7月の中ごろ、週刊現代のWEBページに「全国民必読 長生きしたければ病院に行くな」という記事があり、医学部教授、有名医師、医療ジャーナリストたちが、それぞれ下記のような項目で興味ある意見を述べている。
★検査で体調がおかしくなった ★がん検診で寿命は延びない
★日本人だけが信じるウソ ★行けば行くほど二次がんに
★メタボ健診は無意味 ★病院は必死で異常を探す
「★検査で体調がおかしくなった」の項の冒頭に、「老化をあるがままに受けいれ、痛み、苦しみがある時以外は、病院には近づかないほうがいいのではないか。私はそう考えています。現在71歳ですが、11年前の還暦の時に妻ともども決心して、健康診断やら人間ドック、血液検査さえもすべてやめました。そして、そうした検査のストレスがいかに重かったかということに気づいたのです。私たちの日常は、とても穏やかなものになりました。」と、拓殖大学学長で経済学者の渡辺利夫氏が語っている。
私もこの渡辺氏の考え方に賛同する。以前からそのように思ってはいたが、ホームドクターに、「市の健診を受けなさいよ」といわれればお世話になっている手前、拒否できない。だから、嫌々ながらでも内科関連の検査だけ毎年受診したが、それ以外の乳がん、子宮がん検診などは20数年前に一度受けただけで、それっきり受診していない。早期発見は治癒率を高くし、医療費抑制にもつながる。そのために健診を奨励するだろうが健診費用も決して安くはない。病気予防のための健診は必要だとは思うが、今が元気なら、わざわざ病気を見つけにいきたくはないというのが本音である。
私は、今までぜんそく発作で3回入院したが、最初の入院の時は大変な思いをした。ぜんそくの点滴薬が体に合わなかったのか、1週間くらい下痢が続いた。すると担当医は胃ガンか大腸ガンを想定したのか、連日、いろいろな検査をやり、ぜんそくの治療よりそちらのほうに重点が置かれたようだった。体力が衰えているのに食事抜きの検査が何日も続き、検査が終わってベッドに戻ったときはもうぐったりしていた。担当医は、点滴を中断するとか薬を変えるとかの発想は全くなく、とにかく何かの病気を見つけたいと必死になっていたようだ。おかげで40日もの長期入院となったのだが、今になって思うと、それが純粋に医師の責務からか、それとも単に見過ごしを恐れるからか、いずれにしても、「★病院は必死で異常を探す」というのは当たっているように思う。
4年後、2回目の入院でもやはり点滴が始まると下痢症状に悩まされた。もう検査漬けはかなわないと、前回の症例を担当医に話すと点滴薬を変えてくれたのかすぐに症状は回復した。その後、胸が痛いと訴えると整形外科でレントゲン撮影。激しい咳のため肋骨にひびが入っていたのである。苦痛を訴えればすぐに検査をして原因を探ってくれるのはありがたいが、入院時には肺のレントゲンも撮っているし、度々の放射線照射は発ガンの危険性大だという。これこそ「★行けば行くほど二次がんに」ということだろうか。
わが家系はガン罹患率が高い。父や弟、親族を合わせると7人が罹患、存命しているのは現在2人である。遺伝学的には男性の方が罹患率は高いそうだが、私がもしガンに罹ったなら、99%生存の確約が得られない限りは手術しないと決めている。そして、延命治療ではなく、身体的苦痛や精神的苦痛の軽減を主眼におくターミナルケア専門のホスピスで最期を終えたいと考えている。あるがままを受け入れ、自然な形で死を迎えられればそれで言うことはない。
最後の結びに、「健康は、病気を恐れながら得られるものではない。病気の存在を忘れる時にこそ得られるものだろう。つまり、“病院で検査を受けていれば安心”という考えは幻想なのだ。長生きの秘訣、最高の医療とは、過剰な健康志向に縛られずに生きることなのかもしれない。」とあった。果たして今のホームドクターに健診を勧められたら断ることができるかどうか。できればメタボ健診くらいですませたいと思うのだが…。
★検査で体調がおかしくなった ★がん検診で寿命は延びない
★日本人だけが信じるウソ ★行けば行くほど二次がんに
★メタボ健診は無意味 ★病院は必死で異常を探す
「★検査で体調がおかしくなった」の項の冒頭に、「老化をあるがままに受けいれ、痛み、苦しみがある時以外は、病院には近づかないほうがいいのではないか。私はそう考えています。現在71歳ですが、11年前の還暦の時に妻ともども決心して、健康診断やら人間ドック、血液検査さえもすべてやめました。そして、そうした検査のストレスがいかに重かったかということに気づいたのです。私たちの日常は、とても穏やかなものになりました。」と、拓殖大学学長で経済学者の渡辺利夫氏が語っている。
私もこの渡辺氏の考え方に賛同する。以前からそのように思ってはいたが、ホームドクターに、「市の健診を受けなさいよ」といわれればお世話になっている手前、拒否できない。だから、嫌々ながらでも内科関連の検査だけ毎年受診したが、それ以外の乳がん、子宮がん検診などは20数年前に一度受けただけで、それっきり受診していない。早期発見は治癒率を高くし、医療費抑制にもつながる。そのために健診を奨励するだろうが健診費用も決して安くはない。病気予防のための健診は必要だとは思うが、今が元気なら、わざわざ病気を見つけにいきたくはないというのが本音である。
私は、今までぜんそく発作で3回入院したが、最初の入院の時は大変な思いをした。ぜんそくの点滴薬が体に合わなかったのか、1週間くらい下痢が続いた。すると担当医は胃ガンか大腸ガンを想定したのか、連日、いろいろな検査をやり、ぜんそくの治療よりそちらのほうに重点が置かれたようだった。体力が衰えているのに食事抜きの検査が何日も続き、検査が終わってベッドに戻ったときはもうぐったりしていた。担当医は、点滴を中断するとか薬を変えるとかの発想は全くなく、とにかく何かの病気を見つけたいと必死になっていたようだ。おかげで40日もの長期入院となったのだが、今になって思うと、それが純粋に医師の責務からか、それとも単に見過ごしを恐れるからか、いずれにしても、「★病院は必死で異常を探す」というのは当たっているように思う。
4年後、2回目の入院でもやはり点滴が始まると下痢症状に悩まされた。もう検査漬けはかなわないと、前回の症例を担当医に話すと点滴薬を変えてくれたのかすぐに症状は回復した。その後、胸が痛いと訴えると整形外科でレントゲン撮影。激しい咳のため肋骨にひびが入っていたのである。苦痛を訴えればすぐに検査をして原因を探ってくれるのはありがたいが、入院時には肺のレントゲンも撮っているし、度々の放射線照射は発ガンの危険性大だという。これこそ「★行けば行くほど二次がんに」ということだろうか。
わが家系はガン罹患率が高い。父や弟、親族を合わせると7人が罹患、存命しているのは現在2人である。遺伝学的には男性の方が罹患率は高いそうだが、私がもしガンに罹ったなら、99%生存の確約が得られない限りは手術しないと決めている。そして、延命治療ではなく、身体的苦痛や精神的苦痛の軽減を主眼におくターミナルケア専門のホスピスで最期を終えたいと考えている。あるがままを受け入れ、自然な形で死を迎えられればそれで言うことはない。
最後の結びに、「健康は、病気を恐れながら得られるものではない。病気の存在を忘れる時にこそ得られるものだろう。つまり、“病院で検査を受けていれば安心”という考えは幻想なのだ。長生きの秘訣、最高の医療とは、過剰な健康志向に縛られずに生きることなのかもしれない。」とあった。果たして今のホームドクターに健診を勧められたら断ることができるかどうか。できればメタボ健診くらいですませたいと思うのだが…。
胃のレントゲン撮影で、過去に2回引っかかりましたが、カメラを飲まされ全く異常なし。
おまけに、何も無いのに組織を採取され、1週間くらい体調が不良。
こちらの意思に関わり無く検査されるのは少し問題ですね。
だれも進んで健診に行きたいとは思っていないのだと思いますが、かかりつけの医師に勧めれれ仕方なく受けるのでしょう。
私も以前、市のレントゲン車での健診で引っかかり、胃カメラを飲みましたが何ともなかった経験があり、それからは別個で胃カメラにしてもらいました。
今のホームドクターの医院は本当の町医者なので胃の検診や複雑な検査はできないのではと思います。もしよそでやるようならもう受診しません。