(24日の記事より) 『年金が本来よりも多く支払われ続けている特例をめぐり、小宮山厚労相は23日、来年度から支給額を本来の水準に下げ始めることを検討する考えを示した。厚労省は3年かけて段階的に解消する案を検討しているという。
年金の支給額は、物価水準の上昇や下落に連動して増減されるが、1999年からの3年間は物価が下がったのに、2000~02年度の年金額は当時の自公政権が「高齢者の生活への配慮」を理由に特例で下げなかった。このため、今の年金額は本来より2.5%分多く、年金の払いすぎは累計で7兆円に上るという。』
要するに、高齢者票を獲得するためにいい顔をした森政権、「年金は100年安心」と大見得を切った小泉政権。今、そのツケを国民に尻拭いさせようというのだからたまらない。
どの党も政権を握ったとたん、その座を開け放すまいと躍起になる。すべて選挙ありきで、国民に不評な政策はできるだけ先延ばしにしようとする。それが後々どう影響を及ぼそうが、とにかく今が安泰であればいい。そうした無責任な政権の負の遺産が孫子の代まで引き継がれようとしている。まったくあきれた話である。
厚労省は3年かけて毎年1%前後の引き下げを検討しているそうだが、民主党は3年だと引き下げ幅が1.1~1.2%になるため、過去最高の0.9%程度に抑えようと5年前後かける案が浮上しているという。
しかし、すでに23年度から年金は0.4%引き下げられており、国民年金は22年度の満額66,008円から65,741円に、月額267円減額。厚生年金は標準的な夫婦のモデル年金額232,592円から231,648円に、月額944円の減額となり、4月分が支払われる6月の支払から額が変わっている。
仮に、0.9%引き下げ案が実現すると、さらに国民年金は月額600円、厚生年金(標準的な夫婦のモデル年金)は2000円程度の減額となる。仮に4年かけて減額されるとなると、単純に計算しても4年先の国民年金の満額は63,341円で、22年度よりも月額2,667円減となる。一方、厚生年金は223,648円で月額8,944円の減額となる。考えたくないことだが、今後の情勢次第では、さらなる引き下げもあるかと…。
今はデフレで物価が安いからどうにか暮らせるだろうが、復興増税で何がしかの負担増は避けられないし、いずれは消費税も引き上げられるだろう。これで物価が上がるようにでもなったら年金生活者の暮らしはどうなるのか、心細いことである。
話は変わるが、11月5日、私の2006年8月21日のブログ『老人は早く死ねということ?』にコメントが入っていて、『その通りですよね。早く死んで欲しいです。生産性の無い足手まといは早く死滅して欲しいです』であった。ずいぶん昔のブログを読んでくださったことに感謝はするが、このコメントには身の置き所がないというか、身のすくむ思いがした。
私自身、社会のおじゃま虫にならないうちにこの世からおさらばしたいという思いは強く、長生きなどさらさら望んではいない。が、これだけはどうにもならぬことで、『生産性のない足手まといは早く死滅して欲しい』と言われてもなすすべもなく、ただ申し訳ないと頭を下げるよりほかない。
こんな言葉がある。『子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの』、人は誰でも皆、やがて同じ道を辿るのであり、年寄りになって初めて年寄りの気持ちが分かるだろうから、それまでは辛抱していただきたい。
そのようなマイナス負の文字を相手にかく人間が社会的貢献をしてるとは思えません。
私の知人の98歳のおばあちゃまが「長生きして恥ずかしい」といわれます。
そして、100歳になっても知事や市長のお祝いは辞退するといってます。
私が「そんなことはないよ。堂々と胸を張って生きて」というと、「その年にならなければこの気持ちはわからないだろうね」といわれます。
長寿を誇れないなんて、こんな社会は変ですよね。