山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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微力ですが 投稿者:友近弥八

2022年07月25日 17時21分30秒 | 南北朝時代の人々とその系図研究
屋代源三様 高須賀様

今年になって最初の投稿なりますので今更ながらではございますが
本年もよろしくお願いいたします。

及ばずながら高須賀様のご先祖に関する事項を引き続き調べておりますが
ネット検索しか能がございません。検索結果①②は既にご承知かも知れませんが、
③④の書籍調査分と共に取り敢えずご報告させていただきます。


①『新編温泉郡誌』
当資料で、新田義宗・脇屋義治の一族として「堀口治部大夫貞範」の名を確認いたしました。
義宗・義治の墳墓などに関する項目で「芳闕嵐史に曰ふ」として記述されています。
伊予高須賀氏の遠祖とされる「堀口備後守堯氏」は紀州から来予したとのことですが
「治部大夫貞範」は出羽・羽黒山から来予したとございます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950969/345

※芳闕嵐史について、とある「伊予黒川家と正岡家」関連の掲示板に投稿されていらっしゃる
 お名前が「呑舟」という方のご投稿が大変勉強になりました!


②龍神社
神社由緒に「慶安元年(1648)8月吉日、願主高須賀佐兵衛在銘の金幣は市指定文化財」
とございます。所在地からしますと元は久米郡山之内村と思われます。
http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=4844


③『松山市史料集 第七巻 近世編6』
郷土資料『川上村のおもかげ』に、西岡村「高須賀與次右衛門」、樋口村「高須賀嘉右門(ママ)」とあり
「與次右衛門」は改庄屋とも記されていますが、当史料集所収の文書に
 『梅斉院井手筋三ケ村一件控』天明六年に大庄屋「高須賀与次右衛門」705P
 『池田家文書 代々勤功附』慶応四年に西岡村庄屋「高須賀嘉左衛門」359P

また、明治三十七年の『松山領里正鑑』には、
 樋口村里正「高須賀嘉平次」 南方村里正「高須賀堯普」507P
と記載されております。

これは全くの想像ですが、南方村近傍の西岡村・樋口村で庄屋役を務めた家格からして、元を辿ると
南方村高須賀家のご一門のような気がいたします。


④『角川日本地名大辞典38 愛媛県』
当書の資料編に小字一覧があり、久米郡に下記の小字がございました。
〔西岡村〕熊之畑(下原)
〔北梅本村〕熊ノ畑(徳永)

堀口備後守堯氏の由緒にある「住久米郡熊畑邑」の熊畑と字熊之畑(熊ノ畑)、どうも気になりまして
記した次第でございます。なお、愛媛県立図書館のデジタルアーカイブで位置が確認できます。
下記リンク先の2で、地図中央の下部で赤○で囲まれた地名「北野田」「牛渕」をお探しください。
その傍に字熊之畑・字熊ノ畑がございます。 ※西岡村はニシノオカ村ですね。念のため・・・

 「久米郡地図」
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/3800115100/3800115100100010/MM-038/


長くなり失礼いたしました。


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