葦の呟き

お嬢に翻弄される日常と、時折、自作の絵本を綴ります。

3.魔女の実

2013年08月12日 | 「コブタクンと魔女の実」
その日の夕方、コブタクンが家に帰って部屋に入ると、何かがいつもとちがうような気がしました。
なんだろう?
あ、そうだ。何かいいにおいがする。
どうやらそのいいにおいは、開け放たれた窓の方からやってくるようです。においに誘われるまま窓の方に目をやったコブタクンは思わず
「あっ!」
 と声を上げました。そしてあわてて口をおさえて、だれにも聞かれていないかしばらくじっとしていました。どうやらだれもコブタクンの声に気が付いていないようです。コブタクンは窓の方にかけよりました。
 窓の向こうの遠くの方に魔女の庭が見えます。魔女の庭の真ん中に、おかしな形の木があります。いつも見ている景色ですが、今は違います。その木にはそれはそれはたくさんの実がついているのです。魔女の木の実は、それはそれはいいにおいを風に乗せてコブタクンのもとに届けてくれます。
コブタクンはもういてもたってもいられませんでした。窓からそっと外に出て、魔女の庭に向かって一目散に走りだしました。走りながら、コブタクンは考えました。
もし魔女の庭に魔女がいたらどうしよう?何かされるのかな。いや、でもまてよ。今まで魔女なんて見たことないぞ。もしかしたら魔女なんて本当はいないんじゃないのか?
コブタクンは毎日魔女の庭をながめていました。でも、庭に魔女がいたことなんて一度もないのです。魔女の庭にいるのは、魔女の実がなる木にとまったおかしな形をした鳥だけ。
魔女の庭が近づくにつれて、たまらないほどのいいにおいはどんどん強くなってきます。コブタクンはスピードを上げて走りました。走りながらまた考えました。
魔女の実を食べたらどうなるんだろう?とんでもないことってなんだろう?
コブタクンは、昼間にコブタネエサンから聞いた話を思い出しました。いや、思い出そうとしました。でも、魔女の実のとろけそうないいにおいが考えることを邪魔するのです。コブタクンはもう考えるのをやめました。コブタクンは魔女の実のにおいに包みこまれるように、魔女の庭にかけこみました。
魔女の木の下までやってくると、魔女の実のにおいはますます強くなり、もうそこから離れられなくなってしまいそうなほどです。そしてここで初めて、コブタクンは魔女の実が歌っていることに気が付きました。とてもやさしい歌声で、あまいいいにおいといっしょになって、体がとけてしまいそうな気持になります。
ここはなんて心地よい場所なんだろう。
コブタクンがそう思っていると、不意に頭の上から声がしました。
「お客なんてひさしぶりだねぇ」
コブタクンはドキッとして上を見ました。とてもおかしな形をした鳥が、魔女の木の一番下の枝にとまっています。とても長くて細い首、大きな目に大きなくちばし、色とりどりの飾り羽が頭と尾についています。
「こ、こんばんは」
 おどろいたけれど、おどろいていないようなふりをしました。
「コブタクン・・・だね」
 大きな目を半分だけあけて、その鳥はいいました。長い首がにゅうっとのびて、コブタクンの目の前にくちばしが下りてきました。



「そうだよ。君は?」
 この変な鳥が自分の名前を知っていることにコブタクンはとてもおどろきましたが、おどろいていないようなふりをして言いました。
「ボクはバンノトリさ。一日中この木の番をしているのさ」
 ゆらゆらと首をゆらしながらバンノトリは言います。そして、コブタクンをじっとみつめました。バンノトリの声を聞いている間も、魔女の実のやさしい歌声とあまいにおいがコブタクンのまわりにまとわりついて離れようとしません。とうとうコブタクンは言いました。
「ねぇ!この実、食べていいかな」
 すると、おどろいたことにバンノトリはあっさりと答えました。
「かまわないさ」
「え?いいの?」
「あぁ。そのために来たんだろう?」
 バンノトリは少し目を細めてコブタクンを見ています。コブタクンの頭に、コブタママやコブタネエサンの言葉が一瞬だけよぎりました。でもそれも魔女の実の歌声とにおいであっという間に消えてなくなります。
 コブタクンは一番近くの実に手を伸ばしました。魔女の実に手が届きそうになったそのとき、
「そうだ、大事なことを忘れるところだった」
とバンノトリが言ったので、コブタクンはびくっと手をひっこめました。コブタクンはおそるおそるバンノトリの顔を見ました。
 食べたら死んじゃうのかな。
 食べたら病気になるのかな。
 食べたら消えてなくなるのかな。
 食べたらこの変な鳥になっちゃうのかな。
 コブタクンはドキドキしながら、
「なに?」
 とたずねました。バンノトリはゆっくりと答えました。
「食べていいのは一日に一つだけだよ」
「え?」
 コブタクンはおどろきました。
「それだけ?」
「あぁ、それだけさ」
 なんだそんなことか。



 コブタクンは安心して魔女の実に手を伸ばしました。
食べられるだけで十分幸せじゃないか。一つで十分さ。
コブタクンは一番近くの一番おいしそうな実に手を伸ばしました。すると、コブタクンの手が魔女の実に触れる前に、魔女の実はコブタクンの手の中にすとんと落ちてきました。コブタクンの手の中で、魔女の実はやさしく歌い続けています。ずっしりと重いその実を見ているだけで、よだれが出てくるほどのいいにおいです。
コブタクンは思いきって魔女の実にかじりつきました。

なんておいしいんだろう!

口いっぱいに甘い香りが広がってきました。コブタクンは何もかも忘れて夢中で食べました。一つの実を食べおわると、コブタクンは迷わずもう一つの実に手を伸ばしました。そのとき、頭の上からバンノトリの声がふってきました。
「ひとつだけ」
 コブタクンはあわてて手をひっこめました。
「魔女の実は一日に一つだけ。それ以上食べると、とんでもないことになるんだよ」
 バンノトリは大きな目を見開いてコブタクンをじっと見ていました。
 コブタクンははぁっと一つ大きな息をつくと、ゆっくりと魔女の庭を後にしました。