つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

親の後ろ姿を美しいという少年・・・

2006-11-28 | Weblog
 中学2年の我が子を虐待していた母親と愛人の男のニュース。食事もろくに与えず、鎖をつけたままトイレへ連れて行っていたという母親、ふくらはぎに金属棒を挟んで座らせて上から踏みつけたり、脚立の上に正座させ、つけていた鈴が鳴ると動いたといい暴力を振るっていた男。なぜこの子は逃げなかったのだろうか。いつも思うのは、虐待されてもなぜ逃げることをしないのかということである。この子は、どこかで母親の変わることを、いつか母親の愛情の片鱗でも見られることを期待していたのだろうか。何とも哀れに思えてならない。
 親が子どもを殺す、子どもが親を殺す、我が子を虐待する、それが奇異なことではなくなったのはいつ頃からだろうか。科学や文化の発展はめざましく、経済的にも世界の大国に肩を並べて遜色のない日本ではあるが、果たして、安倍総理が言う「品格ある国民」として世界に対して胸を晴れるだろうか。昨今の各県の首長の汚職・談合事件、官僚による税金の無駄遣い、公務員の不祥事など、模範たる者がこの体たらくでは、「品格ある国民」が育つわけがなかろう。若者たちの希望の持てる社会でなくては、日本の未来はない。

 前文とは脈絡がないかもしれないが、先日の新聞の投書欄で見つけた、中学3年男子の投稿文である。
 『見た目を気にすること。それは、ごく当たり前のことで誰もがそうだろう。しかし、見た目といっても後ろ姿を気にしている人はそうはいないだろう。
 ある日、部活も引退して時間を持て余していた僕は、ふらふらと家へ向かっていた。家の前まで来た時、仕事場へ向かう母とすれちがった。昨晩も「疲れた」を連発していた母だったが、自転車のペダルを思いっきりこいでいた。僕は、笑顔だけで見送った。それから、少し歩いて振り返ると、体を左右に揺らしながら自転車をこぐ母の姿がまだ見えた。その時の母の後ろ姿は、今の僕とは全く違い、生き生きしているというか、たくましかった。しばらく、その後ろ姿を見つめていた。
 自分を美しく見せようと鏡とにらめっこしたり、自分を飾ったり、それはそれでいいと思う。でも本当に美しい人は飾らなくても美しくいられると思う。僕の母のように…』。
 昔から言われるように「子どもは親の後ろ姿を見て育つ」。まさに、この少年は母親の後ろ姿を見てたくましいと感じ、美しいと思った。これこそ立派な教育であり、親の後ろ姿から学ぶことが教育の原点ではないだろうか。
 また、「子は親の鏡、親は子の鏡」と言われるように、この男子の文章から想像するに、さぞかし毅然とした立派な親であろうと思われる。親子の亀裂が目立つ昨今、このような子どもがいることを、また子どもにこう思わせる親のいることが、むしろ奇異に思えたくらいだ。これが本当の親子の姿であり、昔の親子はそういうものではなかっただろうか。
 子どもをダメにするのはまず親であり、親をダメにするのは社会、社会をダメにするのは政治である。安倍内閣の支持率が下がってきているというが、期待を裏切ることのないよう願いたい。
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2 コメント

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Unknown (うらら)
2006-11-29 11:20:02
この中学生サンは、親の後姿に、親を思いやり、いとおしく思い、そのように暖かい眼差しで見れる事は、親御さんから愛情にはぐくまれて育ったのでしょうね
家族さえまっとうであれば、子供は間違い無く育ち、後の枝葉は、個性であり大切に見守るしかない…かな
今の世は良いに付け悪いに付け人間性を難しくしてる事は確かですね
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Unknown (オールドレディー)
2006-11-29 14:53:45
 この男の子は、素直な少年でしょうね。どんな親御さんが、どのような家庭教育をされたのか、知りたいと思います。
 おエライ先生方が机上で論じる教育論より、この親御さんの話の方がよほどためになるかも。
 「美しい国」「品格ある国民」という安倍総理にも聞かせたい。
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