ここから噴火湾の絶景が眺められます。
ここは八雲町で維新後「尾張徳川家」の武士たちが開拓の為に移り住んだのだそうです。
幕末の尾張藩主は会津藩主「松平容保」の兄で、片や新政府軍に組し、片や旧幕府軍(奥羽列藩同盟)として戦ったのでした。
勝った側とて藩が無くなり禄も無くなってしまえば、食べて行けずに北海道に開拓に来たのでしょう。
「八雲町」って名前は尾張藩当主(徳川慶勝)が付けたと言われています。
登って来る車が無ければいい写真になったのにちと残念です。
場所的には道南(ピンクの内側辺り)に在ります。
北海道に「伊達市」って市が在るのですが、その名前の通り伊達藩(亘里伊達氏=仙台藩分家)からの開拓地でしょう・・こっちは負けた側ですね。
当時勝った側も負けた側も受難の時代だったのでしょう・・その最たるものは「西南戦争」だったのでしょう。
*北海道の地図を見ていて何か不思議に思いませんか?・・道北が真ん中に刺さっていて?人気の美瑛、富良野が道北に入っています。
どうしてこんな縄張り?になってしまったのでしょうか?