いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

乾燥にご注意

2011年01月18日 | 日記
 このところずっと乾燥していますね。湿度も20~30%というのがざらで驚くばかりです。ピアノ部屋で理想とされる40%よりもはるかに下回っており、部屋も除湿ではなくて加湿をしたほうがいいのでは、と思えてきます。私が湿度そのものが気になるようになったのはピアノが家に入って以来ですが、職場の人たちはそうでなくても湿度をちゃんと知っていたりするので感心するばかりです。いや、本当はそれが当たり前で、今までの私が鈍すぎたのかもしれませんが(汗)ペットボトルの加湿器がある、という話も知りました。
 実は乾燥のおかげで手も恐ろしいことになっていました。ある日の朝起きてみてびっくり。ざらつきアカ切れがいくつか見えます。切れたところがひりひりと痛みます。愕然としました。お皿を洗う時、感覚がなくなるのは嫌でゴム手袋をせず、しかし冷たいのも嫌でお湯を使っていたのがいけなかったのでしょう。ハンドクリームもろくに使っていなかったし。ゴム手袋は嫌だったのでしませんでしたができるだけ水を使い、洗った後はハンドクリームを塗りむようにしたら少しましになりましたが、本当にあせりました。これからは気をつけよう、と思いました。

 ちょっとググってみたら、なんと1月19日はセザンヌのお誕生日だそうです。生誕172年です。好きな画家の誕生日を知ってよかったです。ついでに1月19日が誕生日の人をwikiで調べてみたら、作家のポーやバリトン歌手のハンス・ホッタ―、国連の明石康、そしてユーミン、紫門ふみ、ウド鈴木、Cocco、宇多田ヒカルがいました。なかなか豪華な顔触れですね。

指揮者たちが練習で使っている言葉 『音楽の聴き方』より

2011年01月17日 | ピアノ・音楽
 ネタばれになるのでこれで最後にしますが、またまた『音楽の聴き方』です。指揮者や音楽家たちが日常的な音楽の現場で使っている言葉は、砕けていて端的なケースが多いと著者は書いています。レッスンは音楽評論だともとらえられるそうです。
そして、リハーサル映像で指揮者たちが使っている言葉の性質を4つのカテゴリーに分類しています。面白かったので引用させていただきます。

 一つ目は「もっと大きく」「ここからクレッシェンドして」といった直接的指示
 二つ目は「ワイン・グラスで乾杯する様子を思い描いて」といった詩的絵画的な比喩
 三つ目は音楽の内部関連ならびに外部関連についての説明 内部関連とは「ここはハ長調だ」「再現部はここから始まる」といった音楽構造に関するもの、外部関連とは作品の歴史的文化的な背景についての説明などである
 四つ目、そして著者がもっとも注目しているのが身体感覚に関する独特の比喩 かっこ内は指揮者の名前
 例1「40度ぐらいの熱で、ヴィブラードを思い切りかけて」(ムラヴィンスキー)
 例2「いきなり握手するのではなく、まず相手の産毛に触れてから肌に到達する感じで」(クライバー)
 例3「おしゃべりな婆さんたちが口論している調子で」(チェリビダッケ)

二つ目の言葉と四つ目の言葉がたくさん頭に浮かぶといいなあ、と思うこのごろ。

断捨離

2011年01月17日 | 日記
 断捨離という言葉が昨年末ごろから流行っていますね。片付けの苦手な私にとっては耳の痛い言葉のように思え、目をそむけていました。しかしふと昨日目に入った断捨離の本を立ち読みして、これは生活に採り入れたい、と思えました。断捨離とは

 物の片付けを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術
 家のガラクタを片付けることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法
で、片付けに主体を置きます。
 
それぞれの漢字の意味は
 断=入ってくる要らないものを断つ
 捨=家にはびこるガラクタを捨てる
 離=モノへの執着から離れ、ゆとりある「自在」の空間にいる

 主役は「モノ」ではなくて「自分」、時間軸は常に「今」。ここが重要です。

 しかしです、どうして今のこの時期にそういう気分になるわけ?という気もします。昨年末本当になにやっていたんでしょう。タイミング悪いです。
 そして今もちょっとタイミングがよろしくない。(実は仕事も急に忙しくなったし(汗))この冬が終わるまでにはやりとげることにしよう。というわけで締切は2月中旬です。甘いかしら?

 そうそう、今年は本も読むということも決めたはず。(こんなことを書くのも恥ずかしいのですが、時間があっても読まなくなっていて)『音楽の聴き方』は本当にいい本でした。消化し実践するために何度も読むつもり。それから今月中に『坂の上の雲第2巻』とものすごく久しぶりに買った『Reader's Digest』の12月号(1ヶ月前だという突っ込みはなしで。分かりやすい英語で書いてあって読みやすいです。英語のリハビリも狙っています)を読みとげよう。『坂の上の雲』には正岡子規も出てくるのですが、それがいいんですよ。
 子規の「冬ごもり」で始まる俳句です。

冬ごもり達磨は我をにらむかな
冬ごもり世間の音を聞いて居る
冬ごもり煙のもるる壁の穴
 

胸でがんばらない

2011年01月15日 | ピアノ・音楽
 レッスンでした。自分ではまあまあ弾けていると思っていた曲が大穴でした。メロディーが出し切れていないところがあるし、つながっていないところもあるそうです。出していたつもりだったししつなげてもいたつもりだったのですが(汗)。一方よくなったという曲もありました。少しでも進歩がみられるとうれしいものです。でもたるまずにいこう。

 弾く時は前かがみにならないようにしようと思い、頭を後ろに持っていこうとしていたら、いつの間にか体を反らしていたらしく、胸でがんばっているみたいだと言われてしまいました。胸をはりすぎたら腕がロックされ却って動きが制限されるのでしたね。画像のブラームスのように弾いたら重力奏法みたいでかっこいい、と思っていたのですが、それは彼だからの話のようです。上半身を自由に動かせるような柔軟な姿勢が理想なのだろう、と思います。ということで、胸ではがんばらないようにしたいものです(笑)。

 

音楽を言葉として読んでほしい

2011年01月14日 | ピアノ・音楽
 『音楽の聴き方』備忘録のためまた引用です。ネタばれになりすぎないようにほどほどにしないといけませんが。今日は手短に行きます。

 著者は知人の作曲家に「演奏家に最も強く望みたいことは何ですか?」と尋ねたそうです。著者が期待した答えは「自分の曲はせめて音を間違えずに弾いてほしい」とか「出来れば少しでも見栄えよく仕上げてほしい」とか「私が表現しようとした内容を理解してほしい」という答えでした。しかし彼は、まったく予想外、しかし言われてみればもっともな希望を口にしたそうです。それは

 「音楽をきちんと言葉として読んでほしい」

ということでした。

たとえば「おんがくをきちんとことばとしてよんでほしい」という文は「おんがくを、きちんと、ことばとして、よんでほしい」と読んでほしく、「おんが、 くをき、 ちんとこと、 ばとし、 てよんでほ、 しい」とは読んでほしくないということです。音楽でいうとベートーヴェンの運命の冒頭の「ダダダダーン」は意味ある一つのまとまりとして感じられるが、「ダ」だけでは何のことか意味不明です。つまり「ダダダダーン」は意味を持った文節としてとらえられるのでまとめて読んでほしい、ということです。


 明日本番の方たちや試験の方たち(試験の方たちはあまりこのブログを読んでいないと思いますが)、がんばってください!

音楽を語る比喩

2011年01月12日 | ピアノ・音楽
 昨日紹介した岡田暁生氏著の『音楽の聴き方』に、クラシック音楽の地元の人(ヨーロッパの愛好家たち)による音楽を語る面白い比喩が紹介されていた。

「明るい声、暗い声」
 歌手の声質を形容する「明るい/暗い」という表現。前者は楽々と高温が出せるが、声質が軽くて、あまりドラマチックな表現には向いていない。それに対して後者は、低音のドスの利いた性格俳優のように暗い情念に満ちた声である。ちなみに著者はこの表現を初めてドイツで耳にしたとき、ビールを連想したそうだ。彼らはビールについても「明るい/暗い」を用いる。ピルスのように黄金色で泡立ちが細かく軽いものは「明るい(hell)」ビール、日本人が黒ビールと呼んでいる、アルコール度数が高くて濃厚なタイプは「暗い(dunkel)」ビール。そして彼らはオペラを見たあとで居酒屋に行き、「あの歌手は少しオテロにしては声が明るすぎた」と言いながら「明るいビール!」と注文していたそうだ。今著者は歌手の声を聴きながら、時としてビールの色合いが見えたりすることもあるそうだ。
 
「音楽をする」
地元の人たちは「音楽をする」という表現をよく使うそうだ。例えば「彼はきちんと音楽をしていた」/「あれは音楽じゃない」という表現だ。一方「上手い/下手」という言い方はまずしない。彼らにはどうやら「音楽をする」ということについてのはっきりしたイメージがあり、ちょっとしたことそれが「音楽」になったりならなかったりするらしい。その基準はある種の身体感覚のようなもの―音を慈しみながら、語るように音楽を奏でることを心得ているか、それともモノのように音を処理しようとするかの違い―らしいそうだ。

 音を慈しみながら、語るように何かを伝えるように弾く、そう、音を慈しみ何かを伝えようとしよう、という思いは本当に大切だと思う。その思いはちょっとは音となって出てくれるだろうから。ただその思いがきめ細かな音となってストレートに出てくれるようになるために、練習や技術が必要となるのだろうと思う。アコースティックピアノはアナログな楽器なのだが、鍵盤を押せばひとまず音が出てしまうし、一つの鍵盤で出されるのは一定の音程なのでうっかりデジタルだと勘違いしてしまいやすい。私も長い間勘違いしていた。本当はその鍵盤の押し方離し方の中に、アナログ的な要素が潜んでいるのだが。。。そのアナログ的要素をふんだんに生かし切れるようになり、とことん「音楽をしたように」聴き手に聴こえるように弾けたらいいな。もちろん、本当のところは、完全には要素を生かし切れなくても、音を大切にしようと思いながら弾いていたら「音楽をする」ことはできるだろう(そう思ったほうが、精神衛生上にはいいと思います)。しかし理想は、アナログ的要素を生かせるところは出来るだけ生かしたい、と思う。
 脱線してしまった。音楽、したいですね!

ドレスと本

2011年01月11日 | ピアノ・音楽
 今日は休み。発表会用のドレスを購入しました。

 実はです、一昨年までは私のピアノとドレスとが頭の中で結び付くことはありませんでした。年に1、2回の発表会に出るときにワンピースやスカートを履いていたぐらいでしょうか。着るとしても結婚式で着て弾くのが最初で最後だろうと思っていました。それが、昨年のF市でのショパン企画の衣裳でドレスが話題に持ち上がりました。演奏会でドレスを着るのは素敵、でもドレスって高そうだし、自分が着るのはちょっと恥ずかしいし大変そうだと思っていました。そう思っているうちに関東に引っ越すことになり、近くないので大変そうだという思いと、異色路線でパンツスタイルで出たくなったという思いの方が勝り、ショパン企画ではドレスは着ませんでした。しかし、ドレス、きれいですよね、素敵ですよね。本番ではドレスを着た方たちを見とれてました。いいなあ、ドレスって。いや、実はパンツスタイルでユリアナさん路線を目指すという手もあったのですが。。。ち、ちょっと、き、きびしかったですな。
 そしてこちらのサークルでの発表会でもドレスの話が出ました。非日常のドレスを着て演奏することによって自分のテンションが上がり気合も変わるという前向きな話、そして思ったよりも予算をかけずに購入できそうだという話をうかがいました。着る人も多そうだし、他にも着る機会があるかもしれない、という話も出ました。そう考えてみたら今が一番のチャンスかもしれません、結び付かなかったことを結び付ける。

 そこで都内の某ドレス店に出かけて試着させてもらいました。カラフルなドレスが本当にたくさんありますね。見るだけでもわくわくします。私のドレスは何色でしょう?お楽しみに~(暖色系です。昨日練習会に出られた方はお分かりだと思います)

 ただですね、くれぐれも「ドレス>ピアノ」という路線にならないようにね(要注意)

 そしてこのような本にも出会いました。
「音楽の聴き方」岡田暁生著 聴く型と趣味を語る言葉
 内容はここでは書きませんが、音楽そのものについて突き詰めて考えています。このような本に出会いたかったと心底思えた本ですがちょっと劇薬的でもあります。気をつけて読もうっと。そういう本を読むときに張り切るところが私の欠点であり長所(?)のような気がしました(汗)

練習会

2011年01月10日 | ピアノ・音楽
 今日は練習会でした。今年になってはじめての練習会ですが、発表会前の練習会でもありました。
 2部屋だったのですが、鍵盤の重さが違っていました。気をつけて弾きたい、と思っていたところが緊張も手伝って思ったように弾けません。もっとめりはりをつけたいのに、色や表情をつけたいのに、そして外したくないのに、なかなか思ったようには弾けないものです。しかしテンションはあがりました。どこまでがんばれるでしょうか?少しでもめりはりがつけられますように、色や表情がつけられますように、思いが出せますように。

アリス=紗良・オット ピアノリサイタル 追記

2011年01月10日 | ピアノ・音楽
 リサイタルのプログラムを読んだ。アリス=紗良・オットがピアニストを志望した理由は「言葉にならない感情を、音楽でなら表現できると思った」ということらしい。初めて聴いたコンサートの後で、3歳のときのことだった。3歳と言えば物ごころがやっとつくような年齢だと思うのに。。。そのときから違っているのだ、すごいと思った。ちなみに、彼女はショパンのワルツについてこのようなことも述べている。「ワルツは彼の作曲家人生すべての軌跡を反映しているし、ポーランドとフランスの間で引き裂かれた個性、そして生涯を通じたアイデンティティの探究を映し出しています。私も日本人とドイツ人の間で、同じような分裂を覚えます。私が完全に自分の国にいると感じるのは、音楽のなかでだけです」(ライナーノーツから)最後の2文は彼女の個人的な体験に基づいた思いだと思う。最後の1文は胸が痛くなった。その一方で思った。彼女の自分の国だと思っている音楽は、国境はなく、多くの人の心を動かしている。私の心も動かしたから。音楽には国境はない、という言葉がきれいごとではなく重みをもって伝わってくるような気がした。
 華奢でかわいらしい方だがその中にあるものは大変熱いのだ。

 それからなんと演奏中に携帯で写真を撮っている人がいたのには唖然とした。シャッター音まで聴こえてきた。あの中では注意もできないだろう。そこにつけこんだような気がした。どんなに写真に残しておきたいと思ったとしても、やっていいことと悪いこととがあると思う。彼女や他の客や係員の方たちに対して大変失礼だと思う、残念だった。

 彼女のショパンのワルツのプロモーションビデオを貼り付けておきます。

アリス=紗良・オット ピアノリサイタル

2011年01月09日 | ピアノ・音楽
 アリス=紗良・オットのピアノを聴きに、みなとみらい大ホールに行ってきました。
曲目は

 メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調“ワルトシュタイン” Op.53
          休憩
 ショパン:3つのワルツ“華麗なる円舞曲” Op.34
        1.変イ長調(ワルツ第2番)
        2.イ短調(ワルツ第3番)
        3.ヘ長調(ワルツ第4番)
      ワルツ第6番 変ニ長調 “小犬” Op.64-1
      ワルツ第7番 嬰ハ短調 Op.64-2
      スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31

でした。
 緑色の鮮やかなドレスを着てすたすたと舞台に現れた彼女、なんと素足でした!弾き始める前は前後に向かって丁寧にお辞儀していて、初々しい感じがしました。
 最初のメンデルスゾーンの出だしは弱音ですが、とても繊細で透き通るような出だしでした。一つ一つの音をちゃんとコントロールしながら出しているような気がしました。素足の効果もあったのでしょうか、ペダル使いも見事だったように思えました。ワルトシュタインは長年弾き続けてきたというレパートリーですが、力でぐんぐん推し進めると言う感じではなく、語りかけるような感じの演奏でした。曲を研究し、音を練り上げながら出しているような演奏でした。
 後半のショパンのワルツになると生き生きしてきて雄弁になったような気がします。彼女のなかから溢れるものがどんどん出ていたというような感じでしょうか。Op.34素晴らしかったです。特にイ短調(ワルツ第3番)のやるせなさがたまりませんでした。彼女自身この曲にこそショパンの姿を見ている、短調から長調へと3回逃げ込みながらもまた短調へと戻るという自身の迷いや葛藤を描き出している、とプログラムの解説に書かれていましたが、本当にそのように感じていたのだろうと思える演奏でした。すごくこの曲が好きなのだろうと思える演奏でした。そのような思いはワルツ第7番Op.64-2からも伝わってきました。深いものに触れようとしているような感じ。ちょっとミスタッチがあったのですがそれは彼女自身本当に感極まっていて曲の魂に近づこう触れようとしたあまりだったのではないか、と思えるような感じでした。コルトーの弾くワルツに感動したというのがすごく分かります。スケルツォ2番も彼女の言葉で語られたような感じの演奏でした。ドラマチックだったのですがそれだけではないようで。ピアノと戯れていてポエジーをまとっていました。彼女は素足での演奏が本当に合っていたと思います。
 アンコールはなんとラ・カンパネラとエリーゼのために。ますます輝きを増していました。エリーゼのためには激しいところのないとても優しい演奏でした。見事なサービスでした。

 人が多く、サイン会の列も大変長いものでした。彼女自身ワルツが特に自分に語りかけてきたと述べていた通り、ショパンのワルツが特によかったと思います。CDにサインをしてもらいました。