13:05発 小出行き427D、入線10分前に来たけれどすでに結構な人数が並んでいた。
満を持しての只見線で呑む旅に発つ。この旅を終えたら「祝・JR東日本を完乗!」なのだ。
鶴ヶ城を意識した会津若松駅は白壁に赤瓦を乗せた城郭風になっている。
車寄せには白虎隊の若き隊士と赤べこが訪れる旅人を出迎えて、会津の旅情を掻き立てる。
只見線の会津若松〜七日町〜西若松の区間は会津鉄道が乗り入れてくる。
レトロな七日町駅にちょうど鬼怒川温泉からのAIZUマウントエクスプレスが入ってきた。
会津若松観光の中心になる七日町通りを歩いてみる。
寛政六年創業の老舗、鶴乃江酒造の重厚な蔵が印象的、ここはお気に入りの “会津中将” を醸している。
もはやレポートの必要もない難攻不落の名城「鶴ヶ城」の層塔型五層天守が空を突く。
眩しいほどに白い城壁、夏の陽を照り返す赤瓦、青空に雄々しく映えている。
七日町通りに戻ったら、これまた天保五年創業の満田屋を訪ねる。この味噌蔵で “みそ田楽” をいただくのだ。
ぐい呑みに注がれた辛口の “会津中将” をお迎えにいって、目の前の囲炉裏で炙られる田楽を待つのが愉しい。
冷たい “ところてん” の喉越しを楽しむうちに、先ずは “こんにゃく” が2本、柚子みそ甘みそを纏って登場。
続いて、豆腐生揚げ、おもち、しんごろう餅、里いも、身欠にしん、って辛口の酒の肴が美味い。
キハE120形+キハ110系の混成2両編成は、会津盆地の西端を舐めるように会津坂下まで北上、
只見川と出会ったら針路を南西に一転、川を右に左に絡めながら、一緒になって蛇行してゆく。
寄り添う只見川は、ある時は渓谷となって、
ときには満々と湛えたダム湖となって、呑み人の目を楽しませてくれる。
混成2両のキハはやがて旅の折り返しとなる会津川口駅に辿り着く。ここでなんと30分の交換待ち。
ここから車で10分ほどの玉梨温泉にも浸かってみたいし、名物カツカレーラーメンも食べたい。
でも次の列車は3時間半後だからね、お楽しみはZで走ってきた時にしようか。
谷に覆い被さる濃い緑はすでに真夏のそれ、灼けた2本のレールがどこまでも延びている。
真夏日にもかかわらず、都会と違って心穏やかなのは、目に優しい緑とひんやりとした川風のせいだろうか。
ところで会津川口で幾らかの降車客があったので、呑み人はボックスシートに席をえた。
然らばっとショルダーからマイ猪口を取り出して、会津の酒 “末廣” のスクリューキャップを開ける。
酸味と甘味が相まった山廃純米をちびりちびり呑みながら、車窓に流れる雲を追いかけている。
只見駅では案山子の歓迎を受ける。フラガールと言いながらチャイナ服を纏って、いずれにせよ艶やかだね。
ところで只見は福島県側の最後の駅、ちょっと長めの停車で乗務員が交代した。
ここからは六十里越トンネル(6,359m)が貫いて、約20キロ所要30分、県境を越える旅となる。
トンネルの暗闇に少しばかりうとうとしていた様だ。
気がつくと車窓の川は渓流となり、流れは進行方向と一緒になっている。かなりの下り勾配を感じる。
ほどなく停車した大白川は新潟県の駅、たった1両の会津若松行きが行き違いを待っていた。
ここから終点の小出までは約40分、混成2両編成は西日を追いかけるように、田圃の中を滑り降りていく。
独り「はんばぎぬぎ」の店は決めてある。4月にふらりと立ち寄った粋なそば処なのだ。
大将にお借りした団扇を扇ぎながら冷たい生ビールを。こんな時に “たこの酢の物” が泣かせる。
地元小出の酒 “緑川” をいただく。新潟の酒らしい淡麗でキレのよい純米が美味しい。
蕎麦前は “じゃこ豆腐” を択ぶ。ラー油とニンニクでカリカリに揚げたじゃこ、食欲を唆る夏のアテだ。
建設会社の営業所長さん、確か介護士のお姉さん、ご常連おふたりに挟まれて今宵は愉快なカウンターだ。
二杯目はお隣小千谷の “長者盛 福壽千歳” を。地元オヤジの晩酌酒のアテに新潟の枝豆が美味しいのだ。
時間も押し迫ったところで “ざる” を一枚、越だけにコシのある田舎そばをズズッと啜って大満足。
所長さんと二人で6合を空けて酔い酔い、女将さんに小出駅まで送っていただき、ご迷惑をお掛けしました。
会津から魚沼へ。旨い酒と肴、よき出会いに恵まれて、記憶に残るJR東日本全路線完乗の宵なのだ。
只見線 会津若松〜小出 135.2km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
川景色 / 石川セリ 1983
次回は冬景色の只見線も❔
😁
今度こそ乗り通すことができました。
そうですね、冬景色はさらに良さそうですね。
宿題にしておきます。
コメントありがとうございます。
「緑川」懐かしくて呑みたくなりました。
スキーにハマっていた頃
気に入ってGETしてました。
美味しいですよね♡
特急北斗で鉄ちゃんに変身しました。
覗いてくださいね(^^)v
スキーやってらしたんですね。
あの辺りだと苗場、石打、浦佐、それとも奥只見丸山?
私はもっぱら志賀でしたね。年100日くらい籠った頃もありました。
あの頃は日本酒飲まなかった、むしろ嫌いでした。
地酒や音楽が思い出と重なるのは良いですね。
コメント、ありがとうございます。
再コメさせていただきます。
スキーで志賀もよく行きました。
ジャイアントコースありましたよね~
年100日はすごいですね。
インストタクターですか?
海外スキーも行かれてますか?
最後に1度だけ滑ってきました。
ウィスラー&ブラッコムで。
広大なゲレンデに感動でした。
いい思い出です。
スキー仲間に親近感を抱きました。
ありがとうございます。
日本酒嫌いだったなんて信じられないですね(笑)
私は一度だけでダボス滑っています。
チューリッヒからダボスまでは列車の旅。
ワインとチーズとバケットをキオスクで買って。
あっ、今から思うと、あれが呑み鉄旅の原点かも知れません。
学生の頃は少しスキーを齧っていて、
合宿と合宿の合間にスキー学校でバイトして、
おおらかな時代でした。
のんさんと共通の話題ができて嬉しいです。