つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

阪神淡路大震災から30年・・・

2025-01-18 | 私事ですが

 前の山にビワの木が3本ある。今、花が満開だ。実がなっても足場が悪いから誰も採らない。喜ぶのは鳥だけ…。

 1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生。6400名を超える死者と4万人以上の負傷者、および約25万棟(世帯としては約46万世帯)の家屋被害などをもたらしたという。昨日1月17日、あの震災から30年を迎えた。
 昨秋、長田区では市の開発事業が終わり、ビルが立ち並ぶ街に変貌。これで兵庫県内すべての復興再開発が終結した。この町で震災の傷跡を見つけるのはもう難しいという。だが街の姿は元に戻ったが、人の賑わいは戻らないまま、ある商店主は借金完済までもう10年はかかるだろうと嘆いていた。

 阪神淡路大震災30年の追悼式典に出席のため、天皇皇后両陛下は、前日より神戸に入られ、被災経験者と懇談されたとか。そのニュースに、30年前のあるシーンを思い出して、胸が熱くなった。
 大震災の半月後の1月31日、天皇皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)が被災地にお入りになられた。一礼のあと、じっと焼け跡をお見据えになられた皇后陛下は、お付きの者が持つ白い箱の中から、小さな花束を取りだされた。そしてひざまずいて瓦礫の上に、そっと献花をされた。その花束は17輪の水仙。その日の朝、皇居の庭で皇后陛下自らのお手で摘み取られたものだったという。あの水仙の花は特殊加工して今も保存されているそうである。

 話は変わるが、30年前、私は県北津山に住んでいた。あの朝、ひどい揺れに目が覚めた私は、ベッドの宮台に置いている電気スタンドや目覚まし時計が頭の上に落ちないように両手で抑えるのがやっとだった。揺れが収まってテレビをつけたが、地震のニュースはなかった。
 いつものように支度をしてスイミングに出かけた。行って見るといつもの顔が見えないので、帰りに受付嬢に「今日は少なかったね」というと、「阪神地方の地震がひどいから、みんな心配なのでしょう」という。ウン???
 家に帰ってテレビを見てびっくり。こんな時にのんきにプールに行っていたなんて…。明石に住んでいる弟家族が気になって、電話したがつながらない。姉も電話したがつながらないという。
 だんだんと被害の大きさが報道されるが、どうしようもない。夕方ごろになって姉から連絡がついたとの電話。家の中はめちゃくちゃだが、みんな無事だというのでホッとした。マンションは横壁に大きい亀裂が入っただけだが、電気、水道が止まって困っているとか。
 給水車が来て水が配られたが、エレベーターは使えない。4階だから階段を下りて行けたが、上層階に住んでいる人はどうしただろうか。
 マンションでは、火事や地震の時はエレベーターに乗らないようにという。途中で止まると困るからだが、うちのマンションのように手すりのない階段だったら、私はもうお手上げだ。
 当地は自然災害の少ない所なので、私の防災対策は十分とは言えない。どうちみち足が悪くて逃げられないし、まあなるようになるさ!

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5 コメント

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オールドレディさま (suri-riba)
2025-01-19 15:06:21
する事なんでも成功していた神戸、「人口島」にもびっくりやら羨ましいやら。一夜で災害の恐ろしさも知り、知識もふえました。
南海地震も間近に迫り、さりとて何の準備も手付かず
の有様です。若者には迷惑かけるのが一番心苦しいです。
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Unknown (オールドレディー)
2025-01-19 09:50:13
★千菊丸 さま
今でこそテレビやマスコミの報道で事態を知ることができます。でも私たちにできることは知れています。
阪神でも30年、能登地震の復興は何年かかるやら。一日も早く元へ戻れるよう、ここが政権の力の見せどころでしょう。しゃんとしてよネ!
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Unknown (オールドレディー)
2025-01-19 09:40:05
★sirousagi gamanoho さま
「もう震災の傷跡を見つけるのはもう難しい」というように、主要都市の復興には国も力をいれたでしょう。表面上では復興は完了しても、再開発で建てたビルは空き室が目立ち、借金だけが残ったとか。人がいなくなれば町は寂れてしまいます。能登地方のような田舎町では再開発など無理でしょうね。
南海トラフとかでこれからが心配されますが、自然が相手では完全な防災は無理でしょうね。明日が分からないのは年寄りだけではなくなりました。
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30年前 (千菊丸)
2025-01-18 19:39:14
わたしは当時10歳で、阪神淡路大震災発生時は早朝ということもあってか寝ていました。
学校が終わり、テレビをつけたら、あの横倒しになった高速道路の映像や、瓦礫と化した神戸の街のニュース映像を見て唖然とした事を憶えています。
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阪神淡路大震災の事 (sirousagi gamanoho)
2025-01-18 15:23:32
あれから30年!
追悼式典の様子も被害に遭われた方々の思いも
当時の被害状況もテレビ画面が映し出されるたびに
自然と頭が下がり何故か涙が浮かぶ。
大阪住人で親族、親戚、知人に多かれ少なかれ何らかの形で影響はあったあの大地震。
街は綺麗になっても人々の暮らしが元通りに戻ることは不可能。
大規模地震の活発化時期に突入したとの専門家のコメントも見受けられる昨今
老人組は「運を天に任せる」しか有りませんね
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