現普門寺住職 永本氏は著書「四境の役 大島口」で明治4年普門寺は如水寺と
合併して、日前村から安下庄村へ管轄が移ったとし、如水寺主導のように書かれて
います。理由に普門寺が檀家を持っていなかったからとしています。
明治4年の合併は檀家が相当数あっても合併させられている寺もあるので、檀家の
有無は絶対条件ではなかったようです。
また如水寺が普門寺を吸収合併したのではなく、実態はその逆と思われます。
明治3年11月のお上の「合廃指図書」(古記録)によると
『日前村 普門寺末禅宗 安下庄 如水寺
右本寺江合併被仰付、本寺一寺号を改称住居之義者村己下便宜之地江
引移被仰付候事』
とあって、如水寺は親寺の普門寺と合併しなさい。
ただし、住居や執務は檀家の人たちの便利の良いところ(如水寺跡)へ
引越しなさい。と指示されています。
まあいろいろややこしいいきさつはあったのでしょうがお上の見解は上記の
ようです。
同指図書には普門寺の他の末寺、①椋野村の天徳寺は三蒲村の浄本寺と
②久賀村の神屋寺は同じく久賀村の久嶋寺と③和佐村の心月院は森村の
法明庵との合併が指示されていますね。
合併して、日前村から安下庄村へ管轄が移ったとし、如水寺主導のように書かれて
います。理由に普門寺が檀家を持っていなかったからとしています。
明治4年の合併は檀家が相当数あっても合併させられている寺もあるので、檀家の
有無は絶対条件ではなかったようです。
また如水寺が普門寺を吸収合併したのではなく、実態はその逆と思われます。
明治3年11月のお上の「合廃指図書」(古記録)によると
『日前村 普門寺末禅宗 安下庄 如水寺
右本寺江合併被仰付、本寺一寺号を改称住居之義者村己下便宜之地江
引移被仰付候事』
とあって、如水寺は親寺の普門寺と合併しなさい。
ただし、住居や執務は檀家の人たちの便利の良いところ(如水寺跡)へ
引越しなさい。と指示されています。
まあいろいろややこしいいきさつはあったのでしょうがお上の見解は上記の
ようです。
同指図書には普門寺の他の末寺、①椋野村の天徳寺は三蒲村の浄本寺と
②久賀村の神屋寺は同じく久賀村の久嶋寺と③和佐村の心月院は森村の
法明庵との合併が指示されていますね。
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