お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「ハナテン中古車センター」のCMも忘れられない!!!!!

2007年01月13日 | 旅・外国
株式会社ハナテン(かぶしきがいしゃ - )は、中古車の売買を行う株式会社。本社は大阪市城東区諏訪3-3-21にあり、大証2部に上場している。

1963年に前身の「放出(はなてん)中古車センター」を開店し、1966年に株式会社法人となる。以来近畿圏を中心に中古車の売買業を展開している。以前はいすゞ自動車と提携した新車の販売店、サターン車の販売やレンタルビデオ店を展開し多角化を図ったが現在は撤退している。

「あなた、クルマ売る? 私高く買うわ」の台詞で知られるテレビコマーシャルも人気があった。関西の深夜枠のテレビで登場し、意味もなくセクシーな格好の女性の画像を多用していた。

ハナテンという地名は難読とされ、その迫力を利用した宣伝も行われた。電話は8710という数字にこだわり、「はなてん/ちゅうこしゃ/せーんたー」と言うだけのラジオコマーシャルもあった。秒数なら5秒以下のジングルに近いものである。ラジオコマーシャルは、ハナテン車買い取り専門店バージョンも存在する。

2005年4月25日、西日本最大の自動車販売会社である、株式会社ビッグモーター(本社:山口県岩国市)と、資本・業務提携することで基本合意し、ビッグモーターのグループ傘下となる。

2006年現在、CMキャラクターには、親会社ビッグモーターのCMキャラクターも務めている俳優の西村雅彦を起用している。


そうそう、意味も無く、「セクシーなお姉ちゃんが出てくるCM」やった。懐かしいなあ~

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大阪京橋「グランシャトー」のCMは関西人の心に沁み込んでいる。

2007年01月13日 | テレビ
京橋グランシャトービル(きょうばしぐらんしゃとーびる)は、大阪市都島区にある総合レジャービルである。その奇抜な外観と深夜を中心に放映される特異なCMによって関西一円に知られる。

ビルおよびフロア構成
西洋の古城を模した外壁が黄色に塗られたビルである。グランシャトーとはフランス語の「大きな城」を意味し、公募で名付けられている。

華城飯店(中華料理)
サウナグランシャトー(サウナ)
カラオケうたっちゃえ(カラオケ)
ナイトクラブ香蘭(キャバレー)
ゲームポイントシャトーEX(ゲームセンター)
パチンコグランシャトー(1F・パチンコ)
シャトー会館(地下1F・パチンコ)
香蘭は現在では数少なくなった70年代スタイルのキャバレーである。また、ゲームポイントシャトーEXではしばしばロケテストが行われ、関西のゲームマニアにはよく知られている。


歴史
1971年オープン。台湾出身の実業家である林宗恩が建設した。

テレビCM
当ビルを関西一円で有名にしたのは深夜帯を中心に放映されているテレビCMである。開業以来放映され、「京橋は~」で始まるフレーズは現在においても使用され、見るものに極めて強烈な印象を与える。この曲は店の前でもエンドレスで流されている。なお、この曲の作曲はキダ・タローという説もあるがキダ本人は明確に認めておらず真相ははっきりしない(朝日新聞大阪版などは「作曲者不詳」としている)。

また、このCMを一層奇妙にしているのが15秒バージョンと30秒バージョンの存在である。15秒バージョンは30秒バージョンを単に倍速で早送りしただけという空前絶後の奇妙なもので、他に例を見ない。

出演タレントは長らくリリアンが務めているが、現在は元近鉄バファローズ監督であった梨田昌孝が出演しているバージョンも存在する。



CMが今でも流れているとは。余談だが、JR京橋のグランシャトーの近くにある「立ち食いうどん」はめちゃめちゃ美味しい。
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神戸三宮「三劇」で映画「八甲田山」を観た。

2007年01月13日 | 映画・DVD・ビデオ
八甲田山 特別愛蔵版

M3エンタテインメント

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日露戦争前夜、徳島大尉(高倉健)率いる弘前第三十一連隊と神田大尉(北大路欣也)率いる青森第五連隊は、八甲田山を雪中行軍することに。少数編成で自然に逆らわず行軍する三十一連隊。一方、大編成で真っ向から八甲田に挑んだ五連隊は、目的地を見失い吹雪の中を彷徨し、遭難する。
新田次郎の『八甲田山死の彷徨』を、黒澤明の愛弟子で東宝青春映画の旗手として知られた森谷司郎監督が完全映画化。出演者の中に脱走者が出たとも伝えられる極寒の八甲田で長期撮影を敢行し、正に本物の雪の恐怖が観る者に襲いかかる。また、傲慢な上司(三國連太郎が熱演)の采配ミスで部下が四苦八苦する五連隊の構図は、現代サラリーマン社会とも共通するものがあり、当時「洋高邦低」と呼ばれて久しかった日本映画界で未曾有の大ヒットを記録。日本映画の底力を見せつけるとともに、森谷監督は以後超大作監督として大いに名を馳せることになった。(的田也寸志)


確か、学校の球技大会をサボって観に行ったはず。季節は夏。しかし、映画館は冷蔵庫の様にクーラーを効かしていて、画面共々、震えながら観た。この映画にタレントの大竹まことが出ている。キャスト・スタッフとも死にそうになるくらい寒さの厳しいロケだったそうだが、B班カメラの木村大作だけが元気だったと聞いた。その後、木村大作は日本を代表する撮影監督になる。
「天は我々を見放した」という台詞だけ憶えている。阪神淡路大震災で、阪急三宮駅ビルにあった「阪急会館」「阪急シネマ」「阪急文化」「三劇」「三映」の五つの映画館が壊れ、今は昔の面影は無い。阪急会館へ上っていくエスカレーターが好きだったのだが。神戸新聞のビルにあった「新聞会館大劇場」「スカイシネマ」もビル倒壊と共に無くなってしまった。とてもとても淋しい。

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モスクワの味「パルナス」が何故「お雛様ケーキ」を発売していた。

2007年01月13日 | 料理・飲み物・食べ物
パルナス製菓株式会社(ぱるなすせいか)とは、かつて関西に多く店を出していた洋菓子の製造・販売会社。本社は大阪府豊中市に所在した。


沿革
1947年に創業、1952年に会社設立、「パルピロ(ピロシキ)」「クレーモフ(シュークリーム)」などのロシア風の菓子を多く製造販売した。「モスクワの味」のキャッチコピーでテレビコマーシャルなども行い、関西では有名な洋菓子メーカーであった。 中村メイコとボニージャックスが歌ったCMソング「パルナスの歌」(津島秀雄 作詞・作曲)は、その悲しげな曲調から、1975年以前生まれの関西人にとってグランシャトー(1971年~)、ハナテン中古車センター(1973年~)のCMとともに今なお強烈な記憶として残り、郷愁をかきたてるものである。1994年10月21日放送の「探偵!ナイトスクープ」で「パルナスの歌」が探偵依頼として取り上げられていることや、2006年には毎日放送のキャラクターである「らいよんチャン」のCMの一部として、当然替え歌ではあるが、このメロディー・曲調を用いたものが使われていることからも、その印象の強さが分かる。またこの他に藤山一郎らが歌った「お誕生日の歌」があり、こちらは対照的に明るさに満ちた曲調となっている。

しかし少子化や不況やライバル洋菓子店の100円ケーキ販売等の熾烈な価格・販売競争により事業を縮小せざるを得ず、ついには「一定の役目は終えた、(社長として)やりたいことは成し遂げた」(当時の古角松夫社長の談話)として黒字経営を保ちながらも2000年に事業を停止、2002年に会社を清算し、55年の歴史に幕を閉じた。


暗いCMソングで有名なモスクワの味「パルナス」が「お雛様ケーキ」を発売した事に、子供時代の僕はショックを受けていた。モスクワに「お雛様」はおらへんやろ・・・この疑問は永遠に解かれる事は無くなった。
非公式「パルナスサイト」があった。あの歌の歌詞も全て載っている。詳しくはこちら→http://www.ceres.dti.ne.jp/~toyoura/parnus/
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「昭和という時代」と「家族の幸福」。

2007年01月13日 | 映画・DVD・ビデオ
昭和30年代の日本・家族の幸福 夫婦編

紀伊國屋書店

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「今どきの嫁」47分 昭和31年(1956年) 脚本監督 青山通春 撮影 牛山邦一 照明 田畑正一 出演 飯田蝶子 岸旗江 鈴木瑞穂
戦前の家族制度がまだ抜けきれない東北の農村を舞台に、新しい考えを持つ嫁と姑との対立。古い因習に囚われた夫も実家に戻った嫁の行動で、やっと目を覚まし、妻を迎えにいく。
昭和31年ニュース映画から「クイズ大流行」(猫も杓子も懸賞クイズ、都会を襲った不思議なブーム)

「妻と夫がけんかした話」34分 昭和32年(1957年) 脚本 鮎沢美子 監督 野村企鋒 撮影 高山弥 照明 田中光五郎 出演 戸田春子 神田正夫 原ひさ子
一票差で村の予定者が落選してしまった。何事も順番や地域エゴで決めていた村の政治を変えたのが新しい嫁の自由な投票だった。この一票が巻き起こす騒動が夫婦や村を変えることになった。
昭和32年ニュース映画から「憲法の10年」(もう始まっていた改憲論、あれから50年まだまだ頑張っています)

「愛情屋台」55分 昭和35年(1960年) 脚本 八木隆一郎 監督 佐藤武 撮影 古泉勝男 照明 沖茂 出演 島田屯 中畑道子 十朱久雄
空襲で焼け出された母子と一緒になり、通天閣の見える町で妻と二台の屋台を並べて商いをする気弱な夫。しっかりものの妻と義理の息子にも遠慮しながら、何とか亭主らしく、父親らしいことをしたいと願う焼鳥屋の物語。
昭和35年ニュース映画から「セールスマン物語」(モーレツ社員の代名詞、30年代はここまでやります)
昭和30年代の日本・家族の幸福 親子編

紀伊國屋書店

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「小さな町の小さな物語」39分 昭和35年(1960年) 脚本 古川良範 監督 柳沢寿男 撮影 藤洋三 照明 久米成男 出演 朝霧鏡子 斉藤秀雄 清水金一
中山道沿いの小さな町に薬局を開く夢を持つ薬剤師一家。妻には文句を言われながらも、人の良い亭主は死別した妹親子、弟の子どもたちと次々と引き取ってしまう。子供と夢に向かって明るく生きる家族。
昭和35年のニュース映画から「それでもアイクはやって来る」(アイゼンハワーは来たのか、安保・天王山の緊張)

「風光る日に」55分 昭和36年(1961年) 脚本 八木隆一郎 監督 佐藤武 撮影 古泉勝男 照明 沖茂 出演 若原雅夫 水戸光子 高杉佑三子
一年に一度山深い温泉宿に来るお客。同じ時、宿の中学生の娘に心のこもった誕生プレゼントが毎年届く。娘が修学旅行で上京して、その送り主を訪ねると、その正体が明らかにされる。終戦の混乱が生んだ物語。
昭和36年のニュース映画から「物に追われる郵便屋さん」(宅配便も民営化もない時代、小包は郵便局が頼り)

「現代家族」48分 昭和37年(1962年) 脚本 杉原せつ 監督 堀内甲 撮影 松田忠彦 照明 鈴木直秀 出演 荒木道子 家田佳子 笈田勝弘
戦後の混乱期を懸命に生きた母子家庭に娘の結婚話が影を落とし始めた。養子を迎え親と同居か、親は老人ホームかの選択を迫る時代の始まりだった。家族制度の崩壊は家族にも終わりがあることを意味していた。
昭和37年のニュース映画から「お盆を迎えた老人の島」(瀬戸内海の若者が去った小島、過疎が深刻化)
昭和30年代の日本・家族の幸福 家族編

紀伊國屋書店

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「お母さんの幸福(しあわせ)」48分 昭和33年(1958年) 脚本 片岡薫 監督 木村荘十二 撮影 牛山邦一 照明 鈴賀隆夫 出演 坂本武 堤真佐子 川口のぶ
一家の大黒柱のお母さんが自宅で隔離入院生活を送ることに。これまでの生活は一変。長女は会社を休み、全員お母さんの療養に協力する生活を始める。母の病気が良くなるに従って、家族も成長していく。
昭和33年のニュース映画から「皇太子妃に正田美智子さん」(昭和30年代の華は、やはり美智子さま)

「おじいさんはがんこ者」30分 昭和33年(1958年) 脚本 勝目貴久 監督 堀内甲 撮影 荒牧正 照明 永井俊一 出演 松本染升 永井玄哉 西章子
50年前の日本はまだ家長が大きな権限を握っていた。農家の食事は米ばかりをどっさり食べて、結果栄養不足による病気にさらされていた。がんこなおじいさんにバランス良い食事を摂るように説得していく。
昭和33年のニュース映画から「実を結んだ集団農場」(岩手県 中国からの引揚者による開拓村の実りの秋)

「長男」56分 昭和36年(1961年) 脚本 山住正己 監督 佐藤武 撮影 古泉勝男 照明 沖茂 出演 飯塚鐘 中江隆介 三好久子
農家の主として一家を支える長男とその家族の物語。近代的な酪農経営で村を豊かにしようと努力する兄。妹は町の男との結婚をめぐりその人柄に悩む。全国的に過疎化や離農が進行する中、農業で生きる努力を描く。
昭和36年ニュース映画から「実るか農業基本法」(これで農民も地方も救われるはずだったが)

「昭和」という時代は「バーチャル」だった。とりあえず、自分の体を動かさないとほとんど何も出来なかった。それが実は「幸福」なのかもしれない。「飢餓感」があって、「幸福」を求めていくのが「人間」ではないだろうか?



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「働きマン」は面白い!!!!!

2007年01月13日 | 映画・DVD・ビデオ
働きマン 第1巻 初回限定版

角川エンタテインメント

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内容(「Oricon」データベースより)
人気作家・安野モヨコ原作コミックのアニメ化。週刊『JIDAI』の女性編集者・松方弘子28歳元巨乳。寝食も忘れ、凄まじい勢いで仕事に没頭する彼女のニックネームは人呼んで「働きマン」。仕事人間の松方だけでなく、松方の周囲で働く様々なタイプの人達の視線を通して“働くとは何か”を問う。世の中の全ての働きマンに贈る元気が出る栄養剤!「女の働きマン」「張り込みマン」の2話収録。
働きマン 3 (3)

講談社

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漫画を読んだ時から面白いと思っていた。女性の部下から教えて貰ったのだが、男性が読んでも面白い。
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小林 多喜二の「蟹工船」は学生時代から読みたいと思っていた。

2007年01月13日 | 本・雑誌・漫画
マンガ蟹工船―30分で読める…大学生のための

東銀座出版社

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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小林 多喜二
1903(明治36)年10月13日、秋田・大館生まれ。4歳の時、一家は小樽に移住。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。在学当時から志賀直哉と文通し、北海道拓殖銀行に勤務するかたわら志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤らの作にも学びながら文学修行した。『戦旗』に発表の「一九二八年三月十五日」(28年)、「蟹工船」(29年)でプロレタリア文学の金字塔を築き、「不在地主」(『中央公論』)発表を機に拓銀を解雇されて上京。以後は作家として一意専心し、31年日本プロレタリア作家同盟書記長として、満州事変後の日本の侵略戦争の拡大に先頭に立って反対し、当時非合法におかれていた日本共産党に入党。32年春のプロレタリア文化運動に対する大弾圧で地下活動に入り、33年2月20日、特高に検挙・拷問死させられた。

Amazon.の「カート」に入れて置いたのだが、今日見たら、品切れ。慌てて、他のインターネット書店を検索。無事買う事が出来た。届くのが楽しみである。

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