その年の夏、僕は麻雀をやれば、2日で役満を3回上がり、パチンコ屋にトイレを借りに入って、わるいなぁ~と思って、300円だけやったら、「フィーバー」。こんな「フィーバー」が9回続いた。就職を決める秋を控えた夏だったのに・・・
そのせいか、「就職浪人」をしてしまった。おかげで、今の会社で働けているのだから、結果OKなのかもしれないが・・・
当然、落ち込んでいた。そんな時、大学の友人に海外ツアーに行かないかと誘われた。彼らは4人で、ツアーに申し込んでいたのだが、1人がスケジュールNGになり、3人だとツインルーム使用なので、僕を誘ってくれたのだ。
そして、僕は親に金を借り、1982年2~3月にかけて、大学生協主催の「エジプト・ヨーロッパ27日間ツアー」に参加する事になった。海外はもちろん初めて。僕はその時まで、「海外旅行なんて、自分と程遠いもの」と思っていたので。
関西からは僕らを入れても数人。成田から30人くらい乗ってきて、ほぼ同い年の1クラスが27日間、一緒に旅する事になった。当時、1ドル243円位。飛行機の「アルコール類が有料だった事」も憶えている。「ドル」と「円」どっちで払った方が得か真剣に考えた。そうそう、アンカレッジ経由の英国航空ロンドン・ヒースロー行き。もう「アンカレッジ経由」と言っても通じる人は少ないかもしれない。当時はまだ「ソ連(今のロシア)」の上空は飛べず、燃料補給の為、ヨーロッパ線は、南回り以外、アンカレッジを経由していた。
アンカレッジで食べた「きつねうどん」、美味かったなぁ~
27日間、一緒に旅をしたから、最初の何年かは、横浜で焼肉パーティーをしたりして、交流もあった。しかし、歳月と共に連絡が取れる人は減って行き、同じ大学の3人とMS銀行に勤めている男性、そして、今回会った彼女の5人になってしまった。大学の連れは別として、残りの二人とはクリスマスカードや年賀状をやり取りするだけの仲。
何でこんな話を書いたかというと、この旅で知り合った女性と、今回のアメリカ旅行で20数年ぶりに再会したのだ。
サンディエゴの日本料理店「但馬2」でH・Kさんと晩御飯を食べた。あのツアーの時の話もした。僕と彼女は生まれ年が同じ昭和35年。ツアーの時、ギリシャのアテネで彼女の誕生日を祝った。2月25日の事である。僕はイタリア・ローマで誕生日を祝って貰った。2月27日だ。2日違い。
ツアーの3年後、彼女は日本メーカーのアメリカ法人に移り、渡米。同じ会社の中国系アメリカ人と結婚。今は12歳と9歳の娘の母親。でも、会った途端に分かった。
「お互い太ったねぇ」「いつまでも精神的に幼いのは二人とも変わんないね」そんな話から始まった。2時間くらい喋っていたが、いろいろ驚く事があった。
彼女達一家はニューヨークに住んでいたのだが、彼女のサンディエゴ転勤で、夫は会社を辞め、今は主夫。料理も結構上手いらしい。うちの子供と一緒で「公文式」に通わせているのには笑ったが。
彼女曰く、アメリカで「援助交際」とかはありえないとの事。日本の様に、交通機関が網の目のように張り巡らされていて、子供達だけで、どこかへ行ける環境では無いのだ。
まず、12歳以下の子供を1分たりとも、「1人で自宅にいさせる事」は法律で罰せられる。なおかつ、交通手段が車しかないので、学校への送り迎え(スクールバスがとおっていない地域)、子供が友達と映画や買い物に行く時の行き帰り、すべて親が車で移動させる。つまり、日本に比べて、「親の子供に対する義務」が厳しいのだ。日本では、子供が非行に走ると、学校へクレームを付けに行くバカ親がいるが、ありえない。パチンコをしていて、炎天下の車の中で赤ちゃんが死ぬなんて事も問題外。
だから、車が無いと、仕事にも行けないし、生活もできない。僕がレンタカーを運転していて思ったのは、歩行者が渡ろうとしていると、必ず車は止まる。スピードも遵守。つまり、「免停」になったら、重大問題なのだ。飯を食っていても、彼女はビール1杯しか飲まなかった。僕がホテルにレンタカーを止めてきた、と言ったら、「何故乗ってこなかったの?」と不思議そうに訊かれた。僕はたらふく酒を飲みたかったのだ。タクシーで往復2,000円位。外国で、飲酒していて、人でもはねたら大変な事になる。でも、仕事帰り・・・そして、自宅へ帰らなければならない彼女にとっては不思議に思えたのかも。
家はもしかして、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』に出てくる様な、芝生があって、ガレージがあり、新聞配達の少年が丸めた新聞を放り投げて行くの?と訊いたら、そうだとの答え。まさか、家に「プール」なんか?・・・あるよ!
今回、アメリカを車で走り回ってみたが、広い。ただただその広さに圧倒された僕。
気になっていた事も訊いてみた。アメリカに骨を埋めるの?どこのお墓に入るの?
アメリカは基本、土葬。しかし、「どこの家の墓に入るか?」とか「遺骨に対する思いの薄さ」ゆえ、彼女も特段、考えていないという。夫の祖父は遺言どおり、火葬にして川に遺骨をばら撒いたそうだ。
でも、今回、彼女と喋れて楽しかったし、堅く言ってしまえば、アメリカと日本の文化(考え方・・・特に親の子供に対する責任)を具体的に知る事ができて、良かったと思う。
そんな彼女も「広島県人会(どこのや?)」に入っているという。「故郷」とはそういうものだ。日本人の心をすべて消え去る事などできる訳が無い。
今、困っているのはガソリンの値上がりと、日本の小説の値段が高い事。アメリカで僕の借りたプリウスを満タンにして4000円かからなかった。日本に帰ってきて、ハイオクがリッター166円になっているのを見てぶったまげた。
日本の本はロスに行った時、1軒だけある「BOOK OFF」の様な店で20冊ほど買って来るらしい。アメリカのテレビはあまりみないという。楽しみは、仕事を片付けて、車を飛ばし、家に着いて飲むビールだそうだ。アル中かもね!?と、のたまわっていた。
多分、木下恵介監督の映画『二十四の瞳』を観れば、心も安定するかも。
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
名匠・木下惠介監督が、日本映画黄金期を支えた名女優・高峰秀子主演で描いた名作がデジタルリマスター版で復活。小豆島の分教場に赴任してきた大石先生。しかし、貧しい村の子供たちは希望通りに進学できず、やがて軍国主義の時代が到来する。
内容(「Oricon」データベースより)
美しい小豆島を舞台とした先生と12人の生徒たちの感動作。木下恵介監督の代表作であり日本映画史にも残る永遠の名作がデジタルリマスター版で登場。
今、午前2時半。こんなに遅くなったのは、ブログに直接書いていた文章が突然消えてしまったから。今週は「特番」の収録・取材が3本。ねよー!!




そのせいか、「就職浪人」をしてしまった。おかげで、今の会社で働けているのだから、結果OKなのかもしれないが・・・
当然、落ち込んでいた。そんな時、大学の友人に海外ツアーに行かないかと誘われた。彼らは4人で、ツアーに申し込んでいたのだが、1人がスケジュールNGになり、3人だとツインルーム使用なので、僕を誘ってくれたのだ。
そして、僕は親に金を借り、1982年2~3月にかけて、大学生協主催の「エジプト・ヨーロッパ27日間ツアー」に参加する事になった。海外はもちろん初めて。僕はその時まで、「海外旅行なんて、自分と程遠いもの」と思っていたので。
関西からは僕らを入れても数人。成田から30人くらい乗ってきて、ほぼ同い年の1クラスが27日間、一緒に旅する事になった。当時、1ドル243円位。飛行機の「アルコール類が有料だった事」も憶えている。「ドル」と「円」どっちで払った方が得か真剣に考えた。そうそう、アンカレッジ経由の英国航空ロンドン・ヒースロー行き。もう「アンカレッジ経由」と言っても通じる人は少ないかもしれない。当時はまだ「ソ連(今のロシア)」の上空は飛べず、燃料補給の為、ヨーロッパ線は、南回り以外、アンカレッジを経由していた。
アンカレッジで食べた「きつねうどん」、美味かったなぁ~
27日間、一緒に旅をしたから、最初の何年かは、横浜で焼肉パーティーをしたりして、交流もあった。しかし、歳月と共に連絡が取れる人は減って行き、同じ大学の3人とMS銀行に勤めている男性、そして、今回会った彼女の5人になってしまった。大学の連れは別として、残りの二人とはクリスマスカードや年賀状をやり取りするだけの仲。
何でこんな話を書いたかというと、この旅で知り合った女性と、今回のアメリカ旅行で20数年ぶりに再会したのだ。
サンディエゴの日本料理店「但馬2」でH・Kさんと晩御飯を食べた。あのツアーの時の話もした。僕と彼女は生まれ年が同じ昭和35年。ツアーの時、ギリシャのアテネで彼女の誕生日を祝った。2月25日の事である。僕はイタリア・ローマで誕生日を祝って貰った。2月27日だ。2日違い。
ツアーの3年後、彼女は日本メーカーのアメリカ法人に移り、渡米。同じ会社の中国系アメリカ人と結婚。今は12歳と9歳の娘の母親。でも、会った途端に分かった。
「お互い太ったねぇ」「いつまでも精神的に幼いのは二人とも変わんないね」そんな話から始まった。2時間くらい喋っていたが、いろいろ驚く事があった。
彼女達一家はニューヨークに住んでいたのだが、彼女のサンディエゴ転勤で、夫は会社を辞め、今は主夫。料理も結構上手いらしい。うちの子供と一緒で「公文式」に通わせているのには笑ったが。
彼女曰く、アメリカで「援助交際」とかはありえないとの事。日本の様に、交通機関が網の目のように張り巡らされていて、子供達だけで、どこかへ行ける環境では無いのだ。
まず、12歳以下の子供を1分たりとも、「1人で自宅にいさせる事」は法律で罰せられる。なおかつ、交通手段が車しかないので、学校への送り迎え(スクールバスがとおっていない地域)、子供が友達と映画や買い物に行く時の行き帰り、すべて親が車で移動させる。つまり、日本に比べて、「親の子供に対する義務」が厳しいのだ。日本では、子供が非行に走ると、学校へクレームを付けに行くバカ親がいるが、ありえない。パチンコをしていて、炎天下の車の中で赤ちゃんが死ぬなんて事も問題外。
だから、車が無いと、仕事にも行けないし、生活もできない。僕がレンタカーを運転していて思ったのは、歩行者が渡ろうとしていると、必ず車は止まる。スピードも遵守。つまり、「免停」になったら、重大問題なのだ。飯を食っていても、彼女はビール1杯しか飲まなかった。僕がホテルにレンタカーを止めてきた、と言ったら、「何故乗ってこなかったの?」と不思議そうに訊かれた。僕はたらふく酒を飲みたかったのだ。タクシーで往復2,000円位。外国で、飲酒していて、人でもはねたら大変な事になる。でも、仕事帰り・・・そして、自宅へ帰らなければならない彼女にとっては不思議に思えたのかも。
家はもしかして、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』に出てくる様な、芝生があって、ガレージがあり、新聞配達の少年が丸めた新聞を放り投げて行くの?と訊いたら、そうだとの答え。まさか、家に「プール」なんか?・・・あるよ!
今回、アメリカを車で走り回ってみたが、広い。ただただその広さに圧倒された僕。
気になっていた事も訊いてみた。アメリカに骨を埋めるの?どこのお墓に入るの?
アメリカは基本、土葬。しかし、「どこの家の墓に入るか?」とか「遺骨に対する思いの薄さ」ゆえ、彼女も特段、考えていないという。夫の祖父は遺言どおり、火葬にして川に遺骨をばら撒いたそうだ。
でも、今回、彼女と喋れて楽しかったし、堅く言ってしまえば、アメリカと日本の文化(考え方・・・特に親の子供に対する責任)を具体的に知る事ができて、良かったと思う。
そんな彼女も「広島県人会(どこのや?)」に入っているという。「故郷」とはそういうものだ。日本人の心をすべて消え去る事などできる訳が無い。
今、困っているのはガソリンの値上がりと、日本の小説の値段が高い事。アメリカで僕の借りたプリウスを満タンにして4000円かからなかった。日本に帰ってきて、ハイオクがリッター166円になっているのを見てぶったまげた。
日本の本はロスに行った時、1軒だけある「BOOK OFF」の様な店で20冊ほど買って来るらしい。アメリカのテレビはあまりみないという。楽しみは、仕事を片付けて、車を飛ばし、家に着いて飲むビールだそうだ。アル中かもね!?と、のたまわっていた。
多分、木下恵介監督の映画『二十四の瞳』を観れば、心も安定するかも。
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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
名匠・木下惠介監督が、日本映画黄金期を支えた名女優・高峰秀子主演で描いた名作がデジタルリマスター版で復活。小豆島の分教場に赴任してきた大石先生。しかし、貧しい村の子供たちは希望通りに進学できず、やがて軍国主義の時代が到来する。
内容(「Oricon」データベースより)
美しい小豆島を舞台とした先生と12人の生徒たちの感動作。木下恵介監督の代表作であり日本映画史にも残る永遠の名作がデジタルリマスター版で登場。
![]() | 「二十四の瞳」からのメッセージ澤宮 優洋泉社このアイテムの詳細を見る |
今、午前2時半。こんなに遅くなったのは、ブログに直接書いていた文章が突然消えてしまったから。今週は「特番」の収録・取材が3本。ねよー!!




