お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

禅―心と体が綺麗になる坐り方

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
禅―心と体が綺麗になる坐り方
池田書店編集部
池田書店

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内容(「MARC」データベースより)
「ひとり坐禅」「いざ、参禅」「ZEN知識あれこれ」の3章に分けて、豊富なカラー写真やイラストとともに気持ちのいい坐禅を紹介する一冊。禅寺や修行僧についても掲載。座禅のやり方等、部分的に英文解説付き。

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)
野々村 馨
新潮社

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内容(「BOOK」データベースより)
その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて―。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか?雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。

内容(「MARC」データベースより)
自分を探すために、僕は自分を捨ててみた。30歳の時に突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として一年間の修行生活をした著者が、社会復帰後に語る修行の日常と「捨てきれない僕」との闘いの日々。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
野々村 馨
1959(昭和34)年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国を旅した。卒業後、デザイン事務所に勤務するが、30歳の時、突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活をおくる。その後、再びデザイン事務所に勤務し、その通勤の行き帰り、電車の中で修行記を執筆し始める・・・


最近、僕は「坐禅」や「仏教」に強い興味を持っている。これらが「人間の心」をどう変えていくかに惹かれるからだ。物凄い昔から受け継がれたものには、「真」があると思う。
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誰も書けなかった年金の真実―あなたがもらえなくなる日 by 辛坊 治郎

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
誰も書けなかった年金の真実―あなたがもらえなくなる日
辛坊 治郎
幻冬舎

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「ズームイン!」のニュース解説、「ウェークアップ!フぷらす」のキャスターを務める著者の「年金」に関する鋭い分析。僕も今の「年金制度」が破綻するのではないかと、対策を考えている。
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た・か・く・ら by 嘉門 達夫

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
た・か・く・ら
嘉門 達夫
扶桑社

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内容紹介
本書は、人物観察眼の鋭さから「シンガーソングライター界のファーブル」「ギターを持った日本野鳥の会」などと異名をとる嘉門達夫氏が初めて書き下ろす、亡き友に捧げた私小説である。
~あらすじ~
春めいて来たある朝、突然、幼なじみの高倉から電話があった。「オレ、肺がんであと三ヵ月って医者に言われてん。それにしても四十七やで。ちょっと早すぎると思わへんか?」すべての物事を判断する基準が「オモロい」か「オモロない」かだった高倉。とにかくコイツが死ぬまで、オモロくせんとイカンと思った僕は「おえ!高倉、葬式の最後に死んだ本人がビデオで挨拶するってオモロいと思わへんか?」と言うと「おお、オモロいがな!そんなんやってくれんの? やろう! やろう!」と言う事になり・・・・・・。
子供の頃の一大イベント「大阪万博」の想い出とともに綴られる、可笑しくも切ない友情物語。



悲喜劇は書くのが難しい。さすが嘉門達夫さん、上手いこと、書きはった。
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篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 [河出文庫 た24-1] (河出文庫 た 24-1)
竹熊 健太郎
河出書房新社

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内容紹介
戦後大衆文化に放たれた、激烈なるエネルギー――
康芳夫(マルチプロデューサー、虚業家)/石原豪人(挿絵画家、画怪人)/川内康範(月光仮面原作者、生涯助ッ人)/糸井貫二(全裸の超・前衛芸術家) 彼らケタ外れの偉人たちを追う伝説のインタビュー集。裏の昭和が熱く妖しくよみがえる。

サブカルチャー総合誌『クイック・ジャパン』創刊当初の名物企画から生まれた名著『篦棒(ベラボー)な人々』、待望の文庫化。 解説=本橋信宏

著者について
1960年、東京生まれ。編集家、漫画原作者、ライター。多摩美術大学非常勤講師。桑沢デザイン研究所非常勤講師。著書に、『サルでも描けるまんが教室』(相原コージと共著)、『私とハルマゲドン』『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』『ゴルゴ13はいつ終わるのか?』、ほか多数。



康芳夫さんとは新宿の文壇バー『風花』で出会った。この人が「アントニオ猪木とモハメッド・アリの異種格闘技選手権」「オリバー君をアメリカから呼んで、日本人女性とセックスさせ、子供を作らせようとした人物だとその時、紹介された。普通の人間では無いオーラを放ちまくっていた。70歳位ではないだろうか。エネルギーあふれる人物・・・というか、怪物に僕は出会えて嬉しかった。
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ボーイズ・オン・ザ・ラン 8

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
ボーイズ・オン・ザ・ラン 8 (8) (ビッグコミックス)
花沢 健吾
小学館

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いつも買っているコミック。主人公の奮闘と空回りぶりが可笑しくも面白い。
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八木亜希子 in 『明石家サンタ』

2007年12月26日 | テレビ番組
八木亜希子(やぎ あきこ、1965年6月24日 - )とは、共同テレビ所属のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサー(1988年4月~2000年3月)。静岡県引佐郡三ヶ日町(現在の同県浜松市北区)出身、その後神奈川県へ移住。血液型はO型。


人物
私立横浜雙葉高等学校→早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修卒業後、1988年にフジテレビにアナウンサーとして入社。同期の女性アナウンサー(有賀さつき、河野景子)と共に「花の三人娘」と呼ばれ、いわゆる女子アナブームの全盛期を飾った。

また、ドラマ出演やCDデビューなど、アナウンサー以外の活動も話題となったが、2000年3月末に惜しまれつつ退社。

その後半年ほどの充電期間を経て、共同テレビ所属のフリーアナウンサーに。タレント、女優としても活躍し、テレビCM、ドラマ、映画などに出演。2002年10月、大学時代の同級生である会社員と結婚。その後、アメリカのニューヨーク、カリフォルニア州サンノゼに在住し、現在は帰国して神奈川県在住。英語も得意。

明石家さんまとのコンビで人気のクリスマス番組『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジテレビ系、1990年~)は今も健在。

アナウンサーとしてのスタンダードを確立し、以後、彼女を目標とする女性アナウンサーも多い。 温厚でおっとりした口調だが時折出演者を嗜たり鋭い切り口の発言をすることで有名だった。


フリーアナウンサー後の出演
FNS春の祭典2000 - 2000.0405
FNS秋の祭典2000 - 2000.1004
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル - 2000.12~2002.12
女子アナ。 - 2001.01(第1話ゲスト出演)
TOKYO CONCIERGE (J-WAVE)- 2001.4~2003.3。降板後も、ゲストとして2度出演。
みんなのいえ - 2001年公開(準主役級)
THE 有頂天ホテル - 2006.0114公開(客役)
明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー - 1990.1225~(毎年イブの深夜)
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 - 2007.0210公開(本人役カメオ出演)
明石家さんちゃんねる- 2007.4~(初の他局(TBS)のレギュラー番組)
八木亜希子と垣花正のサウンドコレクション(ニッポン放送)- 2007.0427・2007.0622
2007天神祭生中継(テレビ大阪) - 2007.0725 ※司会
ボクらの時代(フジテレビ)- 2007.1104
垣花正のあなたとハッピー!(ニッポン放送)- 2007.1211

フジテレビ在籍中の出演
FNNスーパータイム(お天気コーナー) - 1988.07~1989.09
お天気チャンネル - 1988.10~1989.09
FNNモーニングコール(月・火) - 1989.04~1990.03
今夜は好奇心(リポーター) - 1990.04~1991.03
アンテナホット7(月・火・水) - 1990.07~1990.09
FNN NEWSCOM(金) - 1990.10~1991.03
ビデオの女王様・シリーズ - 1990.10~1992.03
初詣!爆笑ヒットパレード - 1991.0101
おはようナイスデイ - 1991.04~1993.03
FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91 - 1991.0720(総合司会)
ウゴウゴルーガ(木)(トマトちゃん) - 1992.10~1994.03
夜のヒットスタジオ・リターンズスペシャル - 1993.0331
プロ野球ニュース(日) - 1993.04~1994.03
殿様のフェロモン - 1993.04~1993.09
明石家さんまのスポーツするぞ!大放送 - 1993~1997(全11回)
新春かくし芸大会 - 1994、1995、1998、1999、2003
めざましテレビ - 1994.04~1998.03
エンタメゆうえんち 東京移住計画 - 1995.10~1996.03
第10回(1996年)FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック - 1996.0713(進行係)
ザッツお台場エンターテイメント! - 1997.0331
中村雅俊のゼッタイ!知りたがり - 1997.04~1998.03
めざましテレビ週末号 - 1997.04~1998.03
FNNスーパーニュース - 1998.04~2000.03
FNS30周年'99秋の祭典 - 1999.0929
これが年の差なんてだろ!? - 2000.02

発言・逸話・その他
就職活動当時日本テレビも受験していたが、最終面接で「長嶋監督の奥様と同じ名前ですね」と問われ、「はい。でも我が家はアンチ巨人で、阪神ファンです」と答えてしまい、不合格となった。
フジテレビの入社最終面接で、ミュージカルが得意と履歴書に書いていたために、当時の鹿内春雄社長から踊るように言われ、その場で一人ミュージカルを演じた(この時一緒に受験していたのが、大学の同級生で元日本テレビアナウンサーの福澤朗だったが、福澤はすでに日本テレビから内定を受けていたためあまり熱心には受験せず、よそ見ばかりしていたため不合格となった)。
『とんねるずのみなさんのおかげでした』の名物コーナー「食わず嫌い」の収録後トークで、そのミュージカルのことを石橋貴明にツっ込まれたが、恥ずかしさのあまり顔を赤らめ両手で頭を抱えしゃがみ込んでしまった。
1991年にはウッチャンナンチャンの内村光良との交際を写真誌に撮られたこともあった。内村が会見で交際宣言。しかし、その後破局。
内村との離別後、同局アナウンサーの野島卓と交際。婚約寸前まですすむが、野島の女性問題が発覚し破局。
同期の有賀さつき、河野景子とは今でも交流があるようで、時々会う事もあるという。
1994年のFNSの日特番『平成教育テレビ』では、司会の一人としてセーラー服姿で出演したが、司会のビートたけしから「あれは宇宙企画が得意としているものですね」と突っ込みを受けていた。
俳優の宮川一朗太は早稲田大学第一文学部の同級生。
明石家さんまが2004年のFNSの日に『さんま・中居の今夜も眠れない』で「八木は俺のことを好きだと思っていた」と暴露。
後のイメージからは考えられないが、新人時代は現代っ子で目上のスタッフに対してタメ口を利いたり「パパ」呼ばわりするなどをしていたという。
フリーアナウンサーの渡辺真理は、中学・高校の後輩に当たる。


今、録画した『明石家サンタ』を観ている、何故か。毎年楽しみにしている番組だ。やはり、生放送の「さんま」は面白い。八木亜希子はいい歳のとり方をしているなぁ~と思う。河野景子、有賀さつき・・・フジテレビの元アナウンサーに比べて、「知性」と「上品さ」を感じる。さんまとのコンビも抜群にいい。おもろい番組。また、睡眠時間が減る。
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