お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

走行中に自動ドア開く、小5男児マイクロバスから転落死

2007年12月24日 | 子供・動物・生き物・ペット
 24日午後6時25分ごろ、東京都練馬区大泉町の外環自動車道大泉ジャンクション付近で、走行中のマイクロバスの自動ドアが突然開き、小学5年生の男子児童(11)が道路上に転落、後ろから来た2トントラックにひかれ、間もなく死亡した。

 埼玉県警高速隊の調べによると、バスは、埼玉県川越市やふじみ野市で活動する少年サッカーチーム「福原サッカークラブ」のマイクロバスで、車内には事故当時、運転手のほか24人の子どもが乗っており、茨城県霞ヶ浦での練習試合を終え、帰宅途中だった。同高速隊は自動ドアが開いた原因などを調べている。

 事故の影響で、和光インターチェンジ―大泉ジャンクション間が午後6時40分ごろから通行止めになった。
(読売新聞より引用)


何故、自動ドアが開いたのか、そして亡くなった少年は何故、ドアのところにいたのか?うちの子供3人もサッカーをやっており、親として本当に悲しいニュースだ。
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幸せだったかな ビートたけし伝&北野ファンクラブ DVD-BOX

2007年12月24日 | 笑い
幸せだったかな ビートたけし伝
井上 雅義
白夜書房

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内容紹介
「70年代、探しものの旅 浅草にはオイラの失くした何かがあった」(ビートたけし)
※オビ文より。

白夜書房刊、高田文夫責任編集『笑芸人VOL.6』~『笑芸人VOL.17』に連載されていた、ビートたけし飛翔伝「六区ビートララバイ」の内容を改訂し、単行本化したものが本書。カバーイラストは、黒田征太郎。

昭和四十七年、明治大学を中退したたけしは浅草のストリップ劇場、フランス座で芸人修業をはじめた。著者の井上雅義は偶然にも同時期にフランス座に座付作家志望で入門し、たけしと三年間寝食をともにする。謎の多い、たけしの浅草修行時代の真実を知る、数少ない証人の一人。名著『浅草キッド』(ビートたけし著、新潮文庫刊)の出てくる“井上”こそ、本書の著者である。いわば『浅草キッド』の外伝として書かれたのがこの『幸せだったかな ビートたけし伝』である。

「たけしは本当に芸人になりたくて、浅草へとやってきたのだろうか」
今もなお著者の中にある疑問。あるときは芸人、あるときは映画監督、様々な顔を持つ芸人・ビートたけしの誕生の謎を解くべく、たけしの青春である浅草時代を振り返る。
浅草時代のたけしの青春伝説を書くことが、四十年前にたけしと出逢ったころからの念願であった……と語る、著者入魂のビートたけし伝。
たけしの「探しものの旅」を体感できる一冊となっている。

北野ファンクラブ DVD-BOX

ポニーキャニオン

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内容紹介
たけしの必笑エンターテインメント満載!

1991年からフジテレビで放送された伝説の番組がDVDで復活!

●1991年2月13日~1996年3月22日にかけてフジテレビで放送された、たけしの伝説的TV番組「北野ファンクラブ」待望のDVD化!

●北野たけしがお笑い芸人として絶頂期のコントを満載!笑いの津波があなたを次々と襲っちゃいま
す!

[内容解説]
北野ファンクラブは1991年2月13日~1996年3月22日にかけてフジテレビで放送された深夜番組で、いわば『ビートたけしのオールナイトニッポン』のテレビ版とも言える番組として人気を博した伝説
の番組。

番組はオールナイトニッポン同様ビートたけしと高田文夫をパーソナリティに迎え、最近の時事問題から深夜放送ならではの下ネタまで幅広いジャンルから毎回話題を取り上げて爆笑トークを展開。
セットも「北野」の印判をイメージしたパネルと東京スポーツ、黒板数枚(グレート義太夫がイラストデザインやレイアウトをし、毎回チョークで書き込んだ)だけというシンプルなもので、そのチープ感もまた絶妙。番組内ではたけし軍団出演による、海パン一丁や全裸姿のキャラが登場するコントや当時の人気番組をパロディ化したゲームなどバラエティに富んでいました。
今回のDVDでは、その優れモノのコンテンツの中から特に面白かったものばかりを厳選!完全版と
も言える3枚組DVD-BOX。

【収録予定】・たけし&文夫のトーク・コント各種・たけしの人生相談・全裸シルエットクイズ・海パン刑事・全裸行進・お弁当紹介等々

[スタッフキャスト]
企画
北野武/吉田宏
出演
ビートたけし/高田文夫/たけし軍団 ほか
企画協力
オフィス北野
演出
つきざわけんじ
プロデューサー
梅本満(イースト)/高橋松徳(フジテレビ)
製作・著作
フジテレビ/イースト

(C)2007フジテレビ/イースト

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
91年から96年まで放映され、人気を博した伝説の番組「北野ファンクラブ」をDVD化したBOX。ビートたけしと高田文夫をパーソナリティに迎え、時事問題から深夜放送ならではの下ネタまで、幅広いジャンルをテーマに爆笑トークやコントを展開する。3枚組。

「ビートたけし」が好きだ。あの「恥じらい」。いつまでも「バカで入られること」。余人にはできないと思う。うちの次男の名前も「たけし」。漢字は違うが、「ビートたけし」リスペクトで名付けた。
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植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

2007年12月24日 | 本・雑誌・漫画
植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」
戸井 十月
小学館

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クレイジーキャッツ メモリアル DVD-BOX

(株)イーネット・フロンティア

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内容紹介
1960年代に放送されていた「シャボン玉ホリデー」「植木等ショー」「おとなの漫画」などクレイジーキャッツの黄金期の映像がついにDVD化!!このBOXは日本テレビ、TBS、フジテレビのライブラリーに残存する素材の中より、最高の作品を選び出して収めており、ユーザーがどこから見ても満足できる作品となっております。
【特典内容】小冊子(P.22)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
黄金期のハナ肇とクレイジーキャッツが出演していた60年代のTV番組『シャボン玉ホリデー』『植木等ショー』『おとなの漫画』などの映像を収録した4枚組BOX。お茶の間を笑いの渦に巻き込んだ彼らの貴重なパフォーマンスがたっぷりと堪能できる。


「テレビが楽しい時代」があった。どんなにしんどくてもがんばれ、ぶっ倒れても次の番組を作ろうという気概を持ったキャストやスタッフが集まっていた。
今のテレビは「離乳食」でしかない。「芯(何を視聴者に伝えたいか)」を持った番組が激減している様に感じる。キャストやスタッフの「強い強い番組作りの熱」が画面に現れるのだ。クレージー・キャッツはそれを体現してくれた。懐かしくも楽しい思い出である。
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消えろクソがん 日本一諦めの悪い芸人・竹内ゆうじの闘病日記

2007年12月24日 | 病院・薬・病気
消えろクソがん 日本一諦めの悪い芸人・竹内ゆうじの闘病日記
竹内 ゆうじ
ワニブックス

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内容紹介
関西の人気バラエティ番組ABC「クイズ紳助くん」の出演者・竹内ゆうじ 33歳。
世界中をロケで旅する「なにわ突撃隊」の主要メンバーだ!
愛する3人の子供と妻との幸せな生活、順風満帆にみえた芸人生活を突然のがん宣告が襲う!
初めて明かされるがんとの闘いの日々、
番組出演時と同じく決して諦めない姿勢で闘病生活を送る苦闘の日々が今明らかに。


タレントの竹内ゆうじさん死去
2007年12月11日

 吉本興業所属のタレント、竹内ゆうじ(本名・竹内裕二)さんが10日、直腸がんで亡くなった。36歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午後1時30分から兵庫県丹波市氷上町市辺220の2のJA丹波ひかみ葬祭センターで。喪主は妻真子(まこ)さん。自宅は公表していない。

 朝日放送の人気番組「クイズ!紳助くん」で「なにわ突撃隊」の一員として活躍していたが、がんの宣告を受け、18日に『消えろクソがん 日本一諦(あきら)めの悪い芸人・竹内ゆうじの闘病日記』を出版予定だった。
(朝日新聞紙面より引用)


若い人が亡くなると悲しい。残された家族の事も考えてしまう。僕は、新聞を読む時、すぐ「死亡欄」に目が行く。天寿をまっとうしている様な年齢で亡くなっている人より、竹内さんの様に、自分より若い人の訃報を知るとショックを受ける。「生きていること」がどれだけ貴重な事か、その度に思い起こさせられる。
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ケルティック・ウーマン

2007年12月24日 | 歌・CD
ケルティック・ウーマン
ケルティック・ウーマン
EMIミュージック・ジャパン

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曲目リスト
1. ラスト・ローズ・オブ・サマー(イントロ)~ウォーキング・イン・ジ・エアー
2. メイ・イット・ビー
3. イニシュフリーの島
4. ダニー・ボーイ
5. ワン・ワールド
6. アヴェ・マリア
7. センド・ミー・ア・ソング
8. シューリ・ルゥ(ウォーク・マイ・ラヴ)
9. オリノコ・フロウ
10. サムデイ
11. シー・ムーヴド・スルー・ザ・フェア
12. ネッラ・ファンタジア
13. バタフライ
14. ハリーズ・ゲームのテーマ
15. ソフト・グッバイ
16. ユー・レイズ・ミー・アップ
17. アショカン・フェアウェル~コントラディクション
18. シ・ド・マモーイ(お金持ちの未亡人)
19. 主よ、人の望みの喜びよ
20. アイ・ドレムト・アイ・ドゥウェルト・イン・マーブル・ホールズ


商品の説明

内容(「CDジャーナル」データベースより)
アイルランド出身、女性5人組ユニットの日本デビュー盤。フィドルやハープの音色が印象的なケルト音楽テイストのサウンドと澄み渡るようなピュアな歌声が魅力。デヴィッド・ダウンズの秀逸なアレンジにも注目。


僕はケルト音楽が好き。連続ドラマの劇中曲も音楽監督の提案で、アイルランドのダブリンでレコーディングして、ドラマのストーリーや映像にぴったり合った。特にこのアルバムでは、「ユー・レイズ・ミー・アップ」が好きだ。透き通る様な歌声が僕の心の奥底まで響く。

今の季節にはこちらのアルバムもオススメ。
クリスマス・セレブレーション
ケルティック・ウーマン
EMIミュージック・ジャパン

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曲目リスト
1. オー・ホーリー・ナイト(クリスマスの歌)
2. まぶねの中で
3. ディン・ドン!高らかに(みそらにこだます)
4. ホワイト・クリスマス
5. きよしこの夜
6. クリスマス・パイプ
7. クリスマス・ソング
8. キャロル・オブ・ザ・ベル
9. あなたに楽しいクリスマスを
10. 天使の糧(パニス・アンジェリクス)
11. ベツレヘムの夜
12. 神の御子は今宵しも
13. リトル・ドラマー・ボーイ
14. ウェックスフォード・キャロル
15. レット・イット・スノー
16. ビヨンド・ザ・シー
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M-1初!サンドウィッチマン敗者復活栄冠

2007年12月24日 | 笑い
若手漫才No.1を決める「M-1グランプリ2007」の決勝戦が23日、東京・六本木のテレビ朝日で行われ、サンドウィッチマンが史上初の敗者復活からの優勝を成し遂げた。予選を勝ち抜いた8組に敗者復活組を加えた計9組で争われ、最終ラウンドではサンドウィッチマン、キングコング、トータルテンボスが進出。島田紳助審査委員長や松本人志ら審査員7人のうち4人が支持する“圧勝劇”で無名コンビが史上最多となる4239組の頂点に輝いた。 

 ミラクルVに会場は、どよめきと大きな拍手が巻き起こった。大会史上初めての敗者復活からの戴冠。しかも、全くといっていいほどの無名コンビの快挙達成だ。「夢見心地です。本当に全く覚えていない状況です」とツッコミの伊達みきお(33)は放心状態だったが、ボケ担当の富澤たけし(33)と目に涙を浮かべながらガッチリと抱き合い喜びをかみしめた。

 その実力は確かだった。この日、都内で行われた敗者復活戦を勝ち上がり、バイクですでに決勝の始まっているテレ朝へ到着。打ち合わせもそこそこに本番に挑んだが、「紳竜コンビ」のDVDで研究したというテンポのいいボケ&ツッコミでトータルテンボスやキングコングといった強豪を押しのけトップで第1ラウンドを突破した。

 決勝ラウンドは、一番自信のあるというデリバリーのネタを披露。結果は島田委員長や松本ら7人の審査員のうち4人の支持を集め、見事に栄冠を勝ち取った。

 島田委員長は「松本と『何でこいつら準決勝で落ちたんだ』と言っていた。どこの事務所で何をやっているのかも分からない。けど、本当に能力がある」と絶賛。急きょ、1月13日の自身が司会を務める日本テレビ系「行列のできる法律相談所」への出演を決めた。

 伊達は“やくざ風”のルックスながら伊達政宗の子孫という経歴の持ち主。2人は宮城・仙台商のラグビー部の同級生で99年にコンビを結成した。だが、今年出演したテレビ番組は「エンタの神様」を含めて5、6回。2人は、家賃6万8000円の1DKのネズミが出るというアパートに一緒に住んでいる。

 極貧生活から手に入れた賞金1000万円。伊達は使い道について「新しいマンションじゃなく、アパートに住みます。あとは親にあげます」とキッパリ。この日の有馬記念顔負けの大番狂わせをサンドウィッチマンが、M-1の舞台で演じてみせた。(ディリー・スポーツ紙面より引用)


伊達みきお(だてみきお、1974年9月5日 - )

ツッコミ担当。パワフルな突っこみはプロの間で定評がある。宮城県仙台市出身。身長170cm。体重88kg。趣味は野球を始めとするスポーツ。ヤクザのような外見をしているため、ネタの中でも「○力団の方ですか?」「出所祝いですか?」などとしばしば使用されている(実際、歌舞伎町を歩いていたら本物のヤクザに「大久保さんですよね?!」と組の偉い人に間違われた事がある)。
漫画「史上最強の弟子ケンイチ」に登場する柔道家「宇喜田孝造」に容貌が似ている。同作の作者松江名俊に、「(実写版の製作が決定した際は)宇喜田孝造役として抜擢されるのでは」と言わしめている。
仙台藩家臣で一家の家格をもっていた大條氏嫡流で明治期に伊達姓に復姓した家の出である。


富澤たけし(とみざわたけし、1974年4月30日 - )

ボケ担当。ネタ作りも担当している。東京都生まれ宮城県仙台市育ち。身長170cm。体重76kg。趣味はTVゲーム、ワールドサッカー観戦。言葉の勘違いをするネタや伊達の体型をいじるネタが多い。また、「ちょっと何言ってるかわかんないですね」と言うネタもあり、伊達が「なんで何言ってるかわからないんだ」とつっこむ。

来歴
高校時代のラグビー部で知り合う。お笑い芸人になりたかった富澤は当初は別の相方と組んでいたが、本来は伊達と組みたいと考えていた。しかし伊達は就職していた為、退職を待って二人で上京(これは同期だったポプラ並木が上京し、お笑い芸人として活動を始めた影響とのこと)。
本人達はネタ以外ではボケ、ツッコミの役割分担は気にしていないため、フリートークでは自由なポジションで対応している。
元々はホリプロに所属しており、当時はトリオだった(脱退したのは現:「メインストリート」の浜田。[1]より)。
2005年・2006年のM-1グランプリでは準決勝まで進み、2007年では敗者復活戦から決勝前半戦を1位通過、最終決戦でも審査員7人中4票を獲得し見事優勝を果たした。敗者復活戦から優勝を勝ち取った初のコンビとなる。
過去にH・R事務局に所属していた。
東京進出9年の今でも、コンビ2人でアパートに住んでいる。

受賞歴
第7回M-1グランプリ優勝(2007年)

出演番組
笑っていいとも!(フジテレビ系 2001年4月11日「ご先祖様はスゴイ人!」のコーナー)
エンタの神様(日本テレビ系 不定期出演、キャッチコピーは「お笑い界の裏番長」→「ボリューム感の挟み撃ち」)
笑点(日本テレビ系 2007年11月11日)
虎の門(テレビ朝日、テレ朝チャンネル 不定期出演)
伊集院光 日曜日の秘密基地


サンドウィッチマンの公式サイトはこちら→http://sandwichman.fc2web.com/


僕も「生」で観ていたが、文句無しの優勝だと思う。ダントツで「サンドウィッチマン」の漫才が面白かった。これで全国進出、貧乏生活を抜け出して欲しい。拍手!!!!!


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松岡修造のホームページが熱い!!!!!面白いでーっ

2007年12月24日 | インターネット
人生に迷っている人、笑いたい人はこちらを御覧下さい。元気がでるでーっ↓
http://www.shuzo.co.jp/


松岡 修造(まつおか しゅうぞう、1967年11月6日 - )は、日本の元プロテニス選手である。現役引退後はタレント、スポーツキャスターとして活躍している。シングルス自己最高ランキングは46位(1992年)。


人物
父親の松岡功は東宝の会長及び東宝芸能社長。母親は宝塚歌劇団卒業生(元星組男役)の千波静。曾祖父は阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝をはじめとする阪急阪神東宝グループ創始者の小林一三(雅号・逸翁)である。夫人は元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子。

慶應義塾幼稚舎・慶應義塾中等部出身。中等部在学中にジュニア選手の登竜門と言われるアメリカの「オレンジボウル選手権」で優勝を果たすなど、早くからテニスの才能を開花させる。その後、慶應義塾高等学校に進むもテニスの名門柳川高等学校に編入。高校中退後、渡米。1984年にインターハイを制覇し、その後プロに転向。ジャパン・オープンにおいて、当時の世界トップ選手ミロスラフ・メチージュ(1988年ソウル五輪金メダリスト)を撃破し、一躍注目を浴びる。1992年4月の「韓国オープン」で、日本人の男子プロテニス選手として初のATPツアー優勝を達成。1995年のウィンブルドンで、日本人の男子テニス選手として1933年の佐藤次郎以来「62年ぶり」のベスト8入りを果たす。その準々決勝では1番コートに立ち、第2シードのピート・サンプラスにセットカウント 1-3 (スコア:7-6, 3-6, 4-6, 2-6)で惜敗した。オリンピックにもソウル五輪、バルセロナ五輪、アトランタ五輪と3大会連続出場を果たした。

典型的なビッグサーバーで、サービスの調子が良い時は手がつけられないほどの強さを誇った。だがその反面動きが硬く、多くの故障にも悩まされた。4大大会の男子シングルスは1回戦から5セット・マッチで争われるため、試合の終盤に力尽きるケースが多く見られた。その最たる例として、1995年のウィンブルドンで快挙を達成した後、全米オープン1回戦でチェコのペトル・コルダと対戦中、痙攣を起こして身体が動かなくなり、試合途中で失格となったこともある。(痙攣はテニス規則では「試合中の故障」とみなされないため、故障の治療時間として取れる3分間の「インジャリー・タイム」“Injury Time”の対象にならない。松岡のこの試合をきっかけに、テニス規則におけるインジャリー・タイムが見直され、その後「シュウゾウ・マツオカルール」として痙攣の治療も認められるようになった。)

1998年春に現役引退。その後、後継者育成のための指導を行うと同時に、スポーツコメンテーターとして日本テレビ系の『スポーツMAX』(2004年3月まで放送、月曜日)に出演した。長野オリンピックやソルトレーク冬季五輪、またアテネ五輪の解説にも参加。2004年1月~3月に『エースをねらえ!』が実写ドラマになった時は、出演者のテニス監修を担当した。フジテレビの『くいしん坊!万才』のレポーター、2004年4月からはテレビ朝日系『報道STATION』でもスポーツキャスターを務めている。また、たびたびTBSの『さんまのSUPERからくりTV』にも出演し、同番組内で明石家さんまと対決。現役テニス選手時代と少しも変わらない熱血ぶりを、テレビ解説を含む引退後の仕事でも披露している。

著書も多数あり、『セカンド・ドリーム』(1998年集英社刊)、『「本気」の言葉』(2002年祥伝社刊)、『テニスの王子様勝利学』(人気漫画『テニスの王子様』をもとにしたもの、2003年集英社刊)、『Stay Gold フィギュアスケート編』(2003年、ナナ・コーポレーション刊)、『Stay Gold 水泳編』(2003年、ナナ・コーポレーション刊)、『熱血お悩み応援団 松岡修造のエネル言!』(2006年小学館刊)、『叱って ほめて 抱きしめろ! ~こうすれば子どもは変わる~』(2006年学習研究社刊)などがある。


エピソード
松岡は、テレビでの活躍が多くなった現在は陽気なキャラクターのイメージが強いが、現役テニス選手時代は苦労の連続だった。彼には多くのエピソードがあるが、テニス関係の事柄も忘れてはならない。


テニス編
父・功氏がプロのテニス選手となることに反対だったため、プロ転向後は実家からの経済的援助を受けられなかった時期があった。
松岡は山本鈴美香の漫画『エースをねらえ!』に憧れてテニスを始め、海外遠征の間はいつも全18巻を荷物に入れて愛読していた。
沢口靖子が東宝シンデレラに選ばれた頃、東宝芸能社長である父・功氏に「会わせてくれ!」と頼んだが、「アホか」の一言で断られたという。また、功氏が周囲から「沢口靖子を嫁に?」と聞かれると、「東宝の看板女優を二流のテニス選手に渡すわけにはいかん」と言ったという逸話もある。
後日、某テニス専門誌の企画で、沢口との対談が実現。対談の場にコミカルなゴジラがプリントされたピンクのトレーナーを着て現れた松岡は沢口のツッコミに対し、「家業(東宝)の宣伝です」と答えた。
1995年のウィンブルドンでは、インターバルのみならず、プレー中も「この一球は絶対無二の一球なり」などと、日本語で自己暗示を掛け続けていた。ベスト8を決めた試合では、歓喜の余りコートに倒れこみ、その様子がBBC等で大々的に放映された。
1996年4月28日、松岡は「韓国オープン」で準々決勝敗退に終わった後、直ちに日本へ帰国し、東京・有明コロシアムで行われた女子国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ」1回戦の日本 vs. ドイツ戦に駆けつけた。伊達公子とシュテフィ・グラフのエース対決で、松岡が日の丸の旗を振り回して会場の大声援を集めた話は今なお語り草になっている。伊達はこの試合でグラフに 7-6, 3-6, 12-10 で勝ち、この日は日本のテニスファンが最も盛り上がった瞬間となった。
テニス指導者としての熱血漢ぶりを示す名言もいろいろあり、「出し切れ!!」/「君達の目指している所、それは日本じゃない、世界なんだよ!それも世界の頂点だよ!!」/「ナイスショット、ナイスショット、ラスティ!」など多数ある。ただし、テニス指導に熱くなりすぎて、テニスを1日指導するイベントなどで、ふがいないプレーをしている子供を叱りつけ泣かす場面もある。
父・功氏は東宝の社長になる以前にはデビスカップに出場したこともある名テニスプレーヤーだったが、実業に専念すると同時に完全にテニスから足を洗った。用具やトロフィーなどはすべて処分し、テニスをやっていた痕跡すら残さなかったという。そのため修造は、自らがテニスを始め、将来を嘱望される選手となる頃まで、父がテニス選手であったことを知らなかった。
現在は東宝東和株式会社で常務取締役を務める兄・宏泰氏は、慶應義塾大学時代にテニス部主将を務め、全日本大学選手権などに出場。テニス専門誌などにもしばしば登場するほどの選手だった。当時既にプロになっていた修造の知名度も高く、「セレブなテニス兄弟」としてメディア的には格好のネタになりそうなものだったが、なぜか宏泰氏が「松岡修造の兄」として紹介されたことはほとんどなかった。これは宏泰氏が、父・功氏同様、大学卒業後は実業に専念することを決意しており、将来はプロとしてテニス界で羽ばたいていくであろう修造とは距離を置いた立場を貫くために、メディアに対してなんらかの申し入れをしていたからだと推察されている。

テレビ編
『どっちの料理ショー』(よみうりテレビ製作・日本テレビ系列)にゲスト出演した時、自分一人が食べられないという結果に「どうして食べることができないんだ!!」と本気で怒ったり、メインレギュラーの草剛に裏切られたことに本気で怒って追いかけ回したりなどの熱血エピソードは今でも語り草になっている。
『くいしん坊!万才』歴代レポーターで最も活動期間が長く、現在も記録更新中である。
マクドナルドのフライドポテトを次の物が揚がるまで待つ・吉野家のお新香はショーケースに入っているものは取らずに新しいものに取り替えてもらう・ファミリーレストランでは店内を一周して何がおいしそうかをチェックするなど、食べ物に関するこだわりのエピソードも多い。
近年はナレーターとしての評価も高い。
オリンピックや各種スポーツなどスポーツの祭典があると現地入りし、観客席で日の丸のハチマキを頭に巻き、日の丸の旗や扇子などを一生懸命に振り、日本人選手を応援している姿が中継されるのが恒例化している。




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