旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行23 贄川宿~奈良井宿~藪原宿

2013-08-27 | 中山道紀行

「贄川宿」 08:10
 指定重要文化財の加納屋深澤家住宅前から第23日目行程をスタートする。
ここから馬籠宿までが木曽十一宿、いわゆる木曽路だ。

中山道は宿場を出ると、奈良井川の流れに沿って蛇行していく。
2kmほど進むと「押込一里塚」の碑が現れ、ここでR19に合流する。

「漆器の町 平沢」 09:30
 押込一里塚から3.5km程、旧道を右にR19を離れていくと平沢の集落となる。
平沢は木曽漆器の町、宿場ではないものの白漆喰と千本格子コントラストが美しい町だ。

「奈良井宿」 10:10~11:20
 JR奈良井駅を見下ろす山中に二百地蔵がある。旅の途中で命を落とした無縁仏と伝わる。
僅かに残った杉並木を下ると奈良井駅前、ここからが奈良井宿となる。

「奈良井千軒」と謳われるほど繁盛したのは、険路の鳥居峠を控えていたからだそうだ。
京方に向かっう中山道の左右には旅籠風情を残す家々が今でも折り重なり連なっている。


全長1kmに及ぶ宿場の江戸方は飲食店、工芸店、民宿が立ち並び賑やかな一角だ。
私たちもこの一角の越後屋さんで早い昼食をいただいた。今日はなめこそばを楽しんだ。

本陣のあった宿場中程は一段と道幅が広くなっている。当時の五街道でも最も広かった。
多くの文人たちが泊まった徳利屋、上問屋資料館として公開する手塚家もこの一角にある。

奈良井宿は枡形ではなく鍵の手を設置していて、水場を設けた広場になっている。

鍵の手から先京方は、やや落ち着いた雰囲気の一角になっている。
道は徐々に勾配を作って奈良井宿の鎮守である鎮神社に達する。
この界隈は朝の連続テレビ小説「おひさま」のロケ地になったところでもある。


宿場の端に高札場がありその先が鎮神社の境内、振り返ると宿場が見渡せる。
鎮神社はもともと鳥居峠に建立されていたもので、戦火で消失した際に現在地に移された。
神社から先、中山道は鳥居峠へ向かう山道となる。

登り出しの急坂部には石が敷かれており歩行の助けとなっている。
所々に見かける古く小さな道祖神が、ここが街道であったことを教えてくれる。

鳥居峠への道は九十九折になっているので地形の割には登りや易い。
遊歩道として整備され、沢には木橋が架か。鳥居峠一里塚跡を過ぎると頂上までもう少しだ。

「鳥居峠」 12:10
 鳥居峠を登り切る。標高は1,210m、振り返ると小さく奈良井宿と奈良井川の谷が見える。
ちなみに奈良井川は木曽駒ケ岳に発する信濃川水系の川、流れは北上し日本海へと注ぐ。

「御嶽遥拝所」 12:20
 峠の反対側には御嶽遥拝所、残念ながら進入禁止となっていた。
御嶽山(3,067m)は山岳信仰の山、状況が良ければ鳥居の方角に雄大な姿を見せる。
中山道はここを境に下りになる。遊歩道の所々には熊除けの鈴が設置されている。

なるほど峠の反対側も熊除けの鈴が必要な鬱蒼とした山道だ。やがて藪原の集落が見える。
中央を流れるのは木曽川は伊勢湾で太平洋に注ぐ。鳥居峠は中央分水嶺でもあるのだ。

中山道が木曽谷に降りてくると飛騨街道追分に達する。
飛騨街道は野麦街道ともいい、女工哀史で有名な野麦峠を越えて高山に至る。
道はJR中央本線に寸断されているが、鉄路とクロスして藪原宿に入っていく。

「藪原宿」 13:10
 藪原宿に入っていくとまず本陣跡が目に付く。本陣はそば処おぎのやに姿を変えている。
宿場は元禄八年(1695年)の大火でほぼ全焼した。
その後の再建時に宿中2箇所の四ッ辻を設け、石垣を組み土塀を施した防火壁を作った。
今でも一部が残っていて、憩いの場になっている。

藪原はお六櫛の産地、現在でも手びき職人を抱えた店が数軒残っている。
みねばり材を使った櫛は御嶽信仰や善光寺詣りの土産として全国的に有名だったという。

街道の遺構は残っていないものの、旧い建物が散見される長閑な藪原宿に達する。
今回は京方の枡形に近い高札場跡碑の前をゴールとして第23日目の行程を終わる。
「贄川宿」から「奈良井宿」を経て「鳥居峠」を越え「藪原宿」までは12.6km。
約5時間の行程だった。



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