飛鳥圭介氏のエッセイ『「運」考』に、「世の中には、本当に信じられないほどに運が悪い人がいるものだ。泣きっ面にハチ、踏んだり蹴ったり、弱り目にたたり目などのことわざもある。反対に、運に恵まれ、何をやってもうまくいく人がいる。おじさんなど大過なく人生を過ごしてきたことを思えば、まあまあの運だったかもしれない。」という一文があった。
過ぎ越した76年の人生を振り返ってみて、私も「運がいい」方だと思う。宝くじで大金を手にしたなどということもないが、大きな不運や逆境に見舞われたということもない。小さなアクシデントはいくつもあったが、それで人生が変わったということもない。いうなれば、この年まで大過なく生きてこられたということで、飛鳥氏ではないが、それだけでも「運がよかった」と言えるだろう。
誰しも人生の中で一度や二度、岐路に立たされるときがあろう。私もこれまでに大きな選択や決断を迫られたことが何度かあった。が、誰にも相談せず、すべて自己責任で選択し決断した。後で、あの時ああすればよかった、こうすればよかった、と思わなかったわけではない。が、その選択や決断が間違っていたかどうかは、何年か、何十年か後の自分を見れば分かると、運を天に任せた。
私の人生で運が良かったと言えることの一つが「住まい」だ、これまで5回引っ越しをしたが、2回目以降はすべて新築物件、ラッキーだった。
最後の引っ越しは2010年、「清水の舞台から飛び降りた」つもりで、築10年の中古マンションを購入した。これはセカンドハウスとして使用されていたそうで、新築と変わらないくらいきれいだった。美しい景観、環境も良くて終の棲家としては最高、人生一番の幸運だと思っている。
そして次は「仕事」のこと。30歳のとき、自立するためタイピングスクールへ通い、1年後に機械を購入、自宅で印刷所の製版作りを始めた。仕事は途切れることなくあり、収入は正社員で勤めるよりも良かった。
しかし時代の流れとともに、印刷業界もワープロ、パソコンの出現で大きく変わった。私は独学でITのスキルを身につけ、うまく時流に乗ることができた。
やがてパソコンが一般家庭に普及するようになると製版の下請けは減少、55歳で廃業した。が、ITのスキルを買われてギフト店に就職。気ままなバイト稼業なのに、今から20年ほど前の時間給1,000円は破格の厚遇だろう。
65歳でリタイア、年金生活になって今年で11年目。贅沢はできないが、のんびり気ままに暮らしている。友人関係も40年近い付き合いの親友を始め、男女を問わず長い付き合いが続いている。宮仕えをしなかったので窮屈な人間関係で苦労することもなく、本当に運が良かったとしか思えない。
運・不運には関係ないが、40歳半ばころにぜん息を発症、20年近く苦しい日々を過ごした。が、これは良いことばかりでは不公平と、神さまから与えられた「罰」だと思っている。
現在、体調は良好。「願わくば、このまま人の手を煩わすことなく、ピンピンコロリで逝きたい。認知症だけはご勘弁を…」と、毎朝お地蔵さんへ神頼み。どこまで厚かましいのか、そのうち天罰が下るかも…ネ。
いつも「人生」はあみだ籤のような、賭けのような危うさあります。順調でも一本線が入ると大きく結果が変わることもあり、最後まで油断禁物。でもここまで寝込まず、手を借りず来れたのですからこのまま逝けるのがなりよりの運の試しどころ。お互い頑張ろう
人生の波風なんて過ぎてしまえば些細な出来事だったと思い出の一ページに。
肩の重荷も気持の在り方次第、何とか生きて行けるこの有難い日本国で最終段階に向かって「感謝」笑顔」で前向き思考明日を迎えましょう。
良い人生かどうか、まあ年を重ねるごとに良い方向へ転じていったことは確かです。子どものころは貧乏だったのでよけいにそう感じるのでしょう。
おっしゃるようにこれからですね。今までの反動でとんてもない最期を迎えるかも…。天罰の一つや二つ覚悟しましょう。
ほんと「終わり良ければ総て良し」ですね。
これからの心がけ次第で、最期の一瞬まで分かりませんものね。「感謝」と「笑顔」忘れないで、気を引き締めていきますね。