今回の冬季オリンピックは、スノボの国母和宏選手の服装の乱れが問題となって、競技が始まる前から騒々しかった。だが、良くも悪くもスノボへの関心度が高まったことは間違いなかろう。
事の発端はというと、2月9日、本代表としてバンクーバーに向かう際、日本選手団公式スーツは着ていたが、“腰パン”にネクタイを緩め、ブレザーの前は閉めず、ドレスシャツの裾も出し、さらに、ドレッドヘアに鼻ピアス、サングラスというスタイルで成田空港に現れた。それに対して世間の批判は強く、おまけに会見での不遜な態度が火に油を注ぎ、結局、入村式、開会式への参加を自粛させられた。
しかし、この選手の常識を欠いた言動は今に始まったことではなく、トリノオリンピックでも日本代表に選ばれたが、記者会見で、同じハーフパイプ代表の成田童夢を馬鹿にした発言をしたり、選手村の壁を破るなど生活態度が悪く非難を浴びたそうである。だが、それでメダルでも取ればまだ良かったが、肝心の本番は23位(予選落ち)という情けない結果に終ったそうだ。
問題となった服装も、これが街中にいる普通の若者なら眉をひそめるくらいですむが、ことが日本代表選手となると話は別で、個性をアピールした“オレ流”も、やはりTPOを心得るべきであろう。しかし、一方では、難病に苦しむ友人のために募金集めに率先したとか、彼を知る同世代からの人物評はそれほど悪くないようである。だが、今どきの若者に受け入れられても、常識を逸脱した言動を続けていれば、やがては社会からそっぽを向かれるようになるのである。彼は、昨年11月に一般女性と学生結婚したそうだが、それならなおのこと社会人としての自覚をもたねばなるまい。
しかし、朝青龍や亀田兄弟の場合もそうだが、一番悪いのは彼らを御し得ない周囲の指導者たちである。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という格言がある。修業を積み重ねて行くと、健康な身体を作り、澄んだ心と優れた人格を養成するといわれるが、昨今は勝つことのみに重点がおかれ、社会常識や精神面の教育がおろそかになっているのではないかと思う。
幼少時からの教育は、いわゆる「知・徳・体」のバランスが大切であるといわれている。が、昨今は、教師でさえ、国旗掲揚・君が代斉唱時の起立を拒否する時代である。日本の国旗や国歌に畏敬の念を持たない教師に、子どもたちに国の誇りや品性について教えろという方が無理かもしれない。
昨年の事業仕分けでは、競技人口の少ない種目が仕分けの対象にされたそうである。この先、今回のような日本代表としての自覚に欠けた選手に国の税金を投じて参加させることが妥当かどうか、疑問視する声が上がっても仕方あるまい。世界的な競技大会へ参加する資格に、技の優劣はもちろんだが、人物の評価基準を設けたらどうかとさえ思う。
試合後のインタビューでは神妙そうにも見えたが、テレビがいいところだけ放送したようで、“オレ流”の態度は相変わらずだったという。が、日本から応援に駆けつけた両親や妻は、周囲に何度も頭を下げ、謝罪の言葉を口にするなど、痛々しい様子だったというのを聞けば気の毒でもある。特に、父親は「次の五輪は無理でしょう。いろんな方の意見を聞く限り、その資格はありません」と厳しく戒めたそうだが、こう言わざるを得ない親の辛さが分かるようなら、まだ救いようがあるというものだ。
余談だが、この国母という名字は珍しく、私は今回初めて聞いた。漢字をみれば、いかにも日本代表にふさわしい名字だが、どうやら、名は体を表していなかった。ちなみに、「国母」とは天皇の実の母親のことで、韓国王朝時代のドラマでは国王の生母の称号として「国母」という言葉がよく出てくるが、この場合は「こくも」と読むそうである。
ついでに言えば、山梨県甲府市に国母という地名があり、JR身延線の国母駅として有名だそうである。歴史の書によれば、ここには、清和天皇の母親にあたる藤原明子(染殿后)の墓と伝える姫見塚があることから、この地域が国母と呼ばれるようになったそうで、ここの読み方は「こくも」ではなく「こくぼ」であると…。彼は北海道石狩市出身だそうだが、「国母」という名字は「こくぼ」と読むうえ、関東地方に多いことから、国母姓のルーツは山梨県の国母である可能性が高いだろうということだ。
結局、終ってみれば8位入賞。“ざまあない”と言いたいが、本人が一番身にしみていることだろう。
事の発端はというと、2月9日、本代表としてバンクーバーに向かう際、日本選手団公式スーツは着ていたが、“腰パン”にネクタイを緩め、ブレザーの前は閉めず、ドレスシャツの裾も出し、さらに、ドレッドヘアに鼻ピアス、サングラスというスタイルで成田空港に現れた。それに対して世間の批判は強く、おまけに会見での不遜な態度が火に油を注ぎ、結局、入村式、開会式への参加を自粛させられた。
しかし、この選手の常識を欠いた言動は今に始まったことではなく、トリノオリンピックでも日本代表に選ばれたが、記者会見で、同じハーフパイプ代表の成田童夢を馬鹿にした発言をしたり、選手村の壁を破るなど生活態度が悪く非難を浴びたそうである。だが、それでメダルでも取ればまだ良かったが、肝心の本番は23位(予選落ち)という情けない結果に終ったそうだ。
問題となった服装も、これが街中にいる普通の若者なら眉をひそめるくらいですむが、ことが日本代表選手となると話は別で、個性をアピールした“オレ流”も、やはりTPOを心得るべきであろう。しかし、一方では、難病に苦しむ友人のために募金集めに率先したとか、彼を知る同世代からの人物評はそれほど悪くないようである。だが、今どきの若者に受け入れられても、常識を逸脱した言動を続けていれば、やがては社会からそっぽを向かれるようになるのである。彼は、昨年11月に一般女性と学生結婚したそうだが、それならなおのこと社会人としての自覚をもたねばなるまい。
しかし、朝青龍や亀田兄弟の場合もそうだが、一番悪いのは彼らを御し得ない周囲の指導者たちである。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という格言がある。修業を積み重ねて行くと、健康な身体を作り、澄んだ心と優れた人格を養成するといわれるが、昨今は勝つことのみに重点がおかれ、社会常識や精神面の教育がおろそかになっているのではないかと思う。
幼少時からの教育は、いわゆる「知・徳・体」のバランスが大切であるといわれている。が、昨今は、教師でさえ、国旗掲揚・君が代斉唱時の起立を拒否する時代である。日本の国旗や国歌に畏敬の念を持たない教師に、子どもたちに国の誇りや品性について教えろという方が無理かもしれない。
昨年の事業仕分けでは、競技人口の少ない種目が仕分けの対象にされたそうである。この先、今回のような日本代表としての自覚に欠けた選手に国の税金を投じて参加させることが妥当かどうか、疑問視する声が上がっても仕方あるまい。世界的な競技大会へ参加する資格に、技の優劣はもちろんだが、人物の評価基準を設けたらどうかとさえ思う。
試合後のインタビューでは神妙そうにも見えたが、テレビがいいところだけ放送したようで、“オレ流”の態度は相変わらずだったという。が、日本から応援に駆けつけた両親や妻は、周囲に何度も頭を下げ、謝罪の言葉を口にするなど、痛々しい様子だったというのを聞けば気の毒でもある。特に、父親は「次の五輪は無理でしょう。いろんな方の意見を聞く限り、その資格はありません」と厳しく戒めたそうだが、こう言わざるを得ない親の辛さが分かるようなら、まだ救いようがあるというものだ。
余談だが、この国母という名字は珍しく、私は今回初めて聞いた。漢字をみれば、いかにも日本代表にふさわしい名字だが、どうやら、名は体を表していなかった。ちなみに、「国母」とは天皇の実の母親のことで、韓国王朝時代のドラマでは国王の生母の称号として「国母」という言葉がよく出てくるが、この場合は「こくも」と読むそうである。
ついでに言えば、山梨県甲府市に国母という地名があり、JR身延線の国母駅として有名だそうである。歴史の書によれば、ここには、清和天皇の母親にあたる藤原明子(染殿后)の墓と伝える姫見塚があることから、この地域が国母と呼ばれるようになったそうで、ここの読み方は「こくも」ではなく「こくぼ」であると…。彼は北海道石狩市出身だそうだが、「国母」という名字は「こくぼ」と読むうえ、関東地方に多いことから、国母姓のルーツは山梨県の国母である可能性が高いだろうということだ。
結局、終ってみれば8位入賞。“ざまあない”と言いたいが、本人が一番身にしみていることだろう。
もう見慣れたので違和感はそんなに感じませんが「何をしたいのか、何を訴えたいのか」
もし、そう聞いたら、自己主張を相手にわかるように伝えられる者はいるでしょうか。
国母選手のことは、マスコミ報道で知りましたが、あのスタイルが自分を極限まで追い込んで強い精神力を養うために役立ったかというと疑問ですね。
やっぱりね。 と思った人が殆どだったのではないでしょうか。
どんなに時代が変わったといえども、日本の国民性はそんなに変わってはいないと思います。
また、社会常識を逸脱した行為はやはり受け入れがたいと考える人が多いのが現実でしょう。
国母選手は10代前半からプロとしてそれだけに集中してきたようなので、ほかの勉強はなにもしなかった、いわばスノボ馬鹿なのでしょう。
こういう若者に育てたということは、やはり親や指導者にも責任があるでしょう。