26日の新聞記事より。『大阪府の橋下徹知事が代表を務める「大阪維新の会」の府議団は25日、入学式などの君が代斉唱時に教職員に起立・斉唱を義務付ける条例案を議長に提出した。維新の会は府議会で単独過半数を占めており、近く可決する公算だ。―中略―。
条例案は、府内の公立小中高校などの教職員を対象に「府立学校、府内の市町村立学校の行事で行う国歌斉唱にあっては、起立により斉唱を行うものとする」と明記。「次代を担う子どもが伝統を尊重し、わが国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、学校での服務規律の厳格化を図る」と目的を掲げた。罰則は設けていない。
ただ橋下知事は、規律などを求める校長の職務命令を拒否し続けた場合は懲戒免職処分とするのが妥当との認識を強調。処分基準を定める別の条例制定を9月議会で目指すほか、不起立教員の校名や氏名の公表を検討する意向を示している。―後略―。』
ちなみに、「国旗・国歌法」とは1999年8月13日公布、施行。国旗は日章旗、国歌は『君が代』とすることとした。「君が代」の語句の解釈が争点となったが、「君」は日本国および日本国民統合の象徴である天皇のことをさすとし、「君が代」とは、天皇を日本国および日本国民統合の象徴とするわが国のことであるとしている。法制化にあたり、国旗の掲揚および国歌の斉唱に関し義務づけを行うことは考えておらず、学校における国旗および国歌の指導についても、その方針に変更が生ずるものではないとの答弁がなされている。(日本大百科全書より抜粋)
この問題では、「思想・良心の自由を保障した憲法19条に反する」として、義務がないことの確認などを求めた訴訟が東京都や大阪府の教職員から起こされているが、最高裁でも「合憲」「違憲」とその判断は分かれている。
難しいことはよく分からないが、私から見れば、「憲法違反」だとして訴訟を起こすこと自体が異常な思想のように思え、それが教師であることをなおさら残念に思う。私の年代では「国旗掲揚」「国歌斉唱」時に起立するのは当たり前の社会常識として捉えてきた。世界中のどこの国をみても、必ず国旗・国歌はあり、それに対する国民の態度は厳粛な敬意を表しているように見え、その姿を美しくさえ感じる。
この問題について、抵抗を示し、拒否することの根幹である思想とはどういうものか? 「思想・良心の自由を保障した憲法19条に反する」と訴訟を起こすほど精神的苦痛を伴う行為なのか。「君が代」斉唱を拒否することは、日本国憲法第1条「天皇は日本国の象徴である」を否定することと同じだと思うが、「天皇制」についてどう考えているのか。これに抵抗を示す教師は子ども達に国旗・国歌についてどのような教育をしているのか。入学時、「君が代」は誰が教えているのだろうか―。などなど、今さらこんな単純な質問をと笑われそうだが、日本人として日本に住む以上、当然のことではないか、一体、何が問題なのかよく分からないのである。
今回の大震災ですべてを失った被災者を励まし慰めるため、各地の被災地を回られた皇族方にどれほどの人が感涙したことか。天皇・皇后両陛下の存在は理屈では語れない何かがあるように思う。皇族の存在を必要かどうかという議論もあるようだが、皇室への畏敬の念こそ日本人の心を一つにする唯一無二のものではないかと思う。
そうでなくても日本古来の文化、伝統、風習が廃れつつある今、子ども達には国旗・国歌に対して敬意の念を持たせ、「愛国心」を育てることは必要だと思うのだが、異論を唱える人も少なくはない。この教師たちはわが子にもそう教育するのだろうが、学校方針と親の教育方針とのはざ間に立たされる子どもはどう選択するのだろう。この先、「君が代」斉唱時に、起立・斉唱しない子どもが現れたらどうするのだろう。
私に孫がいたらこういう教師が担任でないことを願うが、親や子どもが教師を選ぶことはできない。どうすればいいの?
条例案は、府内の公立小中高校などの教職員を対象に「府立学校、府内の市町村立学校の行事で行う国歌斉唱にあっては、起立により斉唱を行うものとする」と明記。「次代を担う子どもが伝統を尊重し、わが国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、学校での服務規律の厳格化を図る」と目的を掲げた。罰則は設けていない。
ただ橋下知事は、規律などを求める校長の職務命令を拒否し続けた場合は懲戒免職処分とするのが妥当との認識を強調。処分基準を定める別の条例制定を9月議会で目指すほか、不起立教員の校名や氏名の公表を検討する意向を示している。―後略―。』
ちなみに、「国旗・国歌法」とは1999年8月13日公布、施行。国旗は日章旗、国歌は『君が代』とすることとした。「君が代」の語句の解釈が争点となったが、「君」は日本国および日本国民統合の象徴である天皇のことをさすとし、「君が代」とは、天皇を日本国および日本国民統合の象徴とするわが国のことであるとしている。法制化にあたり、国旗の掲揚および国歌の斉唱に関し義務づけを行うことは考えておらず、学校における国旗および国歌の指導についても、その方針に変更が生ずるものではないとの答弁がなされている。(日本大百科全書より抜粋)
この問題では、「思想・良心の自由を保障した憲法19条に反する」として、義務がないことの確認などを求めた訴訟が東京都や大阪府の教職員から起こされているが、最高裁でも「合憲」「違憲」とその判断は分かれている。
難しいことはよく分からないが、私から見れば、「憲法違反」だとして訴訟を起こすこと自体が異常な思想のように思え、それが教師であることをなおさら残念に思う。私の年代では「国旗掲揚」「国歌斉唱」時に起立するのは当たり前の社会常識として捉えてきた。世界中のどこの国をみても、必ず国旗・国歌はあり、それに対する国民の態度は厳粛な敬意を表しているように見え、その姿を美しくさえ感じる。
この問題について、抵抗を示し、拒否することの根幹である思想とはどういうものか? 「思想・良心の自由を保障した憲法19条に反する」と訴訟を起こすほど精神的苦痛を伴う行為なのか。「君が代」斉唱を拒否することは、日本国憲法第1条「天皇は日本国の象徴である」を否定することと同じだと思うが、「天皇制」についてどう考えているのか。これに抵抗を示す教師は子ども達に国旗・国歌についてどのような教育をしているのか。入学時、「君が代」は誰が教えているのだろうか―。などなど、今さらこんな単純な質問をと笑われそうだが、日本人として日本に住む以上、当然のことではないか、一体、何が問題なのかよく分からないのである。
今回の大震災ですべてを失った被災者を励まし慰めるため、各地の被災地を回られた皇族方にどれほどの人が感涙したことか。天皇・皇后両陛下の存在は理屈では語れない何かがあるように思う。皇族の存在を必要かどうかという議論もあるようだが、皇室への畏敬の念こそ日本人の心を一つにする唯一無二のものではないかと思う。
そうでなくても日本古来の文化、伝統、風習が廃れつつある今、子ども達には国旗・国歌に対して敬意の念を持たせ、「愛国心」を育てることは必要だと思うのだが、異論を唱える人も少なくはない。この教師たちはわが子にもそう教育するのだろうが、学校方針と親の教育方針とのはざ間に立たされる子どもはどう選択するのだろう。この先、「君が代」斉唱時に、起立・斉唱しない子どもが現れたらどうするのだろう。
私に孫がいたらこういう教師が担任でないことを願うが、親や子どもが教師を選ぶことはできない。どうすればいいの?
今はどうなのでしょうか。
息子に聞いてみました。
「さあ~」と言う返事しか返ってきませせん。
家族の対話と言うものがすっかり廃れてしまって寂しいね。
もっともこれは私の責任なのですけど・・・。
2003年に、東京都立高校などの教職員ら395人が都教委などを相手に起こした訴訟の控訴審判決が1月28日東京高裁で「合憲」とされ、1審東京地裁判決を取り消し、教職員側の請求を棄却。これに対して被告側はさらに上告するそうです。
おそらくこの問題に終わりはないのでしょうね。「思想・信条・良心などの自由の侵害」といいますが、教師はまず公務員として義務を遵守し、子供の教育に影響を及ぼすような行為、言動は慎むべきだと思います。
「思想」という言葉にはどうも危険なものを感じるのは年齢のせいでしょうか。
でも学校は、統率と秩序も教える場ですから、伝統である君が代斉唱にある程度規律を持たせるのは当然でしょう。
そういう場で、秩序を乱す行為を教師がし、思想の自由だなどと言われれば、その先生に子供を任せる気持ちにはなれない。
その辺が、反対する教師にはなぜ分からないのか、思想の押し付けは決して他人にしてはいけないと言いながら、自らの行為が子供に与える影響が分からないのでは、教師として不適格と言わざるを得ないでしょうね。
我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )
忠: 主君に専心つくそうとするまごころ。
孝: よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体: 主権のありかたにより区別される国家の形態
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
過去、長いコメントでご迷惑をおかけしてきたこと改めてお詫びいたします。
いまは、とにかく被災地が立ち直れますように、という思いでいっぱいです。
あの震災で命が助かった方々が、その後に命を落とすことがないように、希望を持てるように、再び自立できるようにすることが政治だと思います。そして日本国民を守るための法を作るのが国会議員のやるべきことだと思います。
今回だけコメントお許しください・・。