山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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Re: 微力ですが 投稿者:友近弥八

2022年07月25日 17時22分54秒 | 南北朝時代の人々とその系図研究
>  呑舟は私の別ハンドル名です。生意気な名と批判をされたことがありまして、ブログにより変えています(笑)

やはり屋代様でございましたか。
高い見識のご投稿にそうではないかと思っておりました。(笑)


>  友近、高須賀、友澤もなかなか史料を掘り返すのが大変です。

友近については、松山藩の町方・村方資料の中からも収穫があったりしますので
再度焦らずゆるゆると確認しております。(苦笑)
また、高須賀様や友澤様の系譜に関連しそうな事項を確認いたしましたら
ご報告させていただきます。


>
>  久米郡地図は参考になります。他の伊予の郡部地図はどのように探索すれば出てきますか?

下記サイトの「郡市町村単位の図」からご覧いただけます。
但し伊予郡のみ該当なしとなっているのが惜しまれます。

ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム
 愛媛県立図書館/愛媛県行政資料(藩政期・明治期)
 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/3800115100

お世話になっております。
伊予高須賀氏を調べていて以前から松山南吉田の「挿桃遺跡碑」についての
こちらの掲示板の内容が気になっておりました。

 「予州 一色右馬三郎」
  http://dayzi.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7130145

愚考するに「挿桃遺跡碑」碑文の『昔伊豫温泉郡生石村南吉田高須賀之地』は
やはり地名なのではないかと思い、角川の「日本地名大辞典38 愛媛県」を
確認したところ、南吉田の小字としては下記のみでございました。

 小字一覧:温泉郡南吉田村 1061ページ
        南代(ミナミダイ)
        北代(キタダイ)
        浜新田(ハマシンデン)

この情報だけでは諦め切れませんので(笑)、「郡市町村単位の図」にて
温泉郡の図を確認しましたところ、図の左最下部・伊予郡との境の少し上に
「南須賀松林」、間に小字名と思われる「濱新田」を挟んで「北須賀松林」という
書き入れを確認いたしました。

 https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/3800115100/3800115100100010/MM-034/

「高須賀」の地名は無かったものの少なくとも地形由来の「須賀」が付いた場所が
存在していたことが分かり“一歩前進”と気を良くいたしまして、
最近マイブームとなっております(苦笑)グーグル書籍検索にて「南吉田 字高須賀」で
調べましたところ2件が該当し、両誌とも地元の県立図書館には収蔵されておらず
隣県の県図書館で確認したところ、それぞれの内容は下記の通りでございました。

 ①全国研究機関通覧 昭和38年版 https://goo.gl/TMWyYe
   著作者=文部省大学学術局
   出版元=日本学術振興会
     東京大学地震研究所 松山観測所
       愛媛県松山市南吉田町字高須賀

 ②全国大学職員録 平成5年版 国公立大学編 https://goo.gl/Ys7zQz
   著作者=広潤社編集部
   出版元=広潤社
     東京大学地震研究所 附属松山地殻変動観測所
       愛媛県松山市南吉田町高須賀

なお、松山観測所は〔昭和24年 1949 松山地殻変動観測所設置〕との情報は確認できたのですが
現在の詳細は掴めませんでした。

兎にも角にも地名としての「高須賀」の手掛かりが掴めた事は良かったのですが、古い記録では
見つからずに、ことに②については平成の御代の記録で見つかった事にどう判断したものか
聊か戸惑っております。あとは確証を得るために地籍調査が必要なのかどうか・・・(苦笑)。

以上の結果で「伊予高須賀氏の発祥は南吉田」と牽強付会する積もりはございませんが、
改めて調べ続けて参りたいと思う次第でございます。
長々駄文をつづり失礼いたしました。


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