内容紹介
今、最ものりにのっている芸人のひとり、ルー大柴。そして彼から生み出されたユニークで熱いメッセージ・ランゲージ、”ルー語”。
世界一ハッピーでユニークでホットな”ルー語”をかるたで楽しめます。もちろん読み手は、ルー大柴。
本人録音の読み手CDをかければ、いつでもどこでも、ルーがかるたに参加してくれます!
老若男女、だれでもが一緒にハッピーになれる究極のルー語アイテムです。みんなでかるたトゥギャザーしようぜ!!
出版社/著者からの内容紹介
世界一、イージーでハッピーな噂のランゲージ、ルー語のすべて!
今、インターネットでイングリッシュ&ジャパニーズトゥギャザーの「ルー語」
で書かれたハートウォームな「ルー大柴ブログ」が大ブレイク中。さらに、さまざまな
日本語をルー語に変換できる「ルー語変換」サイトまで自主開発され、ルー語人気はとどま
ることを知りません! そんな中、イングリッシュの勉強にもジャパニーズ力アップにも
つながるルー語をスタディできる、笑いあり涙ありの超画期的な語学本がついに完成!
ルー大柴が自信をもって世に贈るルー語の世界へレッツ・トゥギャザー!
●たとえばハッピーなルー会話
「ビコウズ、トゥデイはベリービジーで残業なんだ」
「なんだウォーター(水)臭いじゃないか!」
●たとえばワイズなルーことわざ
「犬もウォークすればポールにヒットする」、「泣きっ面にビー」「薮からス
ティック」「念
には念をプットイン」「立て板にウォーター」etc
●たとえばイージーなルー童話
「桃太ルー」「浦島ルー太郎」「裸のルー様」etc
●たとえばホットな現代ルー語
「経営トゥギャザー」「雇用ウォーター化」「地球ホット化」
「格差ソサィヤティー」「バイマイセルフ破産」etc
●たとえばハートをムーブする名文集
「さみだれを ギャザーしてクリック 最上リバー」
「ヘブンはピープルの上にピープルを造らず」etc。
さらに心も体も癒されるルー大柴の
スピリチュアル・ポエム&ブログ名作集付き!
アース(地球)にジェントル(優しく)で
ハート(心)にリメイン(残る)する
ルー語の世界へ、レッツ・トゥギャザー!
ルー 大柴(るー おおしば、本名:大柴 亨(おおしば とおる)、1954年1月14日 - )は、東京都新宿区富久町出身のお笑いタレント、俳優。身長172cm、体重65kg。血液型はA型。 立教高等学校(現立教新座高等学校)卒業。所属事務所は浅井企画。
略歴
第二次世界大戦後に満州から引き上げてきた父と日本で知り合った母とのあいだに、東京で生まれた。父親はハルビンで生まれ育ち、ロシア語、中国語、英語に堪能で、幼いルー大柴にハグやキスをするような人物であったという。また、父親の父親(ルー大柴の祖父)は満州の宝石商であり、日本軍に飛行機を一機寄付してしまうほどに富裕だったという。母親は再婚であり、1度目の結婚で既に2人の娘がいた。(『文芸春秋』2007年10月)
母親の実家は印刷所を営んでおり、父親は婿養子に入っていた。両親が不仲になったこともあり、高校卒業を前に実家を出た。欧米各地で自作のアクセサリーを露天販売しながら数年間放浪。これを機に英会話が特技となる。
帰国後、両親は離婚しており、一旦は親戚の経営する印刷会社に就職するものの即退職。俳優三橋達也の付き人、勝新太郎が主宰した「勝アカデミー」に参加、同期だった小堺一機と知り合う。ドラマ『俺たちの朝』で俳優としてデビューするが、鳴かず飛ばずで、司会業やモデルとして雌伏の時を過ごす。この時期関根勤とも知り合う。
折り込みチラシなどのモデル時代の事務所のパンフレットに掲載されていた"カジュアルなスタイルにウエストポーチをつけた格好"がコサキンのラジオ番組で話題となり、番組内で"ポシェット・ルー"として人気に火がつく。後に番組内でレギュラーとしてポエムコーナー「ルー大柴のパックインミュージック」が出来るまでになった。
1989年、関根勤主宰の劇団『カンコンキンシアター』の旗揚げに参加し、その独特のキャラクターが脚光を浴びる。「アデランス」のCM『トゥギャザーしようぜ!!』のフレーズが有名。1992年、第29回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。
またテレビ東京の『浅草橋ヤング洋品店』の司会、フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』や舞台『ハムレット』、NHK大河ドラマ『花の乱』などに出演。またタレントとしてのキャラクターとは裏腹な演技力を発揮する俳優としての側面も持ち、近年では舞台俳優としても多くの作品に参加している。
1990年代前半の短期間のブレーク後、しばらくは活動をカンコンキンシアターをはじめとする舞台演劇に重点を置いていたせいもあり、テレビでの出演機会が少なくなり世間の露出度としては低迷が続いた。しかし2007年初頭頃から[1]クドすぎる本人のブログ、その本人の言葉が「ルー語」と言われ、以前ならば最も嫌われていた女子高生層の間で話題となり再びブレークした。みんなのうたにも起用された自身のCDがきっかけでワンガリ・マータイが提唱したMOTTAINAIプロジェクトに賛同し、テレビ出演時にはそのTシャツを着ていることが多い。
現在は川崎市宮前区に在住する。
芸名の由来
「ルー」は、本名の「亨(とおる)」から。家のなかで暴れる幼い大柴を、父親が「ルー台風」と呼んでいたのが由来だという(『文芸春秋』2007年10月)。
人物
自称「職業は旅人」。 愛車は2代目トヨタ・プリウス。 2人の息子がいるが一般人の為非公表。
俳優を目指して研鑚を積み、数々の舞台・テレビでは一般庶民も含めた様々なキャラクターを演じ、ミュージカルのタイトルロールもこなして見せるなど演技者としての力量は高い。しかしルーと言えば、くどくてアクと押しが強くやや空回りしたようなキャラクター、また不気味でうるさ過ぎるタレントとしての顔の方が有名である。本人は自分の芸風を「西川のりおをおしゃれにしたような芸風」とテレビ番組で語っている。
しかし小堺や関根が指摘するように、彼は決して気が強いわけではなく「虚勢をはる小心者」が裏に見え隠れしている所も特徴的である。実際、テレビに出演している時は絶えずモニターをチェックし、番組が終わった後にはスタッフに「今の良かっただろ?」と確認してしまうほどである。
タレントとしてはキャラクター作りとして、「Togetherしようぜ!」「この間department storeで」「Januaryで50歳になるんだよ!」など、会話の中に簡単な英単語を入れるのが特徴。その発端は『ろみひー』『英語でしゃべらナイト』で本人が語るには、高校生時代に帰国子女の同級生と交際していて、どうしても言葉の端々で英単語が出てしまう、と述べている。また、実父が満州生まれで日本語は無論露・中・英の3カ国語をも自由に話せるマルチリンガルであったという、幼少時の体験も少なからず影響していたようだ。一方でラジオで共演した伊集院光に対して、それまで英単語を混ぜてしゃべっていたにも関わらず、別れ際に「さらば!」と日本語であいさつしたことを後で突っ込んでいた。また何故か関根勤のことを「トム」、その娘の麻里のことを「メァ~リ~」と呼び、前述の伊集院光のラジオ番組内では恩師、勝新太郎のことを「ビクトリーNEW太郎」と呼んでいた。
また俳優を目指していた経緯から演劇指向が強く、舞台に生きる自らの事を板人(いたじん)、またカンコンキンシアターでは後輩達に自身の事を「板長(いたちょう)」と呼ばせようとしている。業界でもそんな呼び名はないが、板=舞台の長として団員をまとめあげる、座長の直下のポストであるという自負から来た造語であると推測される。実際、カンコンキンシアターでは年齢的にもキャリアも座長の関根に次ぐ年長者でもあり、舞台公演時にカーテンコールで座長を紹介できる唯一の人物でもある。
小堺や関根、飯島愛らによれば普段の素顔はテレビのキャラクターは必ずしも当てはまらず、実像はよく気がつく人柄のいい人物だという。また水辺の生き物が好きで、趣味の一つにドジョウの飼育があり、川などに出て採取しているという。2007年6月に「ゆうどきネットワーク」(NHK総合)にゲスト出演し、密着取材でオフの日に多摩川で小魚採取に興じるルーを特集した。どうぶつ奇想天外でも魚部の子供たちと魚捕りをした。実家にはそれら小魚を生かす水槽が部屋にある。
交友関係
ラッキィ池田、関根勤とは親友で、三人でカンコンキンシアターを形成。また勝アカデミーの同期である小堺一機も関根らと同様の盟友であり、『噂的達人(うわさのたつじん)』(小堺司会・関根ゲストの回でTVデビュー)・『コサキンルーの怒んないで聞いて』(TBS系列)などの番組を3人で担当。コサキンルーとしても活動した。いまでもコサキンのラジオ番組には年に数回出演しているほか、小堺の家に遊びに行っては小堺の所有するブランド物の服を『小堺、これ(気に入った服)俺んだろ?』と勝手に持って行ったりしている。
関根勤の娘関根麻里とも長い付き合いである。昔、クリスマスの日にルー大柴がサンタクロースに変装し家に来たことがある(「コサキン無理矢理100%」にて勤が言及)。なお、2006年10月25日放送の『クイズ!ヘキサゴンII』では、「お父さんが勤からルー大柴に変わると言われてもタダ(0円)で受け入れることができる」と発言し周囲を驚愕させたが、実際にルーは勤の友人であり、幼い頃からの長い付き合いであるためさほど違和感はないようである。
石田純一とは生年月日、血液型が全く同じで、よくネタにしている。
また、意外に思われるがゆずの二人とも親交があり、ゆずがコンサートに招待したり、ルーが舞台の案内を送ったりするなどよい付き合いをしている。
オンエアとは対照的に細やかな神経を持つSHEILAは、「番組収録で、言い過ぎちゃったかな」と反省し、共演者に「ごめんなさい」と言うタイプ。ルーは毒舌こそ口にしないものの、「小心者」という共通の事柄でよくルーが相談を受けたり、1~2ヶ月に1回の割りで食事に行くという仲である。
2007年5月18日。笑っていいとも(フジテレビ)のテレフォンショッキングに登場した際には福山雅治から花が届いた。ルー曰く、福山は弟分らしい。(翌日(21日)のお友達に谷原章介を紹介した。)また、ラジオ番組でまだブレイクしていない福山と共演した際にいろいろとアドバイスをしていた。(『サンデージャポン』より)
エピソード
ルーが浅井企画に入ってすぐ、スタッフが事務所の重鎮である萩本欽一にルーが入ったことを報告しようとした時に、たまたま萩本はルーが出ている番組を楽屋で見ていて「もう見たくない」という態度でテレビのスイッチを足で切ってしまった。そこでスタッフはコサキンの二人が間に入る形でルーを萩本に紹介したところ、ルーは「よお、欽ちゃーん」と抱きつき、萩本も周囲も唖然とさせた。
一方、萩本の相方・坂上二郎には好かれているらしい。「アメトーーク!」において関根が語ったところによると、とあるゴルフコンペでルーと坂上がペアになったとき、萩本の件もあったので心配した関根は、坂上に「ルーに気をつけて下さい」と伝えたが、コンペ終了後に「ルーはどうでした?」と尋ねたところ「いいね、好きになっちゃったよ」と坂上は上機嫌だったという。この話を披露した後、関根は「俺が坂上さんに心を開いてもらえるまでは30年かかった」と述べている。
本格的に演劇の世界へ足を踏み入れた頃は「大柴亭」「大紫亭」などのように、落語家の様な名前で表記される事が多く、インパクトのある名前を。と言う事で、「ルー大柴」という芸名にした。が、テレビに出始めたころは、新聞見出しに「ノレー大柴」や「ルール大柴」「ルー大紫」「ルー太柴」「ルー芝浦」「ルー犬柴」と誤表記されたことがあった。また、初めて書いたサインに対しては、「ノレー大紫(のれーおおむらさき)さんですか?」と訊かれたという逸話もある。
最近でも『クイズ!ヘキサゴンII』の「日本列島クイズの旅」において、町人から「ルーキー大島」「ルーキー柴」「ルー大島」「大ルー柴」「ウー大柴」と答えられるなど、一般に芸名が浸透していないことをうかがわせている。
和田アキ子は、名前が思い出せずに、「ヘイ大久保」と言っていたことをテレビ番組『新型テレビ』ならびに『アッコのいいかげんに1000回』で告白している。
これは、和田がTBSの楽屋でテレビを見ていたとき、「大江戸を駈ける!」に出演していたルーを見て、名前の前がカタカナで後ろが漢字のところまで思い出したものの、該当の名前がデーブ大久保以外思いつかず、でも「こいつそんなに太ってないもんなぁ」と思い直し、それで出た言葉が「ヘイ大久保」だった、とのこと。
ラッキィ池田が離婚問題で悩んでいたときに心配し、『浅草橋ヤング洋品店』に出演させ「男の涙は屋台で泣け!」と言うコーナーを設け、未練を断ち切らせた。
勝アカデミー時代に講師をしていた岸田森にはかなり目をかけてもらったという。当時小堺は既にテレビに出始めて人気も徐々に得ていたこともあったが、小堺とルーによれば、単に岸田がお笑い指向の小堺よりも、俳優を目指していたルーを評価していたからではないかという。
「笑っていいとも!」ではダウンタウン・関根勤とともに月曜レギュラーとして出演。タモリ・ダウンタウンからかなりウザがられていたが、近年「ダウンタウンDX」などで再び共演し、二人から「久しぶりに絡むと面白い」と再評価された。
「笑っていいとも!」のワンコーナーで、ルーに関する情報やネタが寄せられた際、ピザ・パスタチェーン店「る~ぱん」に掛けた「ルーパン」と言う、ルーの顔に似せた自家製パンにほくろ部分を正露丸を使用したパンが、視聴者から送られた事があった。
ブログを開設しており、英単語・絵文字・色を駆使した文章は相当クドいものだが、逆にそれがウケ、新たな読者層を開拓しており、読者のトラックバックも英単語を併用したクドい文書が大多数を占めている。
ルー大柴のファンのことを“ルーマニア”と言う。若い世代のファンは“ニュー・ルーマニア”。ちなみにルーが弟分と称している福山雅治はルーマニアを公言している。
2003年に朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』にて「おじいちゃんはルー大柴!?」の依頼VTRに出演した際、完璧といえるほど自然に依頼者の家の亡くなったおじいちゃん役を務め、依頼者だけでなくルー自身も涙を流し、スタジオ中を感動の渦に巻き込んだ。このとき探偵を務めていた、普段“お涙モノ”に無縁の桂小枝ですら依頼者と共に涙ぐんでいた。それ以来、関西においてルーは好感度を大幅にアップさせ、この依頼を機に顧問として「ナイトスクープ」に出演するようになった。ルー自身も「今まで出たテレビの中で、こんなに素晴らしい番組に出たのは初めて」と語ったほど。現在も「ナイトスクープ」出演時には、本番収録前後にABCホールの客席を隅々まで回ってパフォーマンスを行うことが恒例となっており、観客からも大いに受け入れられている。また依頼に対してもマジメにコメントしている。
2007年5月18日、「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に出演した際、この時の孫の女の子から電報が届き、ルーはこの時のナイトスクープの事を話した。
俳優志望時代に「太陽にほえろ!」の出演者オーディションを受験した事がある。その時に彼は自ら考案したキャラクター「アムステルダム帰りの‘アムス刑事’」を選考で提案したが、合格には到らなかった。「アムス刑事」の選考時の提案方法は『ボス、俺を‘アムス’と呼んで下さい!アムステルダム帰りの‘アムス’です!』。
書籍「リアクション☆スター」の中ではルー大柴を模したキャラクターが登場し、”世界に通用するファンタジスタ”とその能力を絶賛されている。
本人のコメントなどから西川のりおと芸風が似ているという理由だけで、関口宏の東京フレンドパークIIでは友達同士としてブッキングされ出演している。実はこの二人あまり面識はない。
ダウンタウンDX(日本テレビ)に代表される様なフリートークの場においては、大概過去の話として勝新太郎のエピソードを話す。中でも「警視-K」(日本テレビ)の、主人公の勝に商品を薦める紳士服店員の役の話は、概ね当時の映像と共に、必ずと言ってよいほどよく出ている。この場面のセリフはアドリブであったという。
「音痴」なことでも有名で、「ルー節」とも呼ばれる歌い方はコサキンのラジオ番組では度々ネタにされている。「YOKOHAMA」という曲では気持ち悪い歌い方でコサキンの2人の失笑を買う。
夢はアカデミー主演男優賞受賞だが、『MOTTAINAI 〜もったいない〜』でレッド・ホワイト歌合戦出場も夢だと『徹子の部屋』において黒柳徹子に語る。
再ブレイクについて
もちろん、本人が再ブレイクに値する魅力を持っていること、独特のルー語が若者に受けたこと、本人の頑張りによるものであるが、再ブレイクする前(いわゆる”下火”だったとされている期間)からルー大柴の魅力に気がついていた人たちもたくさん存在する。 上記エピソード内でも表記の福山雅治や、「* ~アスタリスク~」のPVでもルーを起用したORANGE RANGE、「リアクション☆スター」の著者の富田将吾(同書内で「世界に通用するファンタジスタ」との褒め様)などがあげられる。
本人ブログは→
http://ameblo.jp/lou-oshiba/
アメリカの俳優ジョン・トラボルタは、キャラを変えて「復活」したが、「ルー大柴」は同じキャラのまま帰って来た。考えたら凄い事だ。
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