旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行24 藪原宿~宮ノ腰宿~福島宿

2013-08-28 | 中山道紀行

「藪原宿」 11:00
 藪原宿京方の枡形近くに「藪原一里塚」跡がある。
木曽路を力強く疾走したD51-236号機の前から、第24日目の行程をスタートする。
この辺りは旧道を辿るのが難しい。駅から南へ延びる道を進み町はずれでR19に合流する。

 

この区間は基本的にR19を歩き、所々国道を離れ本来の中山道に近いと思われる道を辿る。

谷が極めて狭隘になる山吹山にはR19のトンネルが通じている。
対岸の忘れ去られたこの旧R19、落石防止のネットはネジ曲がりアスファルトを破って
雑草ばかりか松までもが生えている状態で、心細い思いをして通過してからびっくり。
出口には金網が施され「落石危険につき進入禁止」の国道工事事務所の看板が立つ。
反対側にも設置してもらいたいものだ。

「巴が淵」 12:30
 山吹山の危険地帯を抜けると巴が淵。
伝説によると、この淵に住む龍神が化身して、中原兼遠の娘としてこの世に生まれた。
後に「巴御前」として木曽義仲(源義仲)に付き従ったという。
「蒼蒼と巴が渕は岩をかみ、黒髪いとしほととぎす啼く」その余情を打ち破るように、
頭上の鉄橋を特急が疾走していく。

宮ノ腰は木曽義仲の故事にまつわる場所が多い。
宿場手前には義仲元服の地「旗挙八幡宮」があり、資料館前には義仲と巴御前の像がある。

「宮ノ腰宿」 12:50~14:00
 宮ノ腰宿は木曽川の流れの傍らにある静寂な町だ。しかしながら旧い遺構はない。
本陣、脇本陣共に木札があるのみだ。

     

 R19沿いの「水車屋」で、今日の街道めしは “おろしぶっかけそば”、残暑厳しいから。
たっぷりの辛味大根おろし、ネギ、削り節、濃いめの出汁をかけて、さっぱりと美味しい。

木曽川とR19に挟まれたのどかな田園風景を行く。
「宮ノ腰一里塚」を過ぎ路傍の庚申塔・道祖神など眺めながら進めると「原野間の宿」。

この間の宿にさしたる見所はないが、右手に雄大な木曽駒ケ岳を望めるポイントがある。

「中山道中間地点」 14:40
 さらに少し進むと中山道中間地点、江戸へも京へも六十七里二十八町(約266km)地点。
やっと半分もう半分。いづれにしても道半ばだ。

七笑橋を渡ると「手習天神」がある。
義仲を匿い養育した中原兼遠が彼の勉学のために北野天満宮を迎えたものだ。

「出尻一里塚」 15:30
 木曽川に沿って延びる中央本線が右にカーブする先に木曽福島の町並みが見えてくる。
塚を路肩にしてR19が通っているので分かり辛いが、出尻一里塚の一対が残っている。
一方は道祖神や地蔵がびっしりと並び、一方は栗の木が2本、熟さない実を落としている。

「福島関所」 16:30
 陽が傾きかけるころ、木曽川の断崖に望む堅牢な福島関に到着する。
福島の関は江戸幕府が五街道の各所に張りめぐらした50箇所にのぼる関所の中でも、
東海道の箱根・新居、中山道の碓氷と並び四大関所のひとつであった。
現在は関所門と番所が復元されている。

木曽川から関所までは30m余りの高さ。
当時中山道を往き来きする旅人は、どんな思いで関所を見上げたのだろうか。
福島宿の散策は翌日に回し、福島関所を今回のゴールとした。
「藪原宿」から「宮ノ腰宿」を経て「福島宿」まで14.5km。約5時間30分の行程となった。



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