1時間20分だった。

これも「読売新聞」に載っていて、気になった記事。6月10日の「時の記念日」を前に調査したのだそうだ。

「もう一軒だけ」と言う酒飲みにお目にかかる事も多いがこの「もう一軒」は時間に換算すると、何時間になるのだろう?
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この本が編集された当時、生きておられる著名人に・・・

2006年05月31日 | 本・雑誌・漫画
私の死亡記事

文藝春秋

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「自分が死んだ時、どんな死亡記事になるか」を想像して書いて貰った本です。
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米原万里さんの逝去。

2006年05月31日 | 本・雑誌・漫画
必笑小咄のテクニック

集英社

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「読売新聞」朝刊の「編集手帳」に載っていた記事だが・・・

無人島に漂着した3人の男に、神様が二つずつ願いをかなえてくれるという。
米国人は「国に帰りたい。それと1億ドルの現金を」。フランス人は「国に帰りたい。それと美女を1ダース」。と、残ったロシア人が「ウォッカを1ダース。それと飲み仲間が欲しいな。そうだ、あの2人を呼び戻してくれ」。昨年末に出た米原万里さん「必笑小咄のテクニック」(集英社新書)の一節である。
(中略)
訃報に接した。56歳という。
(中略)
著名人が自分の死亡記事を書きつづった「私の死亡記事」(文春文庫)に、「終生ヒトのオスは飼わず」と題する米原さんの文章がある。
(中略)
自前の死亡記事には、「享年75」とある。20年ほども余して、早すぎる。


米原さんは、ロシア語の通訳として数々の国際舞台に立った人。エッセイも書いておられた。才能のある人がどうして早死し、老塊が社会の権力者として生きているのか・・・そんな事を思う今日この頃である。

ご冥福をお祈りします。


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「赤い殺意」・・・今村昌平監督・姫田真佐久撮影の傑作。

2006年05月31日 | 映画・DVD・ビデオ
赤い殺意

ジェネオン エンタテインメント

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Amazon.co.jpより・・・
米軍基地の街・横須賀のチンピラ欣次(長門裕之)は米軍に寄生しながら暗躍するヤクザ組織に翻弄され、自滅の道を歩んで行く。一方、恋人・春子(吉村実子)は米兵に暴行されるも決して自暴自棄にならず、街を出て川崎へ向かう。
今村昌平監督が、戦後の安保体制の下、混迷しながら欲望の道へと突き進む日本人の姿を基地ヤクザにたとえ、痛切に批判した社会派作品。今村監督作品の特徴でもある「重喜劇」のスタイルを確立した傑作でもある。虚勢ばかり張っているが実は小心者のヤクザ「人斬り鉄次」を、丹波哲郎が好演。また、これが映画デビューとなった吉村実子扮するヒロインが逆境にめげずにたくましく生き延びていく姿は、まさに今村映画ならではの輝きであった。(的田也寸志)


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「豚と軍艦」は人間の欲望に満ちた「喜劇」である。必見!!!

2006年05月31日 | 映画・DVD・ビデオ
豚と軍艦

日活

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Amazon.co.jpの解説より・・・
米軍基地の街・横須賀のチンピラ欣次(長門裕之)は米軍に寄生しながら暗躍するヤクザ組織に翻弄され、自滅の道を歩んで行く。一方、恋人・春子(吉村実子)は米兵に暴行されるも決して自暴自棄にならず、街を出て川崎へ向かう。
今村昌平監督が、戦後の安保体制の下、混迷しながら欲望の道へと突き進む日本人の姿を基地ヤクザにたとえ、痛切に批判した社会派作品。今村監督作品の特徴でもある「重喜劇」のスタイルを確立した傑作でもある。虚勢ばかり張っているが実は小心者のヤクザ「人斬り鉄次」を、丹波哲郎が好演。また、これが映画デビューとなった吉村実子扮するヒロインが逆境にめげずにたくましく生き延びていく姿は、まさに今村映画ならではの輝きであった。(的田也寸志)


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今村昌平監督のご冥福をお祈りします。

2006年05月31日 | 映画・DVD・ビデオ
復讐するは我にあり デジタルリマスター版

松竹

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Amazon.co.jp
ふたりの男を殺して逃亡する榎津巌(緒形拳)は投身自殺を偽装して警察の目を欺き、以後も次々と殺人を繰り返していく。やがて彼は浜松に住むハル(小川真由美)の情夫となるが…。
直木賞を受賞した佐木隆三のノンフィクション小説を原作に、名匠・今村昌平監督が映画化した、その名に偽りなしの問題作。現在進行形のドラマに主人公の過去の経歴が挿入され、稀代の殺人鬼と謳われた彼の深層心理が次第にあらわとなっていく。その重大な要素をしめる父親(三國連太郎)との確執は、すさまじい表現力で画に定着されている。また、男ふたりを取り巻く女たちの描写も、さらなる人間の原罪と救済を描くことに大いに貢献。キネマ旬報ベストテン第1位など、その年の映画賞を総なめ。海外でも評価の高い傑作である。(的田也寸志)
(Amazon.の紹介より)


今村昌平監督が亡くなった。僕が最初に観た「今村作品」は「復讐するは我にあり」だった。映画館の画面から凄いパワーを感じた。倍賞美津子を緒形拳が台所で犯すシーンは壮絶そのもの、人間の欲望の塊がぶつかり合っている様な感じ。そして、最後に「遺骨を投げるシーン」で「遺骨」がストップモーションになったところで、映画は終わった。未だに心に残るラストシーンである。

その後、「楢山節孝」「ええじゃないか」と観て、少しがっかりし、過去の「豚と軍艦」「赤い殺意」などには度肝を抜かれた。確か、川島雄三監督の助監督だったと記憶している。中学・高校・大学時代はよく映画を観た。同時代を生きてきた映画監督が亡くなると哀しい。平成生まれの人達の多くは、今村昌平監督を亡くなったニュースで知った人も多いだろう。今、その作品の多くはDVDで観られるので、是非観て欲しい。

(以下、Wikipediaより)
今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年9月15日 - 2006年5月30日)は、映画監督。東京都出身。父親は開業医。筑波大学附属高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。長男である天願大介も映画監督。人間の欲望をユーモラスに描いた作品に定評があった。映画通の間の愛称はイマヘイ。50年余の映画監督人生の中で、監督した作品は20作品。

大学を卒業した1951年、松竹大船撮影所に入社。1954年に日活に移籍する。『豚と軍艦』、『にっぽん昆虫記』、『赤い殺意』などで監督として世間に認められるも、一時は企画がまったく受け入れてもらえず、胃潰瘍を患いながら明日の米にも困るどん底の赤貧生活を経験している。

佐木隆三の『復讐するは我にあり』の映画化権を多くのライバルから奪い、見事に復活を遂げたが、翌年の『ええじゃないか』(1981年)の大失敗で「天下の今平も終わったな」と観客を失望させた。起死回生の『楢山節考』(1983年)を発表。本作と『うなぎ』(1997年)で、日本人では初めてカンヌ国際映画祭で2度グランプリ(現・パルム・ドール)を受賞している。同じ功績ではアメリカのフランシス・フォード・コッポラ監督など5名がいる。なお『楢山節考』を出品した時は、「カンヌ(映画祭)出品のために作った作品ではない」とカンヌ映画祭を欠席。『うなぎ』の時は出席はしたものの受賞作を発表する前に帰国した。

名作・川島雄三監督『幕末太陽伝』や浦山桐郎監督の『キューポラのある街』の脚本家でもある。学生時代からの友人であるフランキー堺や小沢昭一、加藤武との親交が深い事も知られている。『神々の深き欲望』の過酷な撮影現場に耐え切れず脱走を試みた 嵐寛寿郎のエピソードは有名。 1975年横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を開校し、校長をつとめ、三池崇史・金秀吉・佐々部清・本広克行・李相日などの映画監督、鄭義信などの脚本家・芥川賞作家阿部和重などの人材を輩出した。

2006年5月30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため東京都渋谷区の病院で死去。享年79。遺作は『11'09'01/セプテンバー11 』中の短編。

[監督作品]
盗まれた欲情 (1958年)日活
西銀座前駅 (1958年)日活
果てしなき欲望 (1958年)日活
にあんちゃん (1959年)日活
豚と軍艦 (1961年)日活
にっぽん昆虫記 (1963年)日活
赤い殺意 (1964年)日活
エロ事師たちより 人類学入門 (1966年)日活・今村プロ
人間蒸発 (1967年)日活・ATG・日本映画新社・今村プロ
神々の深き欲望 (1968年)日活・今村プロ
にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970年)日本映画新社・東宝
復讐するは我にあり (1979年)松竹・今村プロ
ええじゃないか (1981年)松竹・今村プロ
楢山節考 (1983年)東映・今村プロ
女衒 ZEGEN (1987年)東映・今村プロ
黒い雨 (1989年)東映・今村プロ・林原グループ
うなぎ (1997年)松竹・ケイエスエス・衛星劇場・グループコーポレーション
カンゾー先生(1998年)東映・今村プロ・東北新社・角川書店
赤い橋の下のぬるい水(2001年)日活・「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会
11'09'01/セプテンバー11 (2002年)

[助監督作品]
東京物語 (1953年)松竹(フォース助監督)
愛のお荷物 (1955年)日活
あした来る人 (1955年)日活
銀座二十四帖 (1955年)日活
風船 (1956年)日活
洲崎パラダイス 赤信号 (1956年)日活
わが町 (1956年)日活
飢える魂 (1956年)日活
続・飢える魂 (1958年)日活
幕末太陽傳 (1958年)日活

[受賞歴]
1963年 ブルーリボン賞監督賞・脚本賞『にっぽん昆虫記』
1979年 ブルーリボン賞監督賞・日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞 『復讐するは我にあり』
1989年、日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞 『黒い雨』
1997年、日本アカデミー賞監督賞・毎日映画コンクール監督賞 『うなぎ』
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「ローマ字変換」と「かな変換」。

2006年05月31日 | エッセイ・日記・意見
パソコンの「ワード」というソフトを使って文章を書いている。うちの会社の多くの人が「ローマ字変換」。その方が理論上は「ブラインド・タッチ(キーボードを見ないで文章を打つ事)」はしやすい。アルファベットは26文字しかなく、ひらがなは、50文字あるのだから。

日本語でものを考えながら、その事を文章にする時、「ローマ字変換」できる人を僕は尊敬する。やはり、アタマの中で思いつく文章をそのままの形でしか表現できないし、いちばんストレスがかからない。

「日本語」は、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「ローマ数字」などが混じっていて、外国人の方が一から憶えるには、非常に難しい言語だと思う。その言語を「ローマ字変換」してしまえる人がたくさんいるのは、ビックリ!
僕はコツコツと「ひらがな変換」で不器用に生きていこうと決意した。
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「運動会の音楽」の選曲をしているのは誰?????

2006年05月31日 | 教育・学校
この間の土日が雨で、小学校の運動会が延期になり、今日行なわれた。6年生の長男にとっては、小学校最後の運動会。上司に無理を行って、年休を取り、運動会カメラマンで、炎天下の運動場を走り回った。今年から、PTAで希望する人は生徒達が競走をしたりするフィールドの中に入る事がOKとなり、厚かましくも、父兄で中に入った人は僕とあと女性一人。長男・次男を中心に、懇意にさせて貰っているマンションの子供達も撮影。リレーなどでは、スタートを撮り、全力疾走で走って、反対側に廻って走る姿を取り、また元の場所に大急ぎで戻り、ゴールを撮るという、年齢に不適切な行動をとってしまった。デジカメは、1枚撮ったら、次の写真を撮るまで、フィルムのカメラより時間がかかる為、撮り損なったショットもあったが・・・。

運動会に行ってみて思ったのは、入場・競技・退場の時、流れる音楽の選曲。一体、誰がしているのだろう?
去年の運動会では、結構「SMAP」とか、その時、ヒットしている曲を流していたが、今年は「ルパン三世のテーマ」とか「ミッションインポッシブル(スパイ大作戦)のテーマ」とかが流れていた。あまりにも去年と選曲が違うので、妻に訊いたら、「音楽の先生」が代わったという。そういえば、今年の運動会、「音を出すタイミング」がすべて遅れていた。

「運動会の音楽」は「音楽の先生」が決めるのか???それとも、先生達の会議で決まるのか。今年の選曲を聴いていると、生徒が決めたとは思えない。謎は深まるばかりである。

それと、「運動会」は、音楽を初めとしたいろんな「大きな音」が小学校の周辺に鳴り響く。近隣の住民にちゃんと、学校が挨拶に行っているのかなぁ~。近くに「ヤ○ザ」の事務所とかあったら、一声かけておかないと危ないよなー等と、思いながら、運動会カメラマンは汗だく・ふらふら状態で帰宅した。

今、デジカメで撮った写真をプリントしているが、焼き増し分も入れて、188枚。800万画素のカメラで撮ったので、プリントは深夜までかかるだろう。

久しぶりに、汗をかき、シャワーを浴びると気分まですっきりする。

僕達の子供の頃の「運動会の写真」は実家に残っているのだろうか?あの当時はまだフィルムも白黒で値段も高く、今のデジカメの様に「失敗したら、データを消せばいいというもの」ではなかったので、残っていないかもしれない。僕は社会人になって、「運動会の写真」を親に見せてもらった事が無い。そういう意味でデジカメは便利になったが、運動会・旅行・宴会とかでパシャパシャ撮っていると、家の中がアルバムだらけになってしまう。これはかなり困った事である。

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84歳のおばあちゃんが人生に疲れた人たちに自宅を開放して・・・

2006年05月31日 | 料理・飲み物・食べ物
初女(はつめ)お母さんの愛の贈りもの―おむすびに祈りをこめて

海竜社

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手料理を振舞っている。中でも有名なのが「おにぎり」。ほんとにおなかが空いた時、食べるおにぎりはめっちゃ美味い。この本を読んで「おにぎり観」を変えよう!!!


内容(「BOOK」データベースより)
おいしい手料理はいのちを癒す魔法の言葉。お米が呼吸ができるように、大根が痛くないように、手から手へ伝える愛の知恵。

内容(「MARC」データベースより)
おいしい手料理は、いのちを癒す魔法の言葉。悩める人、こころ病める人を受け入れてともに食事をする「森のイスキア」での活動から、おむすびの話を中心に「いのちと食」について語る。(Amazon.の解説より)


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