今回の事件の畠山鈴香容疑者については、マスコミで報道されていることからおおよその人間性が想像できる。彼女の人生は、幸せとは無縁のものだったのか。家庭的にも恵まれていたとはいえず、小学校時代にはイジメられ、疎外され、いつも鬱積したものを心に溜め込んでいたのではないかという。そういう恵まれない成長期を過ごした彼女だが、21歳で結婚し子どもができて、人並みの幸せを夢見た時期もあっただろうが、半年後には離婚。それからの母娘に一時でも幸せな時があったのだろうか。
9歳の幼子が、カップラーメンを持って隣家へ「お湯をください」と頼みに行くという。ガスは必要ないと止めていたというが、お風呂などどうしていたのだろうか。小学校時代には自分自身もあまりお風呂へ入らず、「汚い、臭い」とイジメられていたというに、我が子にも同じ思いをさせて平気でいたのだろうか。自分の感情のままに可愛がったり邪険に扱ったり、母親の気分に翻弄され、顔色を窺いながら生活していたかもしれない彩香ちゃんが哀れに思えてくる。亡くなった後あれだけ悲しむのなら、なぜ生きているときに精一杯の愛情をそそいて上げなかったのか腹が立ってならない。昨日の新聞の週刊誌見出しに、彩香ちゃんの「イジメ自殺説」というのがあったが、あながち根拠のない説でもないような気もする。
周囲の人たちは、綾香ちゃんに食事面など十分な養育がなされていなかったことも、男性が来ると雪の日でも戸外へ出され時を過ごしていたことなど、綾香ちゃんへのある意味虐待ともいえる事実を知っていたのに、見て見ぬ振りをしていたと言えるが、ここでも母娘は孤立していたのか。彼女は町営住宅に住み、生活保護を受けている。町役場は彼女の生活・経済状況などある程度把握できたし、狭い町であれば色々な情報も知り得たであろう。ならば、行政が生活改善のための何らかの手を差し伸べていれば、少しは母娘の人生も変わっていたかもしれない。
生活保護制度は、生活の困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を支援する制度である。彼女もこの恩恵を受けていたが、それに甘えて、働かず怠惰な生活を送っていたらしい。我が子の食事は粗末でも、携帯電話代は1ヶ月に6~7万円使っていたというから、何のための生活保障であろうか。お役所仕事で書類一辺倒の処理だけでは、生活改善にも自立支援にも程遠く及ぶべくもない。
また、新聞の週刊誌見出しには、「事件直前、豪憲君母親との深刻な言い争い」、「息子の重大証言を聞いていた父。綾香ちゃん失踪直前の魔の刻」など、今度は豪憲くんの身内に及ぶ内容もあり、被害者の家族にとって、我が子を失った悲しみに追い討ちをかけるマスコミの残酷さには、反論しようがないだけに悔しい思いをしているだろう。
9歳の幼子が、カップラーメンを持って隣家へ「お湯をください」と頼みに行くという。ガスは必要ないと止めていたというが、お風呂などどうしていたのだろうか。小学校時代には自分自身もあまりお風呂へ入らず、「汚い、臭い」とイジメられていたというに、我が子にも同じ思いをさせて平気でいたのだろうか。自分の感情のままに可愛がったり邪険に扱ったり、母親の気分に翻弄され、顔色を窺いながら生活していたかもしれない彩香ちゃんが哀れに思えてくる。亡くなった後あれだけ悲しむのなら、なぜ生きているときに精一杯の愛情をそそいて上げなかったのか腹が立ってならない。昨日の新聞の週刊誌見出しに、彩香ちゃんの「イジメ自殺説」というのがあったが、あながち根拠のない説でもないような気もする。
周囲の人たちは、綾香ちゃんに食事面など十分な養育がなされていなかったことも、男性が来ると雪の日でも戸外へ出され時を過ごしていたことなど、綾香ちゃんへのある意味虐待ともいえる事実を知っていたのに、見て見ぬ振りをしていたと言えるが、ここでも母娘は孤立していたのか。彼女は町営住宅に住み、生活保護を受けている。町役場は彼女の生活・経済状況などある程度把握できたし、狭い町であれば色々な情報も知り得たであろう。ならば、行政が生活改善のための何らかの手を差し伸べていれば、少しは母娘の人生も変わっていたかもしれない。
生活保護制度は、生活の困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を支援する制度である。彼女もこの恩恵を受けていたが、それに甘えて、働かず怠惰な生活を送っていたらしい。我が子の食事は粗末でも、携帯電話代は1ヶ月に6~7万円使っていたというから、何のための生活保障であろうか。お役所仕事で書類一辺倒の処理だけでは、生活改善にも自立支援にも程遠く及ぶべくもない。
また、新聞の週刊誌見出しには、「事件直前、豪憲君母親との深刻な言い争い」、「息子の重大証言を聞いていた父。綾香ちゃん失踪直前の魔の刻」など、今度は豪憲くんの身内に及ぶ内容もあり、被害者の家族にとって、我が子を失った悲しみに追い討ちをかけるマスコミの残酷さには、反論しようがないだけに悔しい思いをしているだろう。
鈴鹿の親はまたどのような親だったか、連鎖があると思いますが。原因があって結果があるのだから。