第3日目、OPの「潮来十二橋水郷舟めぐり」に行くため、荷物をフロントに預けて8時出発。ホテルのすぐ裏が常陸利根川で、そこへ娘船頭さんの舟が迎えに来ると言う。
しばらくすると、エンジンも高らかに舟がやって来た。昭和10年代生まれらしい娘
船頭さんの舟が4艘、絣の着物、日本手ぬぐいをあごで結び、菅笠をかむった姿はバッチし決まっている。

船は幅1.5m、長さ5mくらいの平底舟(さっぱ船)で、風よけの覆いがついている。まず常陸利根川をモーターで向こう岸にわたる。川にはヨシが生い茂っている。

対岸は千葉県香取市で、加藤洲十二橋を巡るのである。舟が2艘も並べば一杯の横幅だが、さっぱ舟が12艘入るという水路に手漕ぎで入ると、まず利根川沿いの水門が閉められる。水路側の水門はまだ閉じられたままで、水槽のような状態になると水位の調節がされ、やがて水路側の水門が開かれる。利根川の水位との差が激しいため、ここで調整しなければ集落が水に浸かるのだそうである。この水路周辺の集落は昔は橋がなくて陸の孤島になっていたそうで、船が主要交通手段だったらしく、堀を渡るプライベートの小さな橋がいっぱい架かっている。それを加藤洲十二橋と呼ぶそうである。また、この集落では自家用舟を所有している人が多く、水路には舟がたくさん繋留されている。船べりはこすられ、ぶつかられて傷だらけだが、車ではないので事故にはならず、お互い様ということだ。

娘船頭さんは愉快なおばあさんで、話がおもしろい。歌を唄ってくれるのだが、一緒に歌っていると突如音階が変わるのでついてゆけない。約30分ほどだが笑いの連続で、愉快な水郷巡りだった。
ホテルへ荷物を取りにより不参加の人と合流して出発だ。フロントのカウンタのすぐそばにスーツケースを置いていたので、それに手を伸ばしたとたん「ゴツン」、自分でも一瞬何が起こったのかわからず呆然自失。そのうち痛さで涙が出てきて、初めてカウンタでオデコを打ったことに気づく。カウンタが黒色の石ですこし突き出ていたのに気づかなかったのだ。マンガではないが目から星
…であった。これが皮膚の張り切った若い人ならオデコが切れたかもしれないが、シワとたるみのおかげでタンコブだけですんだのは喜ぶべきだろうか。
ホテルの人が氷をくれたのでバスの中でずっと冷やしていたが、今でもオデコに触ると痛い。あのおみくじの「半吉」がこういうことだったのかと納得。
次は、富津金谷のレストランで昼食。最後の昼食は「かき揚丼」にしたが、これがびっくりするような特大かき揚げが2つも乗っかっていて、とても食べきれなかった。
次の観光地は、房総半島最南端の岬である野島崎である。真っ白い灯台が美しく、公園には石像芸術品があちこちに展示されている。穏やかな陽だまりにいるとポカポカ暖かく、やはり最南端だなあと感じさせる。アロエの花がたくさん咲いていた。
30分ほどいて出発、次は南房総のお花畑である。道路沿いには菜の花がたくさん咲いている。が、やはりお花畑の花は見られないというので、「道の駅」の裏のビニールハウスの花を見て我慢することになった。
そして、いよいよ最終観光の「海ほたる」へ到着。5階の展望台から見る東京湾は圧巻である。

遠く海中に突き出た三角形のものは「風の塔」で、海底トンネルの換気塔施設として作られた人工島である。
4階には食事処やみやげ物屋が並び、土曜日とあってたくさんの観光客がいた。千葉県木更津からは高速道路、「海ほたる」PAからは海底トンネルになっていて、これがあのハマコーさんの横槍で架けられたといわれる「東京アクアライン」である。9.6キロの海底トンネルを抜けると、もう羽田空港はすぐそこである。
これで旅も終わった。水戸偕楽園の梅も房総のお花畑も、この時期には花がないことは予想できたのに、このツアーに飛びついたのはちょっと失敗だったかなあ。
友人と、今度は夜行バスで東京へ行き、浅草やアメ横あたりを自由に歩き回ろうかという話になった。ババ2人でお江戸見物、それも楽しいだろうなあ。
(その他の写真はHPの「旅の写真」に載せましたので見てください。)
しばらくすると、エンジンも高らかに舟がやって来た。昭和10年代生まれらしい娘


船は幅1.5m、長さ5mくらいの平底舟(さっぱ船)で、風よけの覆いがついている。まず常陸利根川をモーターで向こう岸にわたる。川にはヨシが生い茂っている。

対岸は千葉県香取市で、加藤洲十二橋を巡るのである。舟が2艘も並べば一杯の横幅だが、さっぱ舟が12艘入るという水路に手漕ぎで入ると、まず利根川沿いの水門が閉められる。水路側の水門はまだ閉じられたままで、水槽のような状態になると水位の調節がされ、やがて水路側の水門が開かれる。利根川の水位との差が激しいため、ここで調整しなければ集落が水に浸かるのだそうである。この水路周辺の集落は昔は橋がなくて陸の孤島になっていたそうで、船が主要交通手段だったらしく、堀を渡るプライベートの小さな橋がいっぱい架かっている。それを加藤洲十二橋と呼ぶそうである。また、この集落では自家用舟を所有している人が多く、水路には舟がたくさん繋留されている。船べりはこすられ、ぶつかられて傷だらけだが、車ではないので事故にはならず、お互い様ということだ。

娘船頭さんは愉快なおばあさんで、話がおもしろい。歌を唄ってくれるのだが、一緒に歌っていると突如音階が変わるのでついてゆけない。約30分ほどだが笑いの連続で、愉快な水郷巡りだった。
ホテルへ荷物を取りにより不参加の人と合流して出発だ。フロントのカウンタのすぐそばにスーツケースを置いていたので、それに手を伸ばしたとたん「ゴツン」、自分でも一瞬何が起こったのかわからず呆然自失。そのうち痛さで涙が出てきて、初めてカウンタでオデコを打ったことに気づく。カウンタが黒色の石ですこし突き出ていたのに気づかなかったのだ。マンガではないが目から星



次は、富津金谷のレストランで昼食。最後の昼食は「かき揚丼」にしたが、これがびっくりするような特大かき揚げが2つも乗っかっていて、とても食べきれなかった。

次の観光地は、房総半島最南端の岬である野島崎である。真っ白い灯台が美しく、公園には石像芸術品があちこちに展示されている。穏やかな陽だまりにいるとポカポカ暖かく、やはり最南端だなあと感じさせる。アロエの花がたくさん咲いていた。



30分ほどいて出発、次は南房総のお花畑である。道路沿いには菜の花がたくさん咲いている。が、やはりお花畑の花は見られないというので、「道の駅」の裏のビニールハウスの花を見て我慢することになった。



そして、いよいよ最終観光の「海ほたる」へ到着。5階の展望台から見る東京湾は圧巻である。


遠く海中に突き出た三角形のものは「風の塔」で、海底トンネルの換気塔施設として作られた人工島である。

4階には食事処やみやげ物屋が並び、土曜日とあってたくさんの観光客がいた。千葉県木更津からは高速道路、「海ほたる」PAからは海底トンネルになっていて、これがあのハマコーさんの横槍で架けられたといわれる「東京アクアライン」である。9.6キロの海底トンネルを抜けると、もう羽田空港はすぐそこである。
これで旅も終わった。水戸偕楽園の梅も房総のお花畑も、この時期には花がないことは予想できたのに、このツアーに飛びついたのはちょっと失敗だったかなあ。
友人と、今度は夜行バスで東京へ行き、浅草やアメ横あたりを自由に歩き回ろうかという話になった。ババ2人でお江戸見物、それも楽しいだろうなあ。
(その他の写真はHPの「旅の写真」に載せましたので見てください。)
千葉は菜の花とポピーの真っ盛りのときですね。
レディーさんはPCが見られるんですから、夜行バスとかホテルなんかぜんぶ予約して自前の旅行を楽しまれてはどうですか。ホテルなんか予算に合わせていろいろあります。東京はやっぱり夜はB級グルメも楽しいです。これもPCで探せます。
そうです。高いガソリン代を使って高速を遠くまで走り、なぜ飯坂温泉にって私も思いました。泊まらなければならない義理でもあるのかとババ2人は愚痴りましたよ。
もう1ヶ月遅かったらよかったですね。
浅草って、楽しいところですね。今度は夜行バスでいって、それこそ近くの山谷の簡易ホテルへ泊まってネ。それとアメ横もいいし、とにかく安いお店がある町がいいですね。ぜったい行こう!
私の方は今の時期は鉛色の空で色彩などありませんが、ここで拝見する青い海と瑞々しい緑に救われます。
大きな夕日の中を横切る飛行機の姿も大好きです!
おでこをぶつけた話し、私も同じような体験したことを痛みと共に思い出しました。お大事にしてください。
私も有名な城址公園にバスツアーで桜見物に行きましたが、駐車場にしか咲いていなくて、そこで記念写真を撮りました。 全てがバッチリとは中々いきませんね
ガソリン高騰の中、無駄なことをすると思いました。近辺にいくらでもいい温泉地はあるのに、なぜと誰もが思いますよね。
ただ、バスに乗ると居眠りばかりの私達は長距離でもすこしも苦にならないのが救いです。
おかげでお天気はよくてまあまの写真が撮れました。
夕日の中の飛行機、分かっていただけましたか。小さいので汚れにしか見えないかなと心配でした。
タンコブはまだ痛みますが、思い出して自分の間抜けさに笑っています。やはり「半吉」でしたね。