友近 様
貴重な情報ありがとうございます。ネット上の情報は、もうほぼ拾い尽くしたと思っていましたので本当に驚きました。
「高須賀三良兵衛」は、間違いなく当家の歴代のうちの一人です。江戸時代では、よく、良が郎、ヱが衛の当て字として表記されることは承知していましたが、改めて勉強になりました。
旧岩名村内には、複数の「高須賀三郎兵衛」の刻印のある石碑を確認していますが、「高須賀三良兵衛」の石碑をまだ見たことがないので、本当に新たな情報です。千葉県立図書館に所蔵されているようなので閲覧します。
また、「高須賀庄五郎」は、当家の親戚の家の先祖で、石碑も実物を確認しています。確か、石碑には算額を学んだことが刻まれていましたので、算額研究の面から論文に取り上げられたものだろうと思います。歴史民俗博物館も割りと近いので、同館図書室に所蔵されているようなので閲覧します。
熊野と根来…どちらかと言えば、権力の届きにくいイメージがありますがどうなのでしょうか。堀口の足跡が残ることを示す根拠資料も初めて知りました。本当にありがとうございます。家系研究が大きく前進しました。
貴重な情報ありがとうございます。ネット上の情報は、もうほぼ拾い尽くしたと思っていましたので本当に驚きました。
「高須賀三良兵衛」は、間違いなく当家の歴代のうちの一人です。江戸時代では、よく、良が郎、ヱが衛の当て字として表記されることは承知していましたが、改めて勉強になりました。
旧岩名村内には、複数の「高須賀三郎兵衛」の刻印のある石碑を確認していますが、「高須賀三良兵衛」の石碑をまだ見たことがないので、本当に新たな情報です。千葉県立図書館に所蔵されているようなので閲覧します。
また、「高須賀庄五郎」は、当家の親戚の家の先祖で、石碑も実物を確認しています。確か、石碑には算額を学んだことが刻まれていましたので、算額研究の面から論文に取り上げられたものだろうと思います。歴史民俗博物館も割りと近いので、同館図書室に所蔵されているようなので閲覧します。
熊野と根来…どちらかと言えば、権力の届きにくいイメージがありますがどうなのでしょうか。堀口の足跡が残ることを示す根拠資料も初めて知りました。本当にありがとうございます。家系研究が大きく前進しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます